第430話 たった一人の決戦
轟音、そして灼熱。
ヌヴォリの頭上で放たれた炎は彼の背後めがけて放射状に広がっていった。
ちりちり、ちりちりと頭皮が焼ける。
頭上の髪が焦げてなんとも嫌な臭いを放つ。
この勢いである。おそらく村全てが炎に包まれたろう。
己以外生き延びた者はいまい。
彼は肌でそう感じ、そして怒り、猛り、狂い、吠える。
己の大事な、大事な部下どもを、皆殺しにされたのだ。
せっかく手に入れた女どもを全て焼かれたのだ。
これに怒らずして何に怒れというのだろう。
「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
ヌヴォリは雄たけびを上げながら脇構えにした斧を横薙ぎに振るう。
狙うはその竜の脚だ。
どんな生き物であれ、四つ足で立っている以上その一本でも使い物にならなくすれば地上ではまともに歩けまい。
ならばまずその足を一本叩き斬って、それからのことはそれから考える。
即断即決、このあたりは実にオークの戦士らしい。
ぶいん、という妙な音がした。
巨人族の足すらひと薙ぎで吹き飛ばすヌヴォリの大斧の一撃。
だが何が起こったのか、目の前の竜の脚には傷一つついていない。
ヌヴォリは斧の柄ごしに己の手に伝わった不気味な感触に驚愕し、だがすぐに斧を引き戻し第二撃を放たんとする。
だがそこに竜の左前脚が襲ってきた。
襲ってきた、というよりちょうど猫が爪で地面を引っ掻くような仕草で、ヌヴォリのいるあたりを『掻いた』。
だがその巨体である。
その筋肉質で巨大な前脚である。
クラスクほどではないにしても巨漢で鳴らすヌヴォリをすっぽりと覆わんほどの巨大な前脚であり、そこから生えている鉤爪である。
かすっただけでオークの腕や足など簡単に千切れ吹き飛んでしまうだろう。
いや腕や足で済めばまだましやもしれぬ。
当たりどころが悪ければ間違いなく即死。
それこそ五体がバラバラになってもおかしくはない。
ヌヴォリはその一撃をぎりぎり体を横にずらすことで鼻先で掠めるようにしてかわし、そのまま通り過ぎる腕に一撃叩きこむ。
だが鱗に叩きつけたはずの斧が、先刻同様まるで柔らかいものに跳ね飛ばされるような感触によって弾かれる。
再び引っ掻くような前脚。
それを脱兎のごとく真横に走り避ける。
完全に舐められている。
本気で攻撃していない。
竜にとっては己の周囲に飛び回る蠅か何かを鬱陶しげに払っている気分なのだろう。
だがそれはチャンスだ。
こちらには打ち手がないと安心し油断しているということなのだから。
それならばその慢心を突くため細心の…
「シッカリ相手センカ貴様ァ!!」
己の理性を蹴り飛ばし、竜に向かって大喝したヌヴォリは、先ほどよりさらに大降りに、全力で竜の前脚目掛けて大斧を振るう。
どうにも油断している相手を討つよりは全力の相手と戦いたい性分のようである。
このあたりヌヴォリは生粋のオークと言えるかもしれない。
まあ今この場面においてはどう考えても暴挙にしか思えぬけれど。
「シカシ面倒ナ奴ダナ…!!」
どうやらその卑小な二本足は引っ掻く程度では止まってくれぬようだ。
鬱陶しげに赤き竜がヌヴォリの方へと首を向け、こちらに顔を向けさせたことでしてやったりと歯を見せ傲岸に笑うヌヴォリ。
どんなに攻撃しても通用しない、その謎の感触……
けれどヌヴォリは戦闘種族たるオーク族の族長である。
流石に三度も攻撃すればその奇怪な護りの正体に当たりはついた。
こちらの攻撃が、相手に届いていない。
理屈はまったく不明だが、ともかくその竜の体表付近には何かがあって、それがおそらく全身を覆っている。
そしてその何かが、こちらの攻撃を相手の体に届かぬようにしているのだ。
ならばどうしようもないのか?
