第416話 レストラン街

スイーツ…女子を語る時に切り離すことのできぬもの。

できたてのアツアツももちろん美味しいが、大抵の店売りは冷やして販売されている事が多い。


常に出来立てを、すぐに食べられる御家庭の味と異なり、店舗販売の場合は『冷めても美味しい』『時間が経っても美味しい』を前提に味造りをしなければならないからだ。



そしてそれを成立させているのが…冷蔵技術である。



この街は遂にそれを手に入れた。

食品を冷やし供することのできる魔具を。


それを受けてミエが動き出す。

そう、



…誤解のないように言っておくが、この世界にもケーキは存在する。

ただそれは『豪勢なパン』とあまり変わらぬものだった。


だが今やこのクラスク市には『ミエの世界に於けるケーキ』を作る殆どの材料が揃っている。

なにせ小麦粉、牛乳、砂糖、卵、果物などが全て自分の街で、それも果物を除けばほぼ恒常的に入手できるのである。

これを活用せずして何が女子か、とミエは発奮し、料理大好きトニアと共にスイーツづくりに乗り出したのだ。


ただこの際幾つかの問題が発生した。

一つ目はケーキと言えば忘れてはならぬもの、生クリームである。


この世界にはケーキ同様クリームも存在していた。

ただこれまではあまり一般的にはなっていなかったのだ。


なにせクリームを集めるために牛乳を放置し、比重の差から牛乳と分かれたクリームを掬い取って集めて…と言った非常に手間のかかる方法を延々と繰り返し行わなければならなかったからだ。

それゆえ生クリームは非常に高価で、専属の料理人を抱えている王国貴族でもなければ味わう事のできないものだった。


だがそこはこの街にはシャミルがいる。

ミエのアイデアを聞いて瞳を輝かせたシャミルさすぐさまそれの製造に取り掛かり、ほんの数日でほぼほぼミエのイメージ通りのものを造り上げて来た。


すなわち手回し式遠心分離機グローエン・トヴェルシル

いわゆるクリームセパレータと呼ばれるものだ。


この装置の中に牛乳を入れ手回し式のハンドルを回すと内部で牛乳が高速回転し、比重の差から牛乳とクリームを分離することができる。

これまでのクリーム作りとは段違いの速度と精度である。

これによりこの街はクリームを容易に、そして大量に製造する手法を手に入れた。


次に問題となったのはミエの世界のケーキ…それもスポンジケーキに欠かせぬもの…ベーキングパウダー。

要はふくらし粉の事である。


ベーキングパウダーは重曹があれば比較的簡単に作ることができるのだが、そもそもその重曹を手に入れる方法がない。

原始的な入手法として海藻や干上がった塩湖などからソーダ灰を造ることが可能だが、内陸盆地のこの国ではそれすら難しい。


そこでミエはより古い造り方…すなわちベーキングパウダーに頼らず、この街のお家芸である酵母の発酵によりスポンジを膨らませる事にした。

試してみたところ問題なくスポンジを造ることができた……が、酵母頼りのせいで彼女の知っている製法よりだいぶ膨らむまで時間がかかってしまうようで、これは必要コストとして諦めるより他なかった。


