第429話 赤き絶対の死

、がゆっくりと空を舞う。

北東の方から飛んできたが、円を描くようにドックル村の上空を舞っている。


「チッ、値踏ミシテヤガルナ……!」


愛用の斧を強く握りしめながら東山ウクル・ウィール族長『虎殺し』ヌヴォリが忌々しげに空を睨めつける。


「見テルダケカナ、アレ」

「ンナワケアルカ。アリャアコッチガ狼狽エテ右往左往スンノヲノンビリ待ッテンダ」

「…ヨクワカリマスネ族長」

「フン! 俺ガソウダカラナ!」


随分と物騒なことを口走りながらヌヴォリが肩を怒らせる。

村に飛び道具がないわけではないがいかんせん相手の位置が高すぎる。

弓を射ようが標的の遥か下で落下するのがオチだ。


「タダ今戻リマシタ!」

「ドシーカ」


と、そこにリーパグ配下のドワーフにしてこの村に派遣されたクラスク市のオーク、ドシーが斧を構えて駆けてきた。


「バカ者ガ。逃ゲタノカト思ッタゾ」


少々奇妙な物言いで迎えるヌヴォリ。


ドシーは手先が器用で知恵が回り如才ない一方、あまり腕っぷしには自信がない。

かつてのヌヴォリの村…東山ウクル・ウィールならとうの昔に淘汰されて死んでいたであろうタイプだ。

そして彼がそういうオークであることを、ヌヴォリはとっくに見抜いていた。


だからこそ先刻から姿を見せぬのは恐怖のためか救援を呼ぶためか、いずれにせよ村から逃走したからだと思っていたのだ。


だが彼は武器を携えて戻ってきた。

愚かな奴だはと思いつつ、オークとしてはその勇敢さを評価もしている。

そんなニュアンスが先程の言葉に込められていた。


「イヤア、アレハデショウ。アノ高サデモコッチ全員見エテマスヨ。逃ゲタ奴ガイタラマズ真ッ先ニソイツヲ殺シテカラ村ヲ襲ウ腹積モリジャナイデスカ」

「ホウ、気ガ合ウナ。実ハ俺モ同ジコト考エテタ」


互いにニッと笑って斧を構えなおす。

空を舞うは、旋回しながらゆっくり、ゆっくりと高度を下げ…



…いや、羽を畳むとそこから急速に村へと降下してきた。



「気ヲシッカリ持テェ! 歯ァ食イシバレェ! アアイウデカブツハ見タダケデ足ガスクム! ションベンチビル! 身体ガ震エテマトモニ動ケナクナル! ソウイウ連中ダ!!」


