第408話 不運、不運、また不運

チクショウルバック!」


息を切らして走りながらその男が口走ったのはドワーフ語だった。


左右は岸壁に挟まれ逃げ場はない。

前に、前に走るしかない。


背後から彼を追うのは全長3ウィーブル(約2.7m)ほどの大トカゲ。

見た目以上に俊敏で、その四つ脚でどすどすと彼に迫って来る。


ついてない。

運が悪い。


一体全体どうしてこんなことになったのか。

彼はその日己に降りかかった不運を思い返し、息を切らしながら毒づき走り続けた。


そもそもの発端は数日前坑道で見つかった新たな鉱脈のである。


そこを掘れば新たな鉱脈がある…かもしれない。

地質の小さな小さな変化からそうしたことを敏感に察知したのだ。

それが他種族に真似できぬドワーフの強味であり、彼らがこの世界有数の鉱夫たる所以ゆえんでもある。


無論確実ではない。

あくまでもそれはに過ぎぬ。

なのでドワーフ達はその推定を確定に変えんがために調査を執り行うこととなった。


ドワーフ族のサットク…今まさに息を切らせながら大トカゲから決死の逃走を敢行している彼の事だが…は、その調査のために山の中、地の底に広がるドワーフの街から山腹に出てきていたのである。

普段訪れぬ山裾の方の地質を調べることで、先日見つかった新たな鉱脈の確実性を別方面から確かめようというのだ。


だが残念ながら調査の結果は空振り。

あの鉱脈がそれっぽい地質なだけの偽鉱脈(よくある)なのか、或いは鉱脈がこちらの予想よりも地中を大きく曲がって地底深くの方に伸びているか、そのどちらかという事になる。


まあそのあたりは他の方面へ調査に向かった仲間たちが調べておいてくれるだろう。

サットクは己がハズレを引いた不満にむっつりを口を曲げ、だが特にそれを口に出す事もなく帰路に就いた。


不運はそこから始まった。

まず彼の背に負っていた戦斧の紐が切れ、斧が崖下に落下したことだ。

山の外に出るからといつも以上にしっかり縛ってあったはずなのにどうしてそんなことになったのか。


彼は首を捻りながらせっかく登って来た山を再び下り、落とした斧を探した。

だが明らかにこのあたりにあるはず、という場所を探しても一向に見つからぬ。

むっつりと唇を曲げ、眉をひそめて不平を顔に表したサットクは、だがこれまたそれを口に出す事はなく無言で捜索を続けた。


ドワーフは寡黙で、また辛抱強い種族なのだ。


彼の斧は街の鍛冶屋に打ってもらったただの斧だけれど、ドワーフの鍛冶屋が鍛えたものであり、人間の街ならば名工の鍛えた業物と目利きされてもおかしくない部類のものだ。


まあ仮にそうでなかったとしても、彼は己の斧の捜索を続けただろう。

四十年前に鍛えてもらって以来大切にしてきた彼の大事な斧なのだ。

ドワーフは物持ちがいいのである。


「む……?」


と、そこでサットクは怪しげな場所に気づいた。

今探している平らな部分…山腹の坂道の踊り場のような場所だが…のさらに下、そこにある藪の中へと斧が転がり落ちたのではないだろうか。


慎重に崖を降り、山間の渓谷へと降り立つ。

この辺りは低木が多い。

高木が減り低木ばかりになる境目を森林限界というが、仮にこの低木たちがそうだとするとミエの故国のそれに比べだいぶ森林限界がことになる。

格段に寒いわけでも標高が高いわけでもないのだが、この山嶺の近辺はとにかく水が少なく、それが原因で低木が多いのやもしれぬ。


その低木の藪の中に金属の光を見つけ、ようやく目当ての斧を発見…ということろで、その藪を掻き分け出てきたのが先程の大トカゲであり、その後はまあ言わずもがなの逃走劇と相成ったわけだ。


