第397話 『元の』クラスク村
火輪草は燃える炎のような赤い色で見る者を愉しませる花で、見た目の美しさの割に比較的育てやすく、観葉植物として人気が高い。
また自然界に於いては群生しやすく、花群を見つけた時の美しさもひとしおだ。
そのことを考えるとこれだけの花畑で火輪草を植えていないとは考え難い。
単純に考えれば…抜いたのだ。
元々植えられていた火輪草を全部摘み取ってしまったと考える方が自然だろう。
ちょうど整備中の区画もある。
おそらくはそのあたりに生えていたに違いない。
ただ問題は…誰が、なぜこんなことをしたのか、である。
この花畑は十分に奇麗だけれど、イエタの美的感覚からすればあの壮麗な赤がなければ少々纏まりに駆ける気がする。
まさに画竜点睛を欠く…と言いたいところだが、その言い回しではイエタには理解できぬので、彼女風に表現するなら『女神の羽が一枚足らぬ』、と言ったところだろうか。
そんな事を考えながら歩いていたイエタは、知らず花畑から村の中へと足を踏み入れてしまった。
花畑は村の縁から周囲に広がっていたので当たり前と言えば当たり前なのだけれど。
不意に湧き起こる歓声に思わず顔を上げる。
村の中央で広場で今まさに何かが行われていて、それを見物していた観光客たちから感嘆の声が上がっていたのだ。
イエタが目を向けると、村娘達が例の民族衣装を纏い、皆で何かの作業をしている。
その横には看板が打ち建てられており、そこには『化粧品づくり 実演中』の文字が躍っていた。
そしてその隣ではその場で作られた商品が売られており、観光に来た女性達が群がるようにして購入している。
いわゆる実演販売という奴である。
くくく…と伸びをして村娘達の仕事の様子を覗き込もうとするイエタだったが、雑踏が邪魔でよく見えない。
羽を広げ空を飛べば簡単に一望できるけれど、この辺りはクラスクが許可した飛行可能区域ではないし、そもそも空を飛びながらでは同じところに留まって落ち着いて眺めることもできぬ。
それに当たり前の話だが、空を飛ぶのは疲れるのだ。
では観光客の中に混じって見ればいいと思うのだが、イエタは街の活気や雑踏自体は好きだけれど混雑はあまり好むところではなかったし、そこに混じるのはさらに好きではなかった。
空を飛ぶ筋力を持つ
ただ広場で行われているのは時間限定のイベントだ。
そこ以外にも見るべきところは色々あるはずである。
イエタは案内所でもらったこの村のパンフレットを遠目に眺めたりひっくり返したりしながら色々見つめていたが…
「あら……?」
そこで、パンフレットから外れた視界の端に見知った人物の背中を見つけた。
ミエである。
ミエが行き違う村娘と片手で挨拶を交わしながらイエタの視界の右端の方へと歩いてゆき、そのまま建物の陰に消えていったのだ。
「……まあ?」
パンフレットにはこの村の見取図が記されている。
どこでどんなイベントが行われ、どこ家で何を売っているのか鳥観図で記されているわけだ。
だが…ない。
ミエが消えた先が、パンフレットに記されていない。
パンフレット上に記された地図では完全な空白地帯である。
だがよく見るとその奥にも建物の陰らしきもの見える。
これはどういうことだろうか。
興味を抱いたイエタがてくてくとそちらに向かうと、ミエが消えた先には木の板で作られた柵が立ち塞がっていた。
そこにはミエが通ったであろう扉があって、『関係者以外立入禁止』と記された板が打ち付けられている。
「まあそうなのですか」
これが他の娘なら興味を惹かれて扉を開けようとしたり、或いは羽があれば軽く広げて柵の上から向こう側を覗こうとするところなのだが、なにせ街の者に聖女と慕われるイエタである。
彼女はそのまま素直に納得し背中を向け立ち去ろうとした。
「あら…イエタさん?」
…が、柵の向こうからそれを呼び止める者がいた。