どんな攻撃も通用しないのか?
否。
ヌヴォリは即座に断じた。
最初の一撃より三度目の全力攻撃の方がより深く斧がめり込んだ。
最終的に弾かれはしたけれど、相手の体表近くまで斧が届いていた。
つまりあの守りは完璧にどんな攻撃をも防ぐわけではなく、ある程度の攻撃を防ぐだけなのだ。
その『ある程度』がオーク族の族長たるヌヴォリの全力の一撃すら弾くというとんでもなさではあるものの、絶対不可侵な存在でないことだけは確かだ。
(ソレナラ……!!)
横から回り込むようにしてその竜に突撃を敢行しようとした瞬間、突然嵐が巻き起こる。
ばふん! という音と共に猛風が吹き
「オイオイオイ…羽ノ一打チデコレカ!! ハハハ!!」
宙を舞いながらヌヴォリは見た。
その竜が打ち鳴らした羽の羽ばたきただ一つ。
ただそれだけ、たったそれだけでこの暴風が起きて自分は吹き飛ばされたのだ。
とんでもない相手である。
そして相手にとって不足はない。
ヌヴォリはこの圧倒的実力差を前に未だ戦意を喪失してはいなかった。
だが…そこにぶうん、と背後から音がする。
背筋に走った悪寒から素早く身をよじり、空中で態勢を立て直そうとした。
が、遅い。
宙に浮いたヌヴォリの体を、その竜は太く長いその尾で薙ぎ払うように一打ちしたのだ。
「ガッ、フ……ッ!!」
直感で上半身をねじり、手で受け流すようにしてその尾を受け、ギリギリで直撃を避ける。
まともに食らっていたら空中でひしゃげ潰れ血の雨を降らしていたことだろう。
だが脇腹をかすっただけで片側の肋骨が数本へし折られ、その骨が内臓が貫いた。
致命傷である。
蠅を打ち払うようなそのひと撫でで、ヌヴォリの命運は定まった。
もう助からぬ。
己はここで死ぬだろう。
ヌヴォリは吐血しながら…けれど千載一遇のそのチャンスを逃さなかった。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
その巨大な尻尾に必死にしがみつきながら、ぐるんぐるんと振り回される。
右に揺らされ左に振られ。激しい眩暈に晒されながらも左脇で斧を抱え、尻尾にしがみつき続けた。
「ココ、ダロ……ッ!!」
そして尻尾が己を地面に叩きつけようとした瞬間、その腕を離し真下へと落下する。
素早く受け身を取って立ち上がるヌヴォリ。
そこは地面ではない。
竜の背だ。
振り回された竜尾を利用して…彼は竜の背中へと降り立ったのである。
竜の羽はその構造上左右には広がるが己の背中には向けられない。
両脚も同様である。
つまり竜が持つ多くの攻撃の死角へと、彼はたどり着いたのだ。
「ハハ! 嫌ソウナ
竜がめんどくさそうな顔をした…ように見えたヌヴォリは愉快げに笑う。
だが猶予はない。羽も爪も届かぬ場所だが竜は首が長い。
振り向けばそのままその牙の射程圏内だし背後から尻尾も届くだろう。
身体を揺すられ振り落とされでもしたら目も当てられぬし、そもそもあの口から村を覆う規模の炎が吐けるのだ。
このチャンスを逃してはならぬ。
己の最大の一撃を叩きつけてやらねば。
「ウオ…ゴ、ウゴガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
ヌヴォリの雄たけびがこれまでと変貌する。
声が太く、唸るようなそれに変わり、まるで戦士から野獣へと変じてしまったのかのようだ。
みし、みしりとヌヴォリの体躯が軋み、全身の筋肉が盛り上がり、肥大化してゆく。
それと同時に彼の瞳が爛々と不気味に光り、口からぶくぶくと泡を吹いた。
その表情にはもはや理性の欠片もない。
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