サットクは隘路を駆けながら左側の崖を見上げる。

遥か上に彼が出てきた坑道が見えた。

そこにはドワーフの見張りがいるはずで、もしやしたらこちらに気づいてくれたかもしれぬ。


だが遅い。

あの位置から仮に全速力で山道を駆け降りてきたとしてもこには間に合うまい。

その前に背後の大トカゲに追いつかれてがぶりとひと噛み、それで一巻の終わりだろう。


直線距離自体ならそこまで遠くはないのだが、なにせ山岳である。

もし最短距離を通ろうとすればそれは即ち崖を転げ落ちるに等しくまさに死の直滑降。

いかに頑健なドワーフであっても、それで助かる道はまずないと断言できる。


サットクは今日の己の運の無さを呪った。


不運に不運が重なって、ただの調査が今や命の危機となっている。

ドワーフはとにかく頑健な種族で、これだけ走っても未だ彼の脚色は衰えていないけれど、いかんせんドワーフは足が短い。

疲れ知らずで走れても速度に関してはどうしようもないのだ。



徐々に。徐々に距離が詰まる。



助けが訪れる僥倖は期待できぬ。

どんなに走っても背後に宣る四つ脚の音が近づくばかりだ。


サットクは石工であり、戦士ではないけれど、それでもドワーフである以上戦士としての鍛錬は積んでいる。

もし手元に斧があれば意を決して大トカゲに挑みかかる事だってできたけれど、それも叶わぬ。


素手で挑むという選択肢は最初に消していた。

この地方の大トカゲは牙に猛毒を持ち、噛みつかれれば傷口が黒く変色しそこから腐れ落ちる。

まああまりの激痛にそこに至る前にショック死する事の方が多いのだが。


(だがまあ良いか…)


サットクは覚悟を決める。


幸いここまでくれば崖上の番兵たちの眼には止まってくれるだろう。

自分にはもはや助かる道はないかもしれないけれど、少なくとも彼らが仇は取ってくれるはずだ。


その前にこのトカゲの眼でも耳でも、とにかく何でもいいから引き千切り抉り出しダメージを与えておかねば。

ドワーフとして相応しい抵抗をしなければ。


そう思い定めて背後に振り向いた瞬間…


そのまままっすぐジィ ツレアズフス! 右斜め下ラズフス ウェジマール ウィーミュルゥ!」

了解オッキー!」



で、声がした。

ドワーフ語ではない。


最初の叫びは共通語ギンニムである。

それに応じた声は何語だろうか。

もしかしたら共通語ギンニムなのかもしれなかったが、サットクはそんな単語を聞いたことがなかった。



それも崖の右からでも左からでもない。

何もないはずの直上、空から声がしたのだ。


眩い太陽に目を細め上を見上げたサットクの視界に…陽光を遮るように飛ぶ何かの影が見えた。



そしてそれと同時に、音。



己の背後、その大トカゲよりさらに後方、自分達の山とは逆側の山嶺に連なる崖上から、四つ脚の駆ける音がする。


ドドドッ、ドドドッという重厚にして軽快な音。

雄々しいななき。

それと同時に響く「でふぅぅぅ~~~~っ!?」というなにか情けない悲鳴。


あろうことかその四つ脚は、彼でさえ慎重に慎重を重ねて降りたその崖面を、その脚で一気に駆け下りて来た。


馬である。

巨大な黒い軍馬だ。

たてがみをたなびかせ、いななきを上げながら崖を駆け、跳ね、そして滑り降りる姿は馬というよりはむしろ魔性の獣のそれに近い。



そしてその馬上に…緑色の肌の巨漢がいた。



…その背後に彼と比べるとだいぶ小柄な毛玉のようなものがひしとしがみついているようにも見えたが、影となってよくわからない。


その巨大な馬に相応しき巨体の人型生物フェインミューブは、愛馬が崖を駆け下りる最中のんびりと己の斧を背中から取り出し、構え、そして己の踵でとん、とその馬の脇腹を蹴った。


それを合図とばかりに崖の中腹から大きく跳躍したその黒馬は…一瞬陽光を遮り、サットクとその大トカゲを覆う巨大な影となる。


ぶうん、と音がした。


その巨馬の上にいた者が振るった大斧の音である。

直後に響いたのはその馬の着地の音。

とんでもない衝撃が周囲に広がり、その峡谷に木霊こだました。



「大丈夫カ」



気付けば、全て終わっていた。

サットクの背後にいた大トカゲはもはや駆けることもなく、尻尾からその頭蓋にかけて唐竹割りに両断されている。


そしてその横には凄まじい衝撃で着地したにもかかわらず平然としている巨大な黒馬と、その上に跨った緑肌の男、そして彼にしがみつき震えている小柄なドワーフの娘がいた。


「クラスク様ー! このあたりにはもう他に危険はないと思いますー!」


頭上から声がする。

空の上から声がする。

遠くまでよく届く、透き通るような女性の声だ。



空を飛んでいて返事をする…ということは天翼族ユームズだろうか。



「わかっタ。御苦労ダッタ」

「いえー。お役に立ててなによりですー!」


その天翼族ユームズらしき陰にそう声をかけた男…クラスクと呼ばれたその緑肌の人物は、馬上からサットクに向かいこう口にした。



「さっき斧拾っタ。これお前のか」



ついてない。

運が悪い。

今日の俺は不運だ。


サットクは茫然とした面持ちでそんなことを心の内で繰り返した。


本当についてない。

なんとも運が悪い。

今日の俺は最悪だ。






だって、なぜって…

よりにもよって、にっくき宿敵であるオーク族にその命を助けられてしまったのだから。






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