先程扉をくぐったミエ本人である。
「ミエ様。こんにちは」
丁寧に頭を下げるイエタの前に、柵の向こうから扉を開けてミエがやって来た。
「はいこんにちはですー。こちらの村にいらっしゃるなんて珍しいですねえ。今日は観光ですか?」
「はい。街の案内所で『ぱんふれっと』なるものをいただいたもので」
「まあ! パンフを手に取っていただけたんですか!」
ミエが両手を合わせて嬉しそうに微笑む。
「あれ考えたの私なんですよー。幸い好評のようでよかったです!」
「まあ……!」
拡大と発展を続ける市井を維持するだけでも大変だろうにその上そんなアイデアまで出すなんて。
イエタは素直に感心し、尊敬の眼差しで市長夫人を見つめる。
ただ彼女のその献身、その発端はおそらくオーク族と人間族の間の壮大な勘違いと誤解が元なのだ。
そしてそのことを現状イエタだけが知っている。
これを可能な限り二人には知られないようにしないと…イエタはそんな決意を新たにした。
「ところで…この柵の向こうはどうなっているのでしょう? 立入禁止となっていますが…」
「こっちですか? ええっと…こっちは元のクラスク村です」
「元の…?」
塀の隙間から見えるのは家屋である。
ごく普通の家のようだ。
「ええっと…元々私達はこっちの村に住んでてですね、花を育てて蜜蜂に集めさせて蜂の巣から採蜜したり、そこから酵母を生成してお酒を作ったり、蜜蝋から化粧品を作ったりしてたんですよ」
「ぱんふれっとにもそう書かれてますね」
「はいです。あ、ネッカさんのがちょっと移っちゃった…」
口元を押さえたミエが、咳払いをして話を続ける。
「こほん。で地底の脅威が去った後、この村を観光地化しようとなった時、こっちに住んでる人たちの生活をあまり壊したくなかったんですよね。こう暮らしを覗かれたりとか嫌じゃないですか。なので観光地としての村をこっち側に作っちゃいました」
「ああ……!」
つまりこういうことだ。
元々住んでいる家は改装したり新築したりで残しつつ、元々花畑だった場所に新しい村を作り、元々果樹園だった場所を花畑にして、森を切り開いてその先に果樹園を移しかえたのだ。
そして元々村人が住んでいたエリアと蜂蜜関連商品や食糧を備蓄しておく倉庫群は塀で仕切って立ち入り禁止とした。
これにより村人のプライバシーは保護され、懸念されていた倉庫の警護も楽になり、作業場を一新することで採蜜や化粧品づくりなどもより効率的に行えるようになった。
本来植樹というのはかなりの難事であり、地中に張ったね根ごと場所をずらそうなどと言うは易く行うは難しの典型なのだけれど、今回は特にそうした問題は発生しなかった。
精霊魔術…特に
なんとも勇壮でコミカルでそれでいて不気味な樹木の集団引っ越しである。
「つまりこの柵の向こうは昔のこの村のままなのでしょうか?」
「いえいえ。昔のこの村はオーク達が人間族の村を奪ってそのまま使ってたものですからそれはもう色々とガタが来てまして…なのでまあ色々と増築したり改築したりしてますね」
「なるほど…ミエ様のご自宅もこちらに?」
「はい。最近は街の方が忙しくって向こうの居館にそのまま寝泊まりすることも多いですが、たまには家族水入らずにならないと寂しいので…う~ん最近ちょっと我が子に会う時間が減ってるんですよねえ。母親だって忘れられてないといいんですが」
などと、とりとめのない話をするミエ。
「…お時間取らせてしまったでしょうか。何かご用事があったのでは?」
「あったのでした。そうだ、せっかくですからイエタさんも見に来ませんか?」
「見に…?」
なにを見るというのだろう。
興味がないといえば嘘になる。
「ですが立入禁止と…」
「関係者以外は、です。イエタさんはクラスク市の関係者ですから。ささどうぞどうぞ」
言われるがままに扉をくぐり、