第428話 ヌヴォリの智謀

「元気な赤ちゃんよ。頑張ったわね」

「ああ…私の赤ちゃん……!」


肌の黒い娘が取り上げた己の赤子に、震える手を伸ばす娘。


「ありがとうございますギス様。ありがとうございます……っ!」

「仕事だから気にしないで。さ、お腹の傷がふさがりやすいようにしてあげるから、じっとしてて」


師である西丘のまじない師、モーズグ・フェスレクに習った薬草を塗り、を唱える。

オーク族のまじない師特有の呪術〈なおり傷オラグミューメイ〉により、妊娠のために開いた傷の治りが早くなり、また膨らんだ腹がたるまずに元に戻る。


元々は攫ってきた娘らが幾度も幾度も出産できるようにと編み出された呪術なのだろうけれど、今では女性たちが出産後も元の生活や体型を取り戻す大きな援けとなっていた。

何とも皮肉な話だ、とギスは内心意地悪く笑う。


その後母親の手当と子供の世話をして、夫であるオークに幾度も頭を下げられて家路につく。

想定していたよりもだいぶ早産で、急な陣痛に肝を冷やしたけれど、どうやらなんとか無事処置できたようでギスはほっと一息ついた。


ここはヴォヴルグ村。

クラスク市の北部に点在する他部族のオーク達の集落のひとつ。

オーク語で『九番目』という意味だ。


ギスはそこに夫であるイェーヴフと共に派遣されていた。

正確には各村ごとにクラスク市のオークが一人選出され、他部族のオーク達の教育と指導を任されており、イェーヴフはこの村の監督役を任ぜられたのだ。


クラスク市の北部、族長代理…もとい新族長ゲヴィクル率いる北原ヴェクルグ・ブクオヴ村の周囲に新たに生まれたクラスク市のオーク衛星都市…いや正確にはまだ小村だが…は全部で十。


その一つを任されるとなればかなりの重責であり、また大任である。

それは若手でありながらイェーヴフが相当評価されているということであり、当然彼は勇躍してこの任務を受けた。


「あ、奥様、お疲れ様です」

「ギス様、ご機嫌よう」


酒壺を運んでいる娘らがうやうやしくギスに会釈をし、ギスの横を通り過ぎる。

彼女の夫イェーヴフが任されたこの村は東山ウクル・ウィール西丘ミクルゴック西谷ミクルナッキーといった主要部族のオーク達の村ではない。

いわばそれら大部族の周辺に点在する小部族のオーク達が集められた村だ。


重要度という意味では他の村に劣る。

若いイェーヴフにはまだ重要な拠点を任せられぬ、という事だろう。


だがイェーヴフは力ある族長がいないことをいいことに村のオーク達を己の指導力でまとめ上げ、彼らへの教育を率先して行った。

お陰で他村に比べオーク達の共通語ギンニムの習熟度が上がり、彼の評価をますます高めることとなっていた。


「それにしても…」


ギスは医療用の道具の詰まったザックを肩から下げながら村を眺める。

村娘たちが元気よく仕事をして、男達が畑作業の準備をしている。

なんとものんびりとした農村の風景だ。

その男連中が皆オーク族だという事を除けば、だが。



問題は…そこに、その村の風景にギスが含まれていることである。



彼女の肌の色は黒い。

黒エルフブレイの血を引いているからだ。


黒エルフブレイといえば地底からやってくる残虐で危険な種族であり、皆から恐れられ嫌われている憎まれている。

街中を歩いたりすればたちまち衛兵につかまり拷問、特に身の覚えがなくても死刑…とまでされても仕方ない程である。


そんな彼女がこの村ではすっかり普通の村人として生活できている。

さすがに他国や他の街の連中の往来の激しいクラスク市ではこの肌の色のまま出歩くことは難しいけれど、この村では安寧した生活を送ることができていた。

いや産婆として優れた手腕を発揮している分、むしろ尊敬されている程である。


それは彼女には望外のことであった。

かつてキャスと共に路地裏で過ごしていた頃、この肌の色では生涯まともな生活は遅れないだろうと決めつけていた。

実際幾度この人生をやり直そうと、ほとんどの生涯に於いてきっとそうであったはずなのだ。


だがそれが今覆っている。

それもよりにもよってオーク族の妻女に収まって、だ。

なんとも皮肉極まりない話ではないか。


「ギス!」

「あなた」


オーク達に何か指示をしていたイェーヴフが小走りに駆けてくる。


「出産ハ」

「なんとか」

「フウ…無事ニ済ンダナラ何ヨリダ」


額の汗をぬぐいながらイェーヴフがほっと息をつく。

彼は計算高く打算的で、もし死産など出そうものなら己の評価が下がってしまうと危惧しているのだ。

腹芸の不得手なオークにしては珍しいタイプだと言える。


ただ彼の上役はクラスクであり、彼に下される命は基本クラスクとミエの意向によるものだ。

彼らの期待に応える、ということはすなわち善良であれ、ということとほぼ同義であり、結果イェーヴフは己の出世のために邁進する事で周囲に善行を振りまいていることになる。


