第417話 甘い大革命

偉大なるちっちゃな料理長ズロエザム・グフォー


いつの間にか、トニアはそう呼ばれるようになっていた。

本来は北方語で『偉大なるズロエーズ』と『ちっちゃいザムゥ』という言葉がそれぞれ独立して用いられていたのだが、何度も呼ばれるうちに縮められ一つの単語のようになってしまったものらしい。


オークの街で最初に作られた酒場……オーク族が店主の『オーク亭』。

そのなんともインパクトのある店で絶品の料理を提供し続けてきた小人族フィダスの料理人。

危険なはずのオーク族と小柄な小人族フィダスという見る者によってはショックを受けかねないレベルの種族差夫婦。

そんな彼女の間延びした、緊張感をまるで感じさせぬ声音から連想される柔和さと平和性。

そして二人の仲睦まじさからイメージされる種族間の融和。


トニアはいつの間にかクラスク夫婦と同様『オーク族と他種族が仲良くできる象徴』の一人として近隣でも有名になっていたのである。


さて、そんな彼女が新たな店オープンするにあたってその新しいメニューの試作品を作っては『オーク亭』で提供していた。

『本日の料理長のおすすめ(10品限定)』などといった謳い文句で試作用のケーキなどをデザートとしてお出ししていたのである、


酒と言えばそのつまみとして辛い物や油物を連想することも多いが、酒には甘いものもよく合うのだ。

そうした取り合わせネラエッツォ…ミエの世界で言うならいわゆる『マリアージュ』に当たるものだろうか…を専門に扱うう店もあるほどである。


彼女の提供するその甘味のあまりの旨さに注文した客たちは仰天、その反応を見て他の客たちからの注文が殺到し、たちまちその味は街中に広まった。

数量限定というレアさも手伝って酒場は大盛況し、特に甘いものと聞いて普段『オークが寄り付くから』とか『酒場はちょっと苦手…』と敬遠していた女性達までが訪れるようになり、中には店を気に入ってそのまま常連となり、酒場で知り合ったオークに口説かれてそのまま結婚…などという娘まで現れたほどだ。


ともあれそんな風に事前の味のリサーチと希少性を存分にアピールした上で、その『ケーキ屋さんヴェサットラオ・トニア』はオープンしたわけである。

それは大行列にもなろうというものだ。


ちなみにこの世界においてはケーキ屋さんヴェサットラオは先述の通りパン屋さんデクルゥの一種と考えられている。

これはこの世界のケーキの製法自体が未だパンと大差ないためだ。


さてレストラン街の一角にオープンしたそのケーキ屋さんはまずそのディスプレイで客を驚かせた。

特注の幅広な冷蔵庫に美しく色を塗り、かつ前方の扉を魔術によって透き通るようにして中が見えるようにしたのだ。

これにより良好な保存状態を保ったままケーキを陳列する事ができるのである。


さらに客を驚かせたのはそのケーキのデザインだ。

ミエからするとごくごく普通のケーキたちは、けれど彼女の時代の彼女の眼に届くまでに長い長い年月をかけて洗練されてきた一流のデザイン達でもあるのだ。

ゆえに初見でそれを目撃した者達は、その芸術性すら感じさせる色合いとデザインに皆一様に息を飲むこととなった。


そして種類の多さもまたこの店の特筆すべきところだった。

ショートケーキトフィルスジェッコシフォンケーキグファッヒムジェッコロールケーキリルジェッコなどのスポンジケーキ。

パウンドケーキヴィアムジェッコマフィンナッハムなどのバターケーキ。

ミルフィーユスフィアティーム・ロアーアップルパイエヴロヴオなどのパイ類。

シュークリームギアデアツォ・イグローエンエクレアオグレアルなどのシュー菓子。

さらにはプリンヴァラモ、色とりどりのゼリーオポールなどなど…この世界としては考えられない程の多種多様なスイーツが並ぶこととなった。


特に卵を白身と黄味に分けて泡立てる別立て法が未だ確立されていなかったこの世界に於いては、きめ細やかなスポンジケーキがかなり目新しく、特に人気が高かった。

またバターや小麦粉などを用いたいわゆるシュー生地を用いた料理はこの世界にも存在したが、主に油で揚げて利用されており、膨らませたものにそのままクリームを入れて供する、という形態はどうやらこの店が初めてのようで、その新奇な触感は食通の貴族をも唸らせたという。


そして何より味である。

手回し式遠心分離機グローエン・トヴェルシルにより安定してクリームが入手できるようになったことでふんだんに使われている生クリーム。

たっぷりと使われている甜菜糖のコクのある味わい、豊富な果物の触感、さらには美しい見た目…などなど、他国のケーキ屋さんヴェサットラオを圧倒するほどの出来栄えであり、その噂を聞きつけ隣国の貴族までが買い求めに来たこともあったし、あまつさえトニアを半ば強引に宮廷料理人として召し抱えようと者すらあった。


その時は亭主であるクハソークが暴れ出しそうになり、あわや大事件になる寸前だったという。


またとある大国の首都でケーキ屋さんヴェサットラオを営んでいた店主がこの店のケーキを口にして『我が研鑽を数世紀は凌駕する味だ』と落涙し、そのまま店を畳んでトニアの下に弟子入り志願としてやってきたこともあり、そうした噂は瞬く間に尾ひれがついて近隣諸国に広まっていった。

まあ数世紀分時代を飛び超えているのは全くもって間違いではないので、むしろその店主の目利きの方に感心するべきなのだけれど。


ただ…ミエの想定通りにゆかぬ点もたくさんあった。

彼女の理想とするケーキ屋さんには幾つか致命的に足りないものがあったのだ。


一つは栗である。

栗と言えばモンブラン。

モンブランと言えば栗。

ミエの大好物のひとつである。


…なのだが、アルザス王国には栗の木がまったく、本当に一本も生えていなかったのだ。


「ううん…クリグフォットマスって訳語があるんだから存在はしてるはずなんですけどねえ」

クリグフォットマス? 確かイゼッタの方に生えてるトゲトゲの実をつける奴ニャ」

「そう! それですアーリさん!!」


という具合で急ぎ栗苗を輸入して植樹したのだけれど、栗が結実するのはだいたい植えてから三年くらいと言われている。

イエタの〈祝福ットード〉やサフィナの不思議な力で成長を早めたところで流石に今年収穫にはなってくれぬだろう。

というわけでモンブランは残念ながらしばしのお預けとなった。



そしてもう一つ、ミエの知っているケーキ屋との最大の相違点にして致命的に欠けているもの…それが『チョコ』である。



チョコレートケーキ、ガトーショコラ、ザッハトルテ、ブラウニー、チョコトルテなどなどチョコを使用したケーキは枚挙に暇がない。

ミエの世界の人間が『お菓子』と聞かれて名を上げてゆけば、必ずそのどれかにはチョコレートが使用されているはずだ。


けれどこの街にはチョコが…もっと言えばその原材料足るカカオが存在しないのだ。


これに関してはシャミルとアーリも知らぬと言うし、そもそもミエの与えられたこの世界の単語を思い返してみてもまず訳語として存在していない。

つまり本当に存在していない可能性がある。


とはいえミエが与えられたこの世界の共通語はその全ての単語を網羅しているわけではない事がわかっているし、単にこちらが知らぬだけでこの世界のどこかには存在するかもしれないけれど、少なくともこの地方には一切出回っていないようなのである。

ゆえにミエは泣く泣くチョコケーキに関しては諦めざるを得なかったのだ。






そして…最後に、ミエがちょっと頭を抱えるケーキが誕生することになる。





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