第444話 飛竜対クラスク
「行くぞ
「ヒヒン!」
崖上を駆けながら上空の
サットクが逃走しているのは崖下の
なかなかに賢い立ち回りだが、そのせいで彼らの位置が低い。
それを好機とばかりにクラスクは馬上で身を沈め、脇に構えた騎兵槍を深く握りこんだ。
「行ケ」
「ブヒヒン!」
派手に
まるで空を駆けるようにはるか上空へとその脚を伸ばし、
…が、やはり馬は空を飛べぬ。
天馬でもあれば話は別なのだろうが、オークの跨る漆黒の馬はどちらかというと魔性のそれだ。
その太い蹄は空を噛めずあと一歩のところで失速し、長さ10フース(約3m)ある騎兵槍の先端すら
ギャアギャアと
竜の言葉でせせら笑っているのだろうか。
空飛ぶ我らにそんなものが届くものかと。
だがクラスクは宙空で
それは無理がある。
騎兵槍は馬の突進力を利用して相手に穂先を叩きつけるための武器であり、とにかく重く振り回して武器にするには向いていないし投擲にはなおの事不向きだ。
不向きのはずだ
…不向きのはずなのだ。
だがクラスクの隆々に盛り上がり肥大した腕から放たれたそれはまるで雷光の如く空を走り、狙い過たず
凄まじいほどの膂力と命中精度である。
理解できぬ事態に騒ぎ喚く
その一瞬の隙をついてクラスクは
「ぬうン!」
とてつもない跳躍力である。
陽光を背にしたクラスクは、あろうことかほんの一瞬、空飛ぶ竜どもの頭上を
どずん、と大きな地響きがする。
と同時にクラスクが
けれどその轟音は彼の脚から放たれたものではない。
それは
こちらもまた大陸中の騎士どもが垂涎しそうな跳躍力である。
着地の際は相当な衝撃が襲ったはずなのだが、彼は特段気にする様子もなくその場で地面を二、三度引っ掻き、そのまま空の住人となった己が主人の影を追って駆け出した。
さて
だが…その尾は別である。
通常の竜であればその太く長い尾を薙ぎ払うようにして周囲の有象無象を吹き飛ばすのに使うのが主な用途だが、
針と言うだけあってその先端は鋭く尖っているけれど、その最大部分の直径は人間の前腕程もあるかなり危険な代物だ。
その巨大な毒針は掠っただけで
痛みのあまり巨人族すら昏倒させると言われる毒針を彼らは変幻自在に操る。
普段は両脚の下から突き出すようにして相手に打ち込むものだが、その気になれば蠍のようにその尾をもたげさせ、肩口から前方の相手に突き出すことすら可能だ。
背中の相手を狙う事など造作もない。
必殺の、はずだった。
だがあろうことかその緑の人型はひょいと上体を左に傾けると、その尾を見もせずにかわしてのけた。
あまりのことに仰天する
一体どんな理屈でそれを為しているのか彼には理解できなかった。
クラスクは背後からの気配…正確にはその風を切り裂く音で攻撃を察知したのだが、その見事な回避の全てが彼の実力によるものではなかった。
彼が想定したよりその刺突が大きく逸れた。
まるで自分の周囲に目に見えない壁があり、それがその尾を押し返したかのようだ。
クラスクの脳裏に浮かんだのは先ほどイエタが唱えた呪文である。
そして彼の推察は実際正しい。
彼の周囲に張り巡らされたイエタの信仰心の楯は、彼に対する害意ある攻撃を斥力が働いたかの如く遠くへ押しやるのだ。
「成程、これくらイの力か」
実地に体験してその呪文の効果を肌で理解するクラスク。
それと同時に背負っていた愛斧を右手で抜き放ち、頭上の尾の先端、毒針の根元を切り裂いた。
激痛と失意の悲鳴を上げる
それをこうもあっさり斬って落とすのはクラスクの手練か、はたまたその魔法の斧の妖絶な切れ味か。
最大の武器を失った
今ならその頭部に斧を打ち込むだけで簡単に絶命させることができるはずだ。
だがクラスクはそうしない。
手にした斧を構えたまま、羽を掴んで空に留まる。
それが彼の今の戦術なのだから。
じゅる、じゅるう、と音がする。
餌だ!
餌だ!
久々の血だ!
飢えた大斧が歓喜の叫びを上げるが如く血を啜る。
単に漏れ出た血を掠め取るのではなく、まるでその傷口から吸い出しているかのように
と同時にクラスクの脳裏に怨嗟が如き囁きが聞こえてくる。
殺せ、殺せ。
その
下にいる黒い馬を殺せ。
あの大きな獣を殺せ。
羽つきの娘を殺せ。
下にいるあのちびの
この場にいるすべてを
だがミエの≪応援/旦那様(クラスク)≫によるステータス還元によって精神抵抗が格段に上昇しているクラスクは、何かの間違いでもない限りその精神支配に屈することはない。
さらにミエの≪応援≫の影響下であればその間違いすら起こりえない。
つまり今の彼にとってその囁きは戦場での伴奏曲以外の何物でもなく、その耳障りな呟きに彼の眉をしかめさせる程度の効果しか発揮しなかった。
ふ、とクラスクの足場が一瞬安定する。
だがそれは彼に安心を与えはしなかった。
その呪われし斧が血を啜り過ぎたせいで意識を失った
ぐらりとよろめくクラスク。
先ほどまで彼が乗っていた
だがそれは愚策だった。
その緑色の偉丈夫に少しでもダメージを与えたかったのなら、彼が落下するのを遠巻きに見守り、地上で呻く相手に群がって毒針を打ち込めばよかったのだ。
だが
争いを好み、相手をいたぶるのを好む彼らは弱みを見せた相手を放っておくことができぬ。
その野生の本能に抗えなかったことが…クラスクに襲い掛かった二匹の運の尽きだった。
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