「ドウシタンダ。調子デモ悪イノカ」

「いえ…まさかこんな日が来るだなんて思わなくって」

「? 変ナ奴ダナ」


イェーヴフは不思議そうに首を捻った。

ギスにとって母の仇である黒エルフブレイの父親は死んだ。

彼女の人生の目的…いや願望の一つが図らずもこの村で叶った形である。

そして望外の平穏な暮らしまで手に入れられた。



…手に、入れてしまった。



それが感慨深くて、彼女は珍しくセンチメンタリズムに浸ってしまっていたのだ。


「…ナンダ?」


と、その時イェーヴフが怪訝そうに後ろに振り返った。

村のオーク達のざわめきに聞き捨てられぬものを感じたのだ。


「オオイドウシタオ前ラ! ナニ? 上?」


イェーヴフはオーク達が指さす上を見上げて…




そして。




×        ×        ×




「大変ダ大変ダ大変ダアアアアアアアアアアアア!!」

「ドウシタ! 騒々シイ!」


ドックル村で畑仕事を終えて蜂蜜酒をあおるオーク達めがけて村の外からオークが全力疾走してきた。

東山ウクル・ウィール族長『虎殺し』ヌヴォリが、堪能していた酒が不味くなると怒鳴り返す。


「デックルグ村ガ…デックルグ村ガ、ネエ!」

「ネエ? …ネエッテノハドウイウコトダ。イキナリ消エタノカ」


話半分に聞くヌヴォリとその周りのオークども。

だがそのオークはぶんぶんと首を振って興奮しながらまくしたてる。


「村ガ一面黒コゲダ! 全滅シタ!!」


聞いた途端ヌヴォリの表情が引き締まり、他のオークどもも急ぎ手にした杯をあおって飲み干し、空になった杯を放り捨てる。


「全員武器用ー意!」

「「「ハッ!」」」


ヌヴォリの指示の下全員急ぎ家に戻り斧を手に戻ってくる。

この世界には瘴気に侵された魔獣をはじめ、危険な怪物は枚挙にいとまがない。


村が黒焦げなら何者かに焼き払われたのだろう。

火を吐き人を食らう化け物が突然襲撃してきてもなんらおかしくはない、という程度には彼らも危機意識を持っていた。


「女ドモハ各自家ニ入レ! 俺達ガ呼ブマデ出テ来ンナ!」

「「「は、はいっ!」」」


ヌヴォリが叫んだのはオーク語だった…というか、困ったとこにこの族長殿は村でもっとも共通語ギンニムの習熟が遅れていた…が、幸いこの村の指導役であるドシーの妻テグラは優秀な教育者であったようで、村娘たちは皆その言葉を理解し急ぎ家の中へ飛び込み扉を閉めかんぬきをかけた。


「…デックルグガヤラレタトシテ…コノ村ニ来マスカネ」


配下のオークがなんとも不機嫌そうな顔のヌヴォリに恐る恐る尋ねる。

なにせデックルグはヌヴォリの手勢である東山ウクル・ウィール部族のオーク達が入植していたのだ。


一体誰がそんな大それたことをしでかしたのかはわからぬが、己の村のオークを焼き殺すなど決して許せぬと、ヌヴォリはそんな表情である。


「来ルダロウナ」

「ホントデスカ?!」

「マアタダノ勘ダガ…」


ヌヴォリは不機嫌そうに唇を捻じ曲げ、己の直感の理由を口にした。


「デックルグハコノ入植村ノ中ジャ一番北寄リダ」

「ソッスネ」

「北ノ荒野ハ視界ガ開ケテル。ホントニヤバイ奴ガ来タナラ村襲ウ前ニ気ヅイテ戦ウ準備スルハズ。アイツラガ不意打チナシデソウソウヤラレルトハ思エン。ソレニ敵襲ガアレバ急イデ周囲ノ村ニ伝令出スハズ。ソレガナイトスルト…ッテコトニナル」

「空カラ来テ、村ヲ焼キ尽クスッテ、マサカ…」


あわわ、とそのオークが戦いを前に珍しく狼狽える。


ヲ想定シロ。デ北ノ空カラヤッテ来たトシテモ、北ニモ北東ニモ連中ノ住処ガネエ。アルナラ西ダロ」

トカゲ山ウィーヴフ・クォジャクフカ!!」


ちなみにトカゲ山ウィーヴフ・クォジャクフはオーク語の呼び方である。

共通語ギンニムならばその山の名はこう変わる。




すなわち赤蛇山脈ロビリン・ニアムゼムト

そして赤蛇山ニアムズ・ロビリンだ。




族長の言葉とその頭の冴えに隣のオークが舌を巻く。

実際考えなしのオークに見える『虎殺し』ヌヴォリだけれど、こと戦いと殺戮に関してはかなり頭が回るのである。


「ソウダ。。北ノ端ノデックルグヲ潰シタトシテ、ソノママコッチノ手ガ厚クナル南ニハ行カネエダロウ。トナレバソノ後ノ進路……ハ西カ南西ダ」

「ツマリエーット…南西ガ…アー、ウチダカラ…?」

「ヴォヴルグノ村カココダナ。或イハソノ両方カ」

「「「オオオオオオオー!」」」


彼らも族長ヌヴォリのこういう時の冴えはよく知っており、感嘆の声を上げる。


「マア所詮タダノ勘ダガ…」


そう告げながら、ヌヴォリはとんとん、と己のこめかみを人差し指で叩いた。


「俺ノ勘ハ良ク当タル」


そして…彼の直感通り…







、が空よりやってきた。






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