第八章 平穏、そして激震

第415話 変化

クラスク市市長・大オーククラスク、ドワーフの街より帰還せり。

この一方は衝撃と驚嘆を以て近隣諸国に知れ渡った。


なにせドワーフである。

オークの名を聞くだけで不機嫌になり、見かければ問答無用で斧を抜き放ち躍りかかるあのドワーフ族である。


まあそれはかつて歴史の中でオーク族がさんざん非道な真似をしてドワーフ族を殺傷してきた歴史があってこそであり、ある意味彼らの反応も已む無しといったレベルではあるのだけれど、それはそれとしてそのドワーフ族である。


一体オークの身で彼らの矛…もとい斧をどうやって下げさせたのか。

どうやって彼らと交渉したのか。

そしてどんな魔術で彼らを篭絡したのか。


あり得ない。

あるはずがない。

だが、けれど、もしやして。



クラスクなら…



その街の市長は、今やそう語られる域で評判となっているのだ。


さて、方々で飛び交う噂や流言飛語は置いておいて、ともあれドワーフ族との交渉は為った。

正確にはドワーフ族そのものとではなく、あくまでネッカの家族とのみの個別交渉ではあるのだけれど、いずれにせよ冷蔵庫の増産の目処が立った。



そうしてその商品は初めは少しずつ…その後火が点いたように一気に売れ始めた。



そのことの起こりは貴族達にあった。

クラスクが広めた模型やジオラマを趣味。

それらを貴族達に届けるついでに冷蔵庫を売り込んだのだ。

貴族達はその利便性に目を丸くし、さらに蓄熱池エガナレシルの再利用性にも驚嘆し、こぞって買い求めた。


ここで彼らに売りつけたのはシャミルが当初開発した正規の蓄熱池エガナレシルである。

つまりほぼ半永久的に再利用が可能な代物だ。


わざわざ質を落としおいて量産品を造り蓄熱池エガナレシルを集めてエネルギー源にしよう…などという議論が交わされたはずなのに、一体全体どうしてそうなったのだろうか。


これに関してはミエとアーリ、それにクラスクが相談と熟慮の末に決定した。


「貴族には『優越感』が必要ニャ」

「優越感?」

「『自分達は特別扱いされてる』『優遇されてる』って感覚ニャ。これを刺激してやることで交渉がスムーズに進むニャ」

「わーおアーリさんワルですねワル!」

「…ミエのその言葉遣いなんなんニャ」


一方クラスクが指摘したのは蓄熱池エガナレシルの軍事利用の危険についてだった。


蓄熱池エガナレシル安物にすルよくナイ。金のナイ奴安く交換すルため熱溜めテこっちに返す。デモ金のあル奴なら熱を溜めタ上デこっちに返さず新しイの買える」

「ああ…!」

「ニャるほど…一度気づかれたらうちら以外でもが可能にニャるってことかニャ」

「ソウダ。それ危険。デモ渡すの一個ダケなら大丈夫」

「確かにニャー。半永久的に再利用できるからこそ悪用できニャイってことかニャ」

「旦那様流石です! 素敵! 好きー!」


両手を広げて愛を叫びミエ。

熱い視線を交わし見つめ合う二人。

そしてひしと抱き合う。


「この夫婦どうにかするニャ」


最後にミエもまた二人の意見に賛同した。

理由は広告性の高さ、である。


「『貴族が使ってる冷蔵庫』ってネームバリュー、とてもいいと思います。性能にちょっと差があるのがまたいいですね」

「差があルのがイイのカ」

「はい! 『完全に同じもの』だと逆に大したことないものだって思われかねません。『貴族様が使っているものけど』っていうのが重要なんです」

「貴族と同じものを手に入れることで適度な優越感を味合わせニャらがニャがら自分の精一杯で支払ってっていう満足感も与える気かニャ。ミエは怖いこと考えるニャ―」

「え? そうなんですか?」

「そこは自覚しとくニャ」


ともあれ貴族達の間で冷蔵庫が評判となり、口づてに噂が広まり次々に注文が舞い込んだ。

そしてその噂が貴族の館の使用人たちから庶民の間でも広まったところで…いよいよ街の住人に冷蔵庫が売り出されたのだ。



飛ぶように、売れた。