こうして試行錯誤の末にこの世界のショートケーキ第一号が完成した。

まあ使われている果物はイチゴではなく野イチゴであったが。


「これ…美味しい! すっごい美味しいですトニアさん!」

「ほんとですねぇー、ミエちゃんはすごいですねえ」

「すごいのはトニアさんですよぅ!」


味見をして互いに顔を見合わせ手を取り合った二人が快哉を叫んだ。

想像以上に出来がよかったようだ。


ただミエがかつて食べたケーキに比べるとこの世界のそれはほんの少しだけ違和感があった。

食べた時に少しだけのだ。

こうつぶつぶというかちょっとガリッとしたレベルで砂糖が残っているのである。


また甘さにも少し癖があるというか、コクがある。

だがそれでいてさほどしつこくはない。


これはの問題ではなくの問題である。

彼女がかつて国にしたスイーツはその殆どが上白糖かもしくはグラニュー糖を使用したものだった。

これらは砂糖としてよりしっかりと精製されたものであり、癖がなく甘みが強い。


だがミエ達が今使っているのは甜菜糖である。

精製がそこまで進んでいないため糖蜜なども残り、純粋な甘味よりもコクや風味が勝る。

また上白糖などに比べ精製過程が少ないために糖の結晶が大きく、菓子などを作るとその粒が若干残ってしまい、舌にざらりとした感触が残ってしまうよう。

このあたりは好みの分かれるところだろうか。


ともあれ基本となるケーキが完成した。

それを元にミエはかつて己の世界にあった様々なケーキの見た目や味を思い出しつつトニアと共に再現に勤しんだ。



そして中街の一等地、オーク亭のすぐ近くにパティシエ・トニアを店主とした『ケーキ屋さんヴェサットラオ・トニア』をオープンしたのである。



だが元クラスク村の敷地に広がる中町…二重城壁の内側は今や家が縦に連なるほどの飽和状態であり、新たに店舗を開く余地などありはしない。

一体どうやって敷地を確保したのだろうか。


オーク亭は初期から村にある店舗の中で珍しくその立地を変えていない。

当初店の横に並んでいたのは野菜などを売る軒売りで、彼らはやがて卸売業に転身し屋内市場へと移動したのち現在下町北部へとその拠点を移している。


その後店の横に並んだのは食堂が多かった。

人口が増えるに従い食事する場所の需要が増え、屋台で串焼きなどを売っていた店が次々に店舗を建てて雑多な商店街の一角を形成していった。


そこでミエとシャミルは店舗の位置を入れ替えて、食堂や喫茶店をオーク亭の横に寄せそれ以外を脇にずらし、さらに商店街を通りに対し横ではなく縦にまとめてしまった。

要は酒場の脇に奥の通りへと続く一本の道を作ってその左右に食堂をずらっと並べ、そこにケーキ屋さんヴェサットラオ・トニア』をねじ込んだのだ。



いわゆる『レストラン街』の誕生である。



通常こうした区画整理は賛成や反対が分かれ反対派の地権者などとの交渉が難航しなかなか計画が進まぬものだがこの街の場合は些か事情が異なる。

全ての土地が市長クラスクの所有物である以上、どんなに嫌がっても最終的にオーク達が群れてやってきて叩き壊されてしまうからだ。


そもそもこの計画に反対した店は一軒もなかった。

移築の際の建築費用はほとんど街が持ってくれる上に、ミエやクラスクがやるなら間違いなかろう、という強い信頼があったためだ。


結果生まれたこのレストラン街はこの町の新たな名所となり、オーク亭ともどもさらに繁盛する事になるが、これはまた別の話。


さて、トニアが開くこととなったケーキ屋さんヴェサットラオとはこの世界におけるケーキなどの甘味を販売する店舗であり、相当大きな街のそれも裕福な住宅街の近くでなくば存在しないタイプの店だ。

急速発展中とはいえこの規模の街に作られるのは相当珍しいと言える。


トニアは今や近隣の街にも名の知られる酒場オーク亭の看板料理長であり、彼女が酒場からいなくなる影響は少なくない。

一応ケーキ屋さんヴェサットラオの方は昼間、酒場の方は夜がかき入れ時なのでどちらも務めることは可能ではあるが、彼女に無理はさせたくないとミエおよび酒場の亭主のクハソークが反対し、当分の間ケーキ屋さんヴェサットラオに専念することとなった。


幸いオーク亭は街の繁栄と共に大繁盛し店舗を拡大させており、さらには中町と下町に支店を持つまでに至っており、第一支店の店長を本店の臨時料理長として抜擢することで酒場の方はやりくりすることと相成った。






そして迎えた開店当日……そのケーキ屋さんヴェサットラオには長蛇の列ができていた。






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