第432話 慟哭、咆哮

「ナンダ、コレハ…」


クラスクはその身をおこりのように震わせ、目の前の光景を見つめていた。


黒い、ただ黒い。

焼け焦げた黒い黒い地面が広がっている。


かつてそこには村があった。

いやほんの昨日まで村があった。

確かにあったはずなのに…今や跡形もない。


家だったはずの黒い塊。

住人だったはずの黒い塊。

それらがただ黒い地べたに陳列された、ただの焼け野原。



それが…今のクラスクの視界に映る全てだった。



「ウオ…オオオ…オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


クラスクは吠えた。

他に何もできなかった。

ただ己の内から溢れ出るやり場のない怒りに身を打ち震わせ、咆哮する事しかできなかった。


「そんな、そんな…!」


そしてそれはミエも同様だった。

彼女の場合は怒りよりも悲しみよりもただ茫然が先に来た。


何があってこうなったの。

どうしてこんなことになったの。

自分の何かがいけなかった?

何がいけなかったの?


黒い地べたにへたり込み、ただただその光景を見つめている。



涙が、こぼれた。

はらはらと、ただはらはらと。



己が関わった者の死を、彼女が知らぬわけではない。

地底軍の二度にわたる襲撃で、当然彼らも無傷というわけにはいかなかった。

犠牲者だって出た。


けれどそれは覚悟しての出撃だった。

村全体で一丸となって、こちらが全滅するかもしれない相手に、少しでも多くの住民を守ろうとした結果の犠牲者たちだった。

辛くて、苦しい決断ではあったけれど、出た犠牲自体はとてもとても悲しいものだったけれど、ミエにはそれを受け止められる準備と心構えができていた。


だが今回は違う。

ミエにはその備えがなかった。


唐突に、理不尽に、自分に関わった者がいなくなった。

それを未だ心の底から理解することができず、ミエはぼんやりとその焼け野原を見つめていた。


二人で乗ってきたクラスクの愛馬うまそうキートク・フクィルがぽろぽろと泣いているミエを気遣うように低く嘶き、その鼻面をこすりつけてくる。

そして散歩か何かかと思ってついてきた魔狼コルキは、だがその焼け跡に辿り着くと何かを察したのか低くうなりながら村の周囲で鼻を鳴らしていた。

彼にだけわかる危険なでも残されていたのだろうか。


つい先刻、クラスク市。

初等学校にいたイエタと後から飛び込んできたサフィナが口を揃えるように告げた北部の村々の危機。

により北の村が滅ぼされたというのだ。


それを聞いたクラスクとミエはすぐに学校から駆け出ると、近くを巡回していたオーク兵に自分たちの行き先を告げてそれをキャスとラオクィクに伝えるよう命じた。

ラオクィクはクラスク配下の最高軍事責任者、そしてキャスはクラスク市の軍隊組織から外れ自由に行動できる遊撃部隊だ…まあ体面上はクラスクの親衛隊隊長という役職になっているが。


クラスクがまずその二人にだけ告げろ、というのが事の重大さと緊急性を物語っていると言えよう。

オーク達は畏まって慌てて駆け去っていった。


そしてに指示を出し終えるたクラスクは口笛一つで放し飼いにされていたうまそうキートク・フクィルを呼び寄せ、一緒についていくと強情にせがむミエを諫める時間なしと素早く抱きかかえ、駆けてきた愛馬に勢いそのままに飛び乗って、街を飛び出しながら馬首を目的地に向け、己の背後にミエを下ろしたのだ。


「市長ー! ハァ、ハァ…」

「アニキー! ヒィ、ハァ…」


そんなわけで配下のオーク達や元翡翠騎士団の衛兵たちが、二人よりだいぶ遅れて騎馬で到着する。

その中にはリーパグの姿もあった。


「ウッヘ…ナンジャコリャア!!」


リーパグはつい先日その村に訪れた時とあまりにも様相の変わったその村…いやかつて村だった焦げ跡を見て思わず絶句する。


「うっぷ…こりゃあ…」

「ひっでえ…!」


人間族の衛兵たちも互いに顔をしかめながらその惨状を呆然と見つめた。


「あの黒い塊…もしかしてここの住人の黒焦げ死体か…?」

「マジかよ。肉の焦げる臭いすらしねえぞ」


通常生き物が焼かれれば皮膚や毛が焼け焦げて酷い臭いがするのだが、この村にはそれがない。

相当の高熱で一気に焼き払われたのだろう。


「しっかし…急いで駆けつけたはいいものの…」

「ああ、これじゃ俺らにできることなんざ…」

「ナニヲ言ッテル」


神に犠牲者の冥福を祈りながらぼそぼそと囁きあう衛兵の背後からぬっとクラスクが顔を出す。


「デキル事アル! 生存者を探セ! まずハそれからダ!」

「「ハ、ハイッ!」」


クラスクの一喝で縮み上がった彼らは慌てて村の捜索に乗り出す。

そして彼のその大声は、同時にミエの心に正気を取り戻させた。



正確にはミエにを思い出させた。



「そうだ生存者! 他の村も!」

「ソウダ、ミエ。オオイリーパグ!」


クラスクは己の腹心であるリーパグを呼びつける。


「ダヨナダヨナ。ドシーノ奴ハ抜ケ目ナイシキットドコカニ隠レテ…ッテハイナンッスカ兄貴!!」

「…オ前俺ニ伝エル事アルカラコノ村来タ。違ウカ」

「ソウダッタソウダッタ! トンデモネエコトニナッテタカラスッカリ忘レテタ!」


リーパグはわたわたとクラスクの元まで走り寄り用件を告げる。


「北ノ村ッテことで『デックルグ』ニャラオノ奴ガ行ッタ。『ヴォヴルグ』ニハキャスノ姉御、『ドットルグ』ニハワッフダ。アノ羽ツキネーチャン…イエタ? ニ空飛ンデ他モグルリト見テモラッテル!」

「よシ、トりあえずそれデイイ」


クラスクはキャス達の判断の速さに満足しつつ頷くと、深く長い息を吐く。


「アイツラなら必ず生存者を探すハズダシ、そイツガ助からナイトシテも必要な情報ハ聞き出せルハズダ。トニカク俺達ニハ情報ガ必要ダ」


クラスクの言葉にミエはハッとした。



そうだ。

この惨状はなんとも酷く悲しいことだけれど、のだ。



これをしてのけた何者かによる第二、第三の襲撃がいつ襲い来るかわかったものではないのである。

そのためには少しでも早く、多く、そして正確な情報が必要となる。

ミエは動転していてそこまで気が回らなかった己を恥じ、改めて己の夫の冷静さを頼もしく思った。


…もっともクラスクだとて平静を保てているわけではない。

あくまで他の者の上に立つ身として己を叱咤し無理矢理冷静さを装っているだけだ。

そのはらわたは完全に煮えくり返っており、もしこれを為した当事者が目の前に現れたなら獣のように吠えて躍りかかっていたことだろう。


「それが済んダラ次ハ北ノ村ノ避難ダ。イツまたこんな襲撃ガあルかわからん。すぐに布令ヲ出シテクラスク市北部に収納スル!」

「ああ! なるほど!」

「確カニ!」


人間とオークの衛兵たちがクラスクの言葉に得心し、すぐに頷く。


「ダガその前ニマズ生存者ダ! 手分けシテ探セ!」

「「「ハイ!!」」」


クラスクの号令一下、後から追いつきでやってきた兵士たちが村の捜索に当たる。






そしてミエもまた…彼らに混じって必死に生存者を探し歩いた。

絶望的なまでに焼け焦げた、かつて村だった廃墟を。





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