ヌヴォリには経験がある。

若かりし頃当時健在だった東山ウクル・ウィールの族長を打ち倒すため方々に武者修行まがいの旅に出て、様々な化物や怪物と戦ってきた経験が。


そんなかつての経験が、頭上のが放つ危険極まりない気配を肌で感じ、仲間に警告を放ったのだ。


「逃ゲテモ殺サレル! 降伏シテモ食ワレル! ナラバ背ヲ向ケルナ! 手ニシタ斧デ! テメエラノ活路ヲ切リ開ケェ!!」

「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」」


ヌヴォリの飛ばした檄にオーク達が雄たけびを以て呼応し、意気軒高となる。

喩えどんな相手だろうと戦士として立ち向かい打ち倒してやらんとその魂を昂らせる。




だがそこまで警戒し、士気を上げ、全力で立ち向かったとて…

それでもなお、どうしようもな相手というのもこの世にはいるのである。




「ん、な……っ!」


が村の直上を滑空する。

巨大な白い腹が、彼らの頭上を通り過ぎる。



ただそれだけで、オークどもは皆恐怖し、畏怖し、戦慄し、その身を竦ませてしまった。



地響きと共に村はずれに着地する

やや蜥蜴に似た、全身鱗に覆われた体躯だ。


筋骨逞しい胴体。

太く長い首。


角が生え、むき出しの牙を備えた頭。

長く長く太くしなやかにうねる尻尾。


だが完全に蜥蜴のようかというとやや語弊がある。

その四肢の付き方は横に向かって伸びる蜥蜴のものより、むしろ躍動する猫科のそれに近く、鋭く太い鉤爪は相手を引き裂くどころかミンチにしかねない強靭さを備えていた。


瞳もまた猫のように縦に裂け、さらには瞳孔の内側に別の瞳孔を備えている。

複数のレンズで遠近を自在に見分ける、彼ら独特の多重瞳孔である。


蝙蝠に似た、手指を広げ伸ばしたような羽に皮膜が張られ、それを隆々とした肩甲骨が支えている。

通常この手の翼は手が発達したものであり、となれば脚は二本になるべきなのだが、は当たり前のように四足を備えていた。


頭部から尻尾の先まで凡そ100フース(約30m)。

体長と首の長さはそれぞれ30フース(約9m)。

尾の長さは40フース(約12m)。

体幅15フース(約4.5m)、体高20フース(約6m)。

最大翼長120フース(約36m)。




…そして、全身を無数に覆う紅蓮の鱗。




そう、それは竜だった。

ドラゴン、と呼称される紅蓮の化物だった。




それもただの竜種ではない。


赤蛇山脈ロビリン・ニアムゼムトの中央に聳え立つ赤蛇山ニアムズ・ロビリンの名の由来となり、蛇舌川ブレズィム・シムツァオにその名を冠する者。

竜種の中でもさらに圧倒的な高みに至った、千年紀を生きたとすら噂される『古老』と呼ばれる赤竜。


幾多の国、幾多の種族と争い、そして彼らから財宝や秘宝を奪っては己の巣穴たる赤蛇山ニアムズ・ロビリンの火口に貯め込んでいるとされる強欲の王。

己が種の宝を取り戻さんと躍起になって挑み続けてきた各種族の精鋭たちを例外なく打ち払い、薙ぎ払い、全滅させてきた不敗の化物。


彼をを打ち倒さんと歴史上幾度となく討伐軍が組織され、命がけで挑み、そして悉く散っていった。

その激闘が、奮戦が、そのままとして歴史に名を残す





その蹂躙の歴史、記録に残されているだけでも実に八百年を超える。






災厄の象徴、最悪の権化、

死と炎を振りまく破滅そのもの。





イクスク・ヴェクヲクスという名の…紅蓮の恐怖である。





動けない。

動けない。


斧を持つ腕がぴくりとも動かない。

踏み出すべき足が一歩たりとも動かない。

戦に高揚するはずのオーク族の心が。恐怖に凍り付き眉一つ動かせない。


紅蓮の竜…イクスク・ヴェクヲクスは、その長い首をわずかにもたげて、村全体をぐるりと睥睨した。

そして皆がこちらを見つめ、一歩たりとも動けぬことに満足すると、その獰猛な牙の内から何かを漏らした。



「フクォグル イグラ」



重く、大気を震わせる。

ただ言葉を放つだけで、震撼するような畏怖がオークどもの総身に走った。


それは言葉だった。

なにかの言語だった。

それを聞いても意味が理解できる者は誰一人いなかったけれど。


ただ…それを聞いたほとんどの者はこう悟った。



『どうしようもない』と。



あまりに圧倒的過ぎて、抵抗という発想すら湧いてこない。

相手がこちらを殺そうと思えば、ただただどうしようもなく、死ぬ。

抵抗の余地などありはしない。

もう目の前の相手の裁きに身を任せるしかないのだと。



その赤竜は首一つ動かせず、ただ己に対する畏怖のみに彩られたその卑小な連中の瞳に満足すると…

大きく口を開け、その喉奥にまばゆい紅蓮の光芒を生み出した。



ごおう、という音がした。

それは彼から放たれた炎が放つ轟音だった。

その炎は彼の口から放射状に広がり、村をまるごと呑み込んでゆく。


竜はその鱗の色によって司る力が違う。

紅の鱗を身に纏うイクスク・ヴェクヲクスが放つのは…あらゆるものを焼き尽くす焦熱の炎であった。


燃えてゆく、などという表現すら生ぬるい。

一瞬ですべてが焼け焦げ、人も、家も、あらゆるものが黒く染まってゆく。




あまりにも圧倒的で、そして平等な終焉が、その村に訪れた。




だが…けれど。

その火炎の吐息の轟音に混じるように、何者かの雄たけびが、響く。



「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」



その体が自由を奪われる直前、彼…この村の族長ヌヴォリは、己の斧を素早く下に向けた。

油断してぎりぎりまで低く飛んできたらその腹を下から振り上げるようにして叩き斬ってやろうとしたのだ。


だが見上げる直前に彼は直感する。



「これはいかん」と。



一度上げた顔は止められぬ。

彼は咄嗟に己の斧をわずかに上げて、己の脚の上へとずらしたところで…金縛りにあったかのようにその動きをびたりと止めてしまった。


動けない。

動かない。


湧きたつ恐怖。

湧き上がる畏怖。

助からない。

死ぬ。

死んでしまう。

そんな感情が彼に襲い掛かった。



けれど…そこまで追い詰められて尚、彼には、彼にだけ浮かばなかった感情があった。



「かないっこない」だ。



死は避けられぬやもしれぬ。

喩え挑んだところで返り討ちに会うやもしれぬ。


だがそれでも抗える。

抵抗はできる。

オーク族の、そしてその族長としての誇りに賭けて、その鱗に傷のひとつでもつけてみせる。



そう、その神が如き威容を前にしてすら、彼の反骨が揺らぐことも覆ることもなかったのである。



だが動かない。

その身が動かない。


動け。

動け。


いやそこまで高望みをするな。

向こうが怖がらせようとしているのだ。

存分に怖がってやれ。



震えろ。

その身をぶるぶると震わせろ。



そうだ、その調子だ。

……!



どずん、と彼の震える指から斧が滑り落ち、その足の甲に突き刺さった。

ヌヴォリの斧の先端…斧頭おのがしらは尖っていて、いざというときに斧を突き出し相手を刺し殺すことができるようになっていた。

一種の長柄武器ポールアームのようなものとして用いていたのだろう。

それが今、彼の足を貫いていた。


全身に走る激痛…だがそんな程度でその身を襲う金縛りは消えてくれぬ。

けれどその痛みに加え、全身に湧きたつような憤怒と闘争心がその竜が放つ威容と畏怖とを打ち破った。



雄たけびを上げた彼は取り落とした斧を素早く片手でひっつかみ、その竜が口を開け炎の吐息を放つ瞬間、己の身を限りなく低く前傾させ突進した。


竜の吐息は口から放射状に広がり全てを焼き尽くす

炎を出すのは竜がもたげた首の上、その口からだ。

ゆえに炎を放つ起点の真下に飛び込めば、その灼熱の炎は届かない。





「誰モ彼モガ…貴様ニ怯エルト思ウナアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」






口から炎は出せねども…そう咆哮したヌヴォリが、大斧を振りかぶってその巨大な赤竜へと躍りかかった。







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