第398話 錬金術工房
木戸をくぐった先にも村があった。
ただ先程までの明るく整った家々に比べると村の様子がもう少し雑然としている。
家々は増改築され、新しい壁や建て増しした部屋の合間に古びた壁の色が垣間見える。
こちらにも小さな広場があって、オークの子供たちが無邪気に遊んでいた。
その脇にある古ぼけた井戸を目にして、ミエが少しだけ目を細める。
「懐かしいですねえ。昔ここで井戸端会議をしてたものです」
「イドバタカイギ…?」
聞いたこともない共通語にイエタは不思議そうに首を傾げる。
いやそもそもその奇妙な発音の単語は本当に
「ささ、とーちゃくです!」
「まあ……まあ」
ぱちくり、と目をしばたたかせてイエタは目の前の家を見つめた。
他より明らかに大きいその建物は、左右に増築を繰り返し肥大化し、さらに屋根の上には幾つも煙突がついていて濛々と煙を放っている。
煙のせいで壁もすすけており、周囲には瓦礫が散らばっていた。
壁のところどころが明らかに新しい。
とすると壁が壊れて瓦礫が飛び散り、それをまた漆喰なりなんなりで塞いだという事だろうか。
なんとも不気味で禍々しい建造物である。
「これは…なんでしょう?」
「家ですよー。シャミルさんのご自宅」
「シャミル様の…?」
無論シャミルの名はイエタも知っている。
あのやぶ睨みがよく似合う口達者なノーム族の娘のことだろう。
城壁から街の構造、教会の造りまでほとんど彼女の設計というから相当な才媛である。
そんな人物の住居としてはいささか混沌としている気もするのだけれど、ミエが嘘をつくとは思えないしそもそもそんなことをする理由がない。
「ささ、今日はシャミルさんにお呼ばれてるので、ささっとお邪魔しちゃいましょう!」
「では、その、お邪魔します…」
恐縮しながらイエタが家の中に足を踏み入れる。
玄関をくぐった途端妙な臭いがした。
何かが焦げたような、何かかぐわしいような、それでいてどこか刺激的な、妙な臭いである。
「…なんでひょうへほへ」
「さあ…わたくしにもわかりません」
服の袖で鼻を押さえながらミエが呟き、イエタも首を捻る。
どうやらミエにとってはあまり心地よい臭いではないようだ。
「おお、来たか……なんじゃ、聖女殿も連れて来おったのか」
玄関を抜けた先の広間の左奥の扉を開け、さらに幾つかの扉を開けるとその先にこじんまりとした部屋があり、シャミルが待ち受けていた。
これまでの部屋は大量の書物が雑多に詰め込まれた本棚が所狭しと並んだ部屋やら怪しげな器具が陳列された部屋など様々だったが、いずれも薄暗く少々…いやだいぶ薄汚れていた。
それに比べるとこの部屋はだいぶ明るく、また奇麗に整頓されているように見える。
奥に広めの窓とベランダがあるところを見るとここが家の一番端なのだろう。
明るさは採光ゆえだろうか。
壁の本棚も先ほどの部屋にあったものよりはかなり整頓されており、その脇には梯子が備え付けてある。
ノーム族たる彼女が棚の上の方のものを取り出すために必要なのだろう。
「こんにちはー。はい、近くでたまたま一緒になりまして…大丈夫です?」
「うむ、問題ない。見学者は多い程よいしの」
ソファに深く腰掛けながら、軽く杯を煽るシャミル。
その手にしている杯は青く透き通っている。
「ガラスの杯ですか」
「うむ。街にガラス職人が居着いてくれたお陰じゃな。わしの手製でやるとどうしても見た目がのう。以前のようにアーリに頼むと高くつくしな」
「ほんと助かりますよねー、職人さん」
「そうじゃな。輸送費が浮くだけでだいぶ安くつくわい。連中と時折立ち話をするが、なかなかよい知見を得られる」
「それはなによりですねえ」
両手を合わせたミエは、だがずいぶんと落ち着いた様子でくつろぐシャミルを前にくくい、と首を傾げる。
普段の彼女なら見せたいものはせっつくようにして見せ誇るはずだ。
なにをこんなにのんびりしているのだろうか。
「なんでわしがこんなにのんびりしとるかという顔じゃな」
「心を読まないでくださーい!?」
「人の事を言えるか! ともあれのんびりしておるのはわしの仕事を既に終えておるからじゃ」