憧憬と購買意欲を煽るだけ煽っておいてそこに街の補助による割引と月賦である。

毎月支払う額が少し多くとも皆が飛びついたのだ。


そしてそれは彼ら街の住人達に少なからぬ影響を与えた。


なにせ冷蔵である。

氷室などの助けを借りずものを冷やすことができるのだ。


野菜や果物などが聖職者たちの〈保存ミューセプロトルヴ〉なしに日持ちするようになり、作り過ぎた料理を翌日以降に回す事も、あらかじめ冷蔵庫で作り置いて後で温めて食べるといったことも可能となったのだ。

それは家庭における調理の革命である。


これまでも確かに食料の保存はできた。

できたけれどその都度聖職者に布施をしなければならず、権力者でもない庶民たちが普段の食事にそんなことをできるはずもない。

だから彼らは今まで基本その日食べ切る分しか買わなかったのだ。


だが冷蔵庫があると話は違ってくる。

例えば肉などでもその日食べる分だけ少量、ではなく数日から一週間かけて食べる分をまとめて買って冷蔵庫に放り込んでおくことが可能となったのだ。


店側としても少しずつ買われるよりは大量に買ってくれた方が在庫を抱えずに済むのでありがたい。

ゆえにこれまでは商人達の間でのみ行われていた『一度に大量に買った場合さらに値引きをする』、といった商法が一般庶民相手の商売でも広まっていった。


いわゆる『まとめ買い』需要の発生である。


さらに熱をため込んだ蓄熱池エガナレシルは専用の器具…放熱器フォース・ルーサイモルに取り付けることで熱を放出し、煮炊きなどの調理に使えるようになる。

初めてシャミルが作った時よりだいぶ洗練され、扱いやすくなっており、いわゆる携帯用ガスコンロのようなものだ。


重要なのは…その放熱器フォース・ルーサイモル、という点である。


今までは火の元と言えば竈や囲炉裏、或いは暖炉などであり、それらはいずれも家の中の固定された場所にしか存在しなかった。

当然煮炊きもそこで行わざるを得ない。


けれど蓄熱池エガナレシル放熱器フォース・ルーサイモルは簡単に携帯し、調理する場所を変えられる。


これにより例えばテーブルの上に放熱器フォース・ルーサイモルを置いて鍋を温めながら食事をしたり、或いは外に出てのんびりと畑を眺めながら川下りなどを愉しみつつどこぞの草原で簡単な料理をしたり、といった事が可能になった。


つまり『食事スタイルの変化』である。


そして冷蔵庫が増産されるという事は蓄熱池エガナレシルが量産されるという事であり、それは同時に原材料である火輪草の大量栽培需要が発生する、ということである。


それにより街の北に新たに構築された各氏族のオークの村々は蜜蜂のために火輪草を大量に栽培し、その後それを蓄熱池エガナレシルの材料として売る…と言った商売が可能となった。

これにより当初の予定よりも金銭が多く流通することとなり、その金が村を潤し、オーク達に金銭の価値を理解浸透させ、さらには火輪草の種まきや摘み取りと言った手間のかかる作業に従事する女性達の評価を彼らの内で高めさせた。


オーク達に金に価値があるということを学ばせることで、同時に金を稼げる女性達の地位を向上させることに成功したのだ。

本来蜂蜜関連作業でじっくり行うはずだったその教育成果を、少し早めに実現できたことになる。



『他部族のオーク達の教育』もまたこうして進むこととなったのだ。



さて…それらの変革に加え、冷蔵庫はさらなる大きな変革をこの街に引き起こす事になる。


冷蔵庫は物を冷やす。

当たり前のことだ。


この時冷やす事によって食味が変わったり食管が良くなる料理が存在する。

これまではそうした事がやりたくてもできなかったのだけれど、冷蔵庫の普及によってそれも可能となった。






そう、冷えて美味しくなる甘い食べ物……

女性陣の大好物、スイーツの登場である。






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