第418話 ミエちゃんのタルト

「うーん、うーん…」

ミエちゃんミエイーミエちゃんミエイー、どうかしたんですかぁー?」

「あー、えっとですね…ケーキの名前についてなんですけど…」

「ミエちゃん詳しいですよねぇ」

「そうなんですけどぉ…」


店に並べるケーキについて試行錯誤していた頃、ミエとトニアでケーキの名称について雑談していたことがあった。


「たとえば『サクサクしたショート』『ケーキ』だからさくさくケーキトフィルスジェッコとか、『千枚のミル』『葉っぱ《フィーユ》』だから千枚の葉スフィアティーム・ロアーだとか、『キャベツのシュー』『クリーム』だからシュークリームギアデアツォ・イグローエンだとか、名前が直接翻訳できるのはそれでいいんですよ。あとはパイヴオとかマフィンナッハムみたいに最初からこっちの世k…地方にあるものならそのままそれを使えばいいわけですし」

「ほあー…ミエちゃんは物知りですねえ」

「そんなでもないです」


命名については、どうやら彼女なりに工夫してこの世界に持ち込んでいるようだ。

まあショートケーキの名前の由来については彼女が知っているものも諸説の一つに過ぎないのだが。


「でー…何が問題なんですぅー?」

「クラフティです」


クラフティとは果物をタルト生地の中に並べ、そこに卵・牛乳。クリーム・砂糖・小麦粉とまさにこの街で取れる素材を混ぜた生地を流し込んで焼き上げる菓子である。

トニアが作ったそれはサクランボではなくリンゴが使用されており、また歯ごたえを生むためにナッツ類が混ぜ込まれている逸品だ。


ちなみにナッツとして使用されているのは主にクルミとアーモンド。

この世界ではクルミイアーマスアーモンドアーニムゥと呼ばれている。

訳語があるという事は当然実物もあるという事で、ミエがケーキ作りの際アーリに頼んで取り寄せてもらったのだ。


聞けばクルミの方はこの盆地にも元から自生しているそうで、普通に食用として利用されていたらしい。

まあ元から生えているという事はその樹、もしくは先祖の世代で瘴気に侵されていた事になるのだけれど、瘴気開拓民はそのあたりあまり気にしないものらしい。


一方のアーモンドはこの辺りには生えておらず、南方からの輸入に頼ることとなった。

ただ物が小さいので数を仕入れることが可能なのと、輸入価格自体はだいぶ手頃だったため、仕入れにさほど困ることはなかったようだ。


「あー、クラフティー、これ美味しいですよねぇー」

「それについてはトニアさんのお手柄なのでいいんですけど…私これの知らないんですよね。クラフティ…ってなんでしょう?」

「なんでしょおねぇー?」


二人で顔を見合わせて首を捻る。

ちなみにミエは知らぬがクラフティは語源としては『釘付け』的な意味である。

クラフティの原型に使用されていた果物はサクランボと言われており、その姿が釘を連想させたのが由来だろうか。


ともあれミエはそのケーキの由来を知らず、由来がわからぬゆえこの世界の言葉に直す事ができなかったわけだ。


「ならぁ、そのままクラフティでいいんじゃないですかぁー?」

「ですかねえ。まあ悩んでも仕方ないですし、そのままにしちゃいましょうか!」


というわけでクラフティだけはそのまんまクラフティという名で売り出され、その後各地で作られる同種のケーキもそう名乗るようになっていった。


そして…


「あとは固有名詞どうしましょうか。これとか」

「このバターケーキダッソルジェッコですかぁー。貝殻って見た事ないですけど綺麗ですよねぇー」


貝殻状のバターケーキと言えば当然、定番であるマドレーヌである。

二人の前にもまさにその試作品が皿に乗っており、トニアの仕上げたその絶品をミエが瞳を輝かせながら堪能していた。


「これの名前って確か元は人名なんですよね」

「まどれーぬさんですかぁー?」

「そうそう。でもこっちだと元の人名である意味はないですし…あ、そうだ」


ぽむ、と手を叩いたミエは腰を折ってトニアと視線を合わせる。


「いっそこのケーキの名前『トニア』にしません?」

「えええええ~~? わたしの名前ですかぁ~~?」


その提案には流石のトニアも驚いたのか目を丸くする。


「でもぉ、自分の名前のケーキを売るのはぁー、ちょっとぉー」


はわわ、と珍しくうろたえてしどろもどろになるトニア。


「可愛い! トニアさん可愛い! じゃなくていいじゃないですかいいじゃないですか。天才パティシエヴェサッツォルトニアのオリジナルケーキ! ってことで!」

オリジナルイラズマーではないですよぉー、ミエちゃんのアイデアを元にですねぇー」

「まあまあまあまあ。細かいことは気にしないで♪」

「細かくないですぅー」


なんとか押し留めようとするトニアに食い下がるミエ。

事態はそのまま硬直状態に陥る…と思いきや。


「…そう言えばぁ、同じように悩んでるケーキがさっきもう一つありましたよねぇー?」

「ふぇ? ああタルトゼルス・タタンのことでしょうか」

「そーれーでーすぅー」


タルトとはタルト生地を用いてその上にクリームやジャムなどを入れた菓子であり、元は不定形で食べにくいものを食べるために作られた『器』だったと考えられている。

そのような成り立ちのため世界は違っても需要があったようで、同様の手法と同じような成立過程を経た生地と焼き方がこちらの世界にも存在していた。

この世界ではそうした焼き物のことをゼルスと呼ぶ。


ただ…の方には訳語が存在しない。

それもそのはず、タタンとはこの菓子を発明した職人のいたホテルの名前であり、そしてホテルを経営していた姉妹の姓なのだ。


「これもぉー、ミエちゃんのアイデアで作られたお菓子なんですからぁー、『ミエちゃんミエィー』て名前にして売り出しましょー。それならこっちの名前も[トニア]でだいじょーぶですー」

「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


恥ずかしい。

それはかなり恥ずかしい。

特にちゃん付けが恥ずかしい。


タルトゼルスー、ミエちゃんミエィーですからー、『ミエちゃんのタルトゼルス・ミエィー』ですねぇー」

「ちょっと待ってちょっと待ってちょっとお待ちつかーさい!」


動転して言葉遣いが変なことになるミエ。


「待ちませーん。じゃあ値札のとこに名前書いちゃいますねー。こっちはトニアでー、こっちにはミエちゃんのタルトゼルス・ミエィーですー、っとー」

「きゃー! きゃー! せめてちゃんづけは! ちゃんづけはやめてくださぁぁぁい!!」


わきゃわきゃと値札の奪い合いをする二人。

けれど結局トニアが折れることはなく、ミエは泣く泣くその名を受け入れるしかなかった。

小人族フィダスは一見柔和なようでいて、一度決めるとなかなかに頑固なのだ。



というわけで、この世界の者達が知らぬケーキが他のケーキたちと一緒にお披露目された。



クラフティも、店主の名を冠したトニアも、そしてミエちゃんのタルトゼルス・ミエィーも大好評を博し、毎日長蛇の列で客が買い求めた。


そんな大繁盛している店の前を通るごとに、ミエは店内から響くそのケーキの名を聞いてはしばらくのたうち廻っていたという。






その後…この街で修業し独立したケーキ職人たちが各地で店を出し、その高い技術力と造形美でその地方を席巻していった。

その際ミエちゃんのタルトゼルス・ミエィーもまた広まっていったのだけれど…名が広まるにつれ原義が徐々に薄れ、忘れ去られていって、ついには『ゼルスミエイー』という名の、単なるケーキの種類の一つとして定着してしまったという。






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