「シャミルさんの…仕事?」
ミエの疑問はすぐに解けた。
彼女が腕を組んで考え込むのと同時に棚の脇にあった扉が開いて誰かが部屋に飛び込んできたからである。
この部屋自体は屋敷の一番壁際ではあるが、どうやらその左右にさらに部屋があるものらしい。
「お待たせしたでふ! 準備全部整ったでふ!」
「ネッカさん!」
「ミエ様! とイエタ様も。もういらしてたんでふか」
「はい-、いらしてましたー」
ぱあああ、と顔を輝かせて挨拶するミエ。
「って、ネッカさんもいらしてたんですか。もしかして共同研究なんです?」
「うむ。今回は錬金術と魔導術の合作じゃの。では第四研究室に行くか」
「第四?! 多いですね!?」
シャミルと共にネッカがやってきた扉をくぐる。
イエタは興味深そうにきょろきょろと辺りを見回した。
「この奥にさらに部屋が…だいぶ広いおうちなのですねえ」
「そうじゃな。多様な研究のために増築を繰り返したからかの。雑菌が混ざると困る研究もあるでな」
「そうなんですよー。以前は村の宿屋…元は前族長さんの家で、それ以前は教会だったみたいですけど…が一番大きかったんですけど。今じゃこのお屋敷が村で一番大きいんじゃないでしょうか」
「うむ。まさかに市長殿の自宅より大きくなるとは思わなんだ」
「シャミルさんとこと違ってうちは饗応・謁見・応接なんかの機能が全部街の居館に移っちゃいましたからねえ。家は家族の食事と睡眠とえーっと…」
ちょっとだけ頬を染め目を閉じるミエ。
なにやらいらぬ妄想が膨らんだようで、その後顔を両手で覆ってぶんぶんと首を振った。
「のろけ話はよそでやれ。イエタもおるんじゃぞ」
「やりませんよ! 聖職者さんがいる前でそんな…!」
「はあ。わたくしは別に構いませんが…」
「ちょ、イエタさぁーん?!」
びっくりするミエの前でイエタの表情は変わらない。
素でそう思っているようなのだ。
「ええっとその…この世k…じゃなかった聖職者の方ってそういうお話はあまり好まれないのでは…?」
「睦言や情事の事ですか? いえ、別に。男女が愛し合い睦み合い子を為し育てるのは命ある者の必定。なんらおかしなことではありません」
「へー、へー、へぇー…すいません私てっきりもっとお堅いものかと思ってました」
ミエが兜を脱いで頭を下げる。
「イエタさんて
「宗派によってはそうかもしれませんが、複音教会では特にそのようなことは。婚姻も禁じられておりませんし」
「そうなんですか!?」
それにはさすがのミエも愕然とした。
彼女は己の世界の修道女の常識で物を考えていたためか、まさかに神に仕える娘が結婚までできるとは考えてもいなかったのだ。
夫に頼んでオーク達に彼女を口説くことを禁じたのは早計だったかもしれない。
「禁じられてはおらんかもしれんが、あまり良い顔はされんのじゃろ?」
「…そうですね。それは、はい」
「? よい顔はされないんですか?」
シャミルの言葉に少し逡巡しながらもイエタが素直に答える。
だが先程の話からするとミエにはその回答自体が疑問であった。
特に男女の営みなどが禁忌でないのなら、そして婚姻が禁じられていないのなら、修道女の結婚は祝うことであれ忌避するようなものではない気がするのだ。
「まあされんじゃろ。結婚すると神より授かりし奇跡の力を失うと言われておるしな」
「ええ?! そうなんですか?!」
「必ずしもそういうわけでは…力を失う者が少なからずいるのは確かですけれど」
「え? …はい?」
イエタの言葉にますます困惑するミエ。
なんらかの禁忌やら制約やらで結婚したら聖職者としての奇跡の力が失われる…というのならまだ話はわかる。
せっかく教会で長い研鑽と信仰生活の末に授かった奇跡の力が結婚したら失われてしまうというのでは、確かに教会側としてはいい顔はしないだろう。
けれど失うこともあるというのはよくわからない。
一体どういうことなのだろう。
ミエは不思議そうに腕を組み、首を捻った。
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