第412話 蒸留酒

「冷蔵庫…?」

「物を冷やす…? この箱にはそんな造形は感じられんが」

「この脇についているものか?」

「論より証拠…とミエも言っテタ。これダ」


クラスクが冷蔵庫の扉を開けると…中から冷気が漏れ出してきてドワーフ達からおお、と声が漏れた。

そして中には…


「瓶?」

「ガラス瓶だな。これは…酒か?!」

「そうダ」


ざわり、ドワーフ達が目の色を変える。

ドワーフ達はオーク族同様酒に目がないのだ。


「お前の街で作ったのか」

「ム。オークが酒を作れナイと思っタか」


クラスクが片眉を上げ、その脇でネッカが先程の袋からいそいそと杯を取り出した。

そして彼が蝋止めの封を取り去ると…


「!? なんだこの香りは……!!」


濃厚で芳醇な酒気が瓶口から溢れ出し、酒に煩いドワーフ達の鼻を殴りつけた。


蜂蜜蒸留酒ノエウ・ツヴラストダ。蜂蜜酒を蒸留しテ造っタ」

「蜂蜜酒!?」

「蒸留……!?」


まずもって蜂蜜酒という時点で驚きがある。

人間族の王侯貴族が高い金を出して危険極まりない蜜蜂の巣をして手に入れる贅沢品ではないか。


それをオークが用意した、というのも驚きだが、さらに蒸留酒というのが彼らに衝撃を与えた。

ドワーフが酒が強い。

大抵の酒では酔わないし、どんな質の悪い酒でも悪酔いしない。


だがそんな彼らでさえこれ程濃厚な酒気を帯びた香りはこれまでついぞ嗅いだことがない。

もしかしたら…もしかしたらこれほどの酒気があれば自分たちでさえ人間族のように酔っぱらうことができるのでは…?


「これをどうやって作った」

「そうだ。どうしたってこれほどの酒気は造れんだろう」

「…そうダナ。では無理ダ。が必要ダ」

「その蒸留とはなんだ!」

「酒を蒸発させテ酒気だけ抽出すル」

「馬鹿な…そんなことをすれば却って酒気が落ちてしまうのではないか?!」


彼らの言っていることはおおむね正しい。

アルコールと水の揮発温度は異なるため、普通に熱すると先にアルコールの方が飛んでしまいむしろアルコール度数は下がってしまう。

ゆえに蒸留工程には蒸留専門の特別な機器…即ち先に揮発したアルコールだけを集めて抽出する器具…を作成する必要がある。

いわゆる『蒸留器』と呼ばれるものだ。


そしてそれはこの世界においてはの分野であり…まさにシャミルの得意とする分野でもあったのだ。


「そのあたりハ企業秘密ダ。欲しいならうちから輸入すれバイイ」

「売ってるのか…? 蜂蜜酒を!?」

「売っテル」

「いや待ってくれヘグーンウルク兄さん。そう言えば最近味に遜色ないのに安い蜂蜜酒が出回ってるって噂になってた。ゴーリンの家が獣人の商人から買ったって…」

「…あれはお前達の酒か」

「うちの他に貴族以外に蜂蜜酒売る奴イナイ。多分ソウ」

「ぐむむむむ……」


呻きながら目の前のオークを睨み、そして目の前の芳醇な香りを醸し出している酒瓶を凝視する。

蜂蜜酒だけでも驚異なのにこれはただの蜂蜜酒ではない。

どういう理屈か通常の酒よりさらに高い酒気を帯びている。

一体どんな技術でこんなことができるのだろうか。

もしそれがなら本気で習いたいものだとつい思ってしまう程に、その香りは蠱惑的だった。


「クラ様。杯の用意ができましたでふ」

「そうカ」

「では氷はわたくしが…」


ネッカが人数分杯を並べ、その杯にイエタが冷蔵庫から取り出した白い塊を数個ずつ入れてゆく。

そしてクラスクがそれに蜂蜜蒸留酒ノエウ・ツヴラストを注いでいった。


キン、キィン…と澄んだ音が杯の中から響く。


「原液ダト相当濃イがドワーフなら大丈夫ダろう。心配すルナ。毒ハ入れテナイ」


ネッカが配った杯から漂う酒気にごくりと喉を鳴らし、オークがいだものだという事も忘れ果てそのまま手に取り喉に流し込む。

圧倒的な酒気が口内を焼き、その後胃の中から多幸感が湧き上がってくる。


ダメだ。

どうしようもない。

その部屋にいるドワーフ達、ネッカの家族は認めざるを得なかった。

彼らにとって美味い酒は正義なのだ。


「いやしかし、これは…!」

「酒の旨さだけではないな。この冷たさ…!」


一般的な酒は酵母が糖を分解して酒気…即ちアルコールを作る。

いわゆる醸造酒という奴だ。


だがその結果作られたアルコールが強ければ強いほど酵母にとって有害となり、一定以上の濃度になると酵母たちは自らが作り出したアルコールにより死滅してしまう。

ゆえに醸造酒では一定以上のアルコール度数になることがない。

醸造酒の限界である。


そこで蒸留器を用いてアルコールの抽出を行い、水分だけを取り除いて人工的にアルコール度数を高めるのが蒸留であり、そうして生まれた酒が蒸留酒である。


だがネッカの兄弟たちが驚嘆したのは単にその酒の酒気の強さだけではない。

そのだ。


酒自体が冷蔵庫で冷やされたものの上に、そこに氷を入れてさらに冷やすという、それが彼らにとって衝撃的すぎたのだ。


なにせこれまで彼らはという文化自体を持ち得なかった。

、という常識が罷り通っていたからだ。


冷蔵庫がある世界ならば意識する事もなくものを冷やして保存することで食味を保ったり、或いは食材によってはさらに良くしたりするけれど、そもそも『ものを冷やす』、というのはかなりの手間であり、自然界に存在する雪や氷を利用しない方法での冷却というのは長い間ミエの世界でも存在しなかった。

彼らがその新しい味わいに驚嘆し耽溺するのもだから無理からぬことだったのだ。



『蒸留酒』と『冷やし飲み』…このダブルパンチは酒好きのドワーフ達を見事に打ちのめしてのけたのである。



「想像しテみロ。タっぷり仕事シテ、疲労困憊デ帰宅シテ、そこで冷蔵庫を開けるトそこにはキンキンに冷えタ酒! 蒸留酒デなくテモイイ。麦酒や葡萄酒デモイイ。冷えタ酒を喉の流し込む快味ヲ」

「ぐ………っ!」

「む………っ!」

「ううむ…っ」

「それは…旨そうだ……っ!」


兄弟たち四人がそろいもそろってぐうの音も出ない。

それほどにその酒の旨さは絶大だった。

まあ酒好きが初めて蒸留酒を飲んだのならば仕方ないかもしれないけれど。


「これがお前達に頼みタイこトダ」

「これ…冷蔵庫か」

「そうダ。この冷蔵庫の石の箱部分の作成を頼みタイ。金は払う。需要が逼迫しタラこの街に優先して回しテモイイ。なんならこの酒も一緒に輸入すルトイイ。悪イ条件デハナイト思ウが、ドウダ」


クラスクの言葉にドワーフ達…ネッカの家族が一様に押し黙る。

それは確かに魅力的な提案で…普通なら飛びつきたいほどの好条件であった。






…相手が憎きオークでさえなかったら。





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