第431話 憤りの死
オーク族は≪威圧≫と呼ばれるスキルを得意とする。
暴力や暴言を用いることで交渉を有利にするスキルである。
彼らの戦術はその≪威圧≫とそこから派生する上位スキルとの相性がいい。
前族長ウッケ・ハヴシが得意とする≪威伏≫がまさにそうだし、クラスクのかつての兄貴分、イクフィクが用いた≪怒号≫などもその派生だ。
ヌヴォリが発動させたそれ…≪狂乱≫は、そのイクフィクが習得していた≪怒号≫の最上位スキルに当たる。
かつて当時の
このスキルを発動させることにより、使い手は驚異的な怪力と無尽蔵とも思える耐久力を手に入れる。
肥大化した筋肉がその身を二回り回り以上大きくさせ、あらゆる攻撃を受け止める圧倒的なタフネスを得て、絶え間ない闘争心が湧き出し溢れ止まらなくなる。
この状態になればもはや竜が放つ圧倒的恐怖すらその身に及ばない。
戦いを求めるあまり恐怖を感じる心自体を失ってしまうからだ。
強大で強靭でどんな敵だろうとその膂力にて打ち破らんとする脅威の形態…だがそれは同時に諸刃の剣でもある。
…敵味方の区別がつかぬのだ。
一度発動させてしまうとその巨人が如き怪力と尽きぬ闘争本能で近くに動くものがなくなるまでひたすらに破壊と暴力の限りを尽くす。
それが≪狂乱≫の真価であり、恐ろしさだ。
戦闘力は確かに上がる。
けれど戦いが終わればそこには守るべき味方の、仲間の、家族の姿もまた消え失せているのだ。
イクフィクが用いた≪怒号≫を当時の村の者たちは危険視していたが、あれとは比べ物にならないほどの劇物であり、危険なスキルなのだ。
これを使えば己はかのウッケ・ハヴシにすら伍すると、いや討ち勝てるとヌヴォリは信じていた。
ウッケ・ハヴシの≪威伏≫の正体は、要は≪威圧≫スキルによる脅しの超強化版である。
効果でいえば[精神効果]の[高揚]系統デバフであり、≪威圧≫判定による精神攻撃に成功することで相手の敏捷度を奪うものだ。
だが≪狂乱≫の発動中は恐怖や怯えを感じる心自体が欠落してしまうため、≪威伏≫の判定自体が成立しない。
そしてあのウッケ・ハヴシの巨躯巨漢すら上回る怪力を得ることができるこの奥の手であれば、使いさえずれば彼に勝てると、倒せると、そう確信していたのだ。
だがヌヴォリは結局一度たりともそのスキルをウッケ・ハヴシ相手に使うことなく、彼を上として立て続けた。
戦いをこよなく愛し勝利を求め強さに於いて頂点を目指す事が至上とされるオーク族に於いて、勝てる手段がありながらそれを用いないというのは非常に珍しい。
だが彼は戦士であると同時に族長だった。
もしウッケ・ハヴシに挑戦し、そして≪狂乱≫を使ってしまえば、彼を撃ち殺した後待っているのは己の手による殺戮の宴だ。
相手部族のオークも、自分の配下たちも
それは意味がない。
意味がないのだ。
ヌヴォリは確かに高圧的で偉ぶる性格ではあったし、オーク族として当然のように他種族に対する偏見の眼を持っていた。
だから略奪は当たり前のようにするし女性は攫い虐げる。
他の種族から見れば残虐極まりない無慈悲な男であり、客観的に見てもそれは間違ってはいない。
だが、彼は部下が苦しんだり悲しんだりするよりは笑っている姿を見る方が好きだった。
だからそんな彼らを殺してまで手にする勝利など、ヌヴォリは欲してはいなかったのである。
そういう意味では己さえよければ他はどうででもいい、ひたすらに自己満足の塊であったウッケ・ハヴシとは、彼の有り様は一線を画していたと言えるだろう。
だが今は違う。
周りには味方も、部下も、家族も、誰もいない。
もう誰もいない。
己の配下が入植したデックルグの村も滅んだと言う。
それをしてのけた相手が目の前にいるのだ。
そして己は今その相手の背に乗っているのだ。
そんな相手を放置して逃げ出すことなどできない。
できるはずがない。
オーク族として、オーク族の族長として、決して、決してこの相手を見過ごすことなどできようはずがない……!
「ガガガガガガガガガガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
≪狂乱≫による高揚が、狂気が、その身と心を侵してゆく。
みちみちと膨張してゆく肉体。
その筋肉が内臓に突き刺さった肋骨を包み込み無理矢理動ける肉体を強引に構築してゆく。
ただ目の前の相手を倒し、殺し、壊すことしか考えられなくなってゆく。
だがそれでいい。
目の前のこれに復讐さえできればそれでいい。
≪狂乱≫が尽きた後、再び瀕死に戻ってこと切れたところで構わない。
倒す、倒す、倒す。
殺す、殺す、殺す。
壊す、壊す、壊す。
ただそのためだけに、己の全てを研ぎ澄ませ……
大きく大きく振りかぶった大斧の一撃が、今満身の力を込めて振るわれた。
ずがん、という激しい音が響いた。
硬い何かに金属を叩きつけたような鋭く甲高い響音がそれに続く。
恐ろしい勢いで放たれたヌヴォリの斧が、遂にその竜の体を捉えたのである。
「ガ…………ガ?」
だが…ヌヴォリの様子がおかしい。
理性を失い、己の斧を本能と破壊衝動のままに振るった彼は、その竜の背をびっしりと埋めた竜鱗のあまりに硬い感触に腕を震わせながら、不思議そうに首を捻り己の腕、その先を見つめていた。
斧刃が、ない。
手にした斧から先端の斧刃が消え失せている。
ヌヴォリの渾身の一撃は、確かにあの謎の護りを突破して竜の身に一撃を入れた。
けれどあまりに強すぎた彼の一撃は、愛用していた大斧の耐久度すら凌駕してしまい…その斧を中途からぼきりとへし折ってしまっていたのだ。
どこに行ったのだろう。
己がこのデカブツを撃ち殺すための獲物はどこに行ってしまったのだろう。
理性を失った彼には理解できぬ。
己が知らず成し遂げた快挙にも、それを打ち倒すべく己が刻み込んだヒントにも、気づくことができぬ。
ただその竜が首をもたげて己の背中…すなわちヌヴォリの立っている場所目掛けて大口を開けて迫りくる事に気づいた彼は、折れた斧の柄とこぶしを構え、闘争本能の赴くまま咆哮を上げながら突進し…
そして、ばくんとその巨大な口に噛みつかれた。
ぐちゃり、ぬちゃりという租借音。
竜の喉奥から漏れ出る熱気で、ヌヴォリの身体が見る間に焼け焦げてゆく。
口の中で尚も暴れ続けるヌヴォリ。
その際牙に噛み切られ、ぶちりという音と共に斧柄を掴んだ腕が吹き飛んで地べたに落ち転がった。
ただひたすらに戦うだけ。
それ以外のすべてを切り捨てた≪狂乱≫の最終状態。
だというのに…彼の脳裏には、なぜかある女の面影が浮かんでいた。
それは彼が最近ずっとご執心だったクラスクの女…ミエと呼ばれたあの娘ではなかった。
ヌヴォリが攫ってきて、仕切りとして選び初めて我が物とした、戦利品の女だった。
己の子を孕ませ、産ませ、育てさせた女の横顔だったのだ。
ヌヴォリは手下の、仲間の笑顔が好きだった。
だからその女の笑顔も見たかった。
ただどうしようもなくオーク族だった彼には、女を攫うことでしか、奪うことでしか手にできなった彼にはその方法はわからなかったけれど。
そんな彼女が…この村に来て笑うようになったのだ。
己の村ではいつも辛気臭かったその女が、少しずつ笑うようになったのだ。
すごい、と思った。
自分がどうやってもできなかったことを、クラスクのやり方ならば実現できるのだ。
彼を認めた自分は、彼に降った自分は間違っていなかった。
ヌヴォリはそう確信し、喜んだ。
理性を失った今となっては、もはやそんなことすら忘れ果ててしまったけれど。
けれど…あのクラスクの女、ミエという女に教えてもらった彼女の名前だけが、不意に脳裏に浮かんだ。
「…モ、ディ」
小さく動いた唇が……うわごとのように、この村で初めて妻と呼んだあの女の名を呟く。
もはや動かない。
ただの焼け焦げた肉となったその塊は、赤竜イクスク・ヴェクヲクスの喉から腹の中へと下って消えた。
× × ×
首を、もたげる。
周囲をぐるりと見まわす。
その竜の周囲にはもはや何も残っていなかった。
黒焦げの村、黒焦げの家、黒焦げの住人。
それらがところどころで赤熱し赤い光を放っている。
彼の足元に広がる黒の世界に、生き物はいない。
ただ絶対的な死だけが横たわっていた。
「…………………………」
彼の視界の先、少し離れた草原の向こうに小さな森が残っていた。
彼は多重瞳孔を細め、その森をじいと見つめた後…そのまま背を向ける。
「…ユグスロ」
周りの誰が聞いても理解できぬ、そんな呟きを漏らしつつ…
その紅蓮の竜は、巨大な皮膜を広げると……一面黒くなった村を後にして飛び去って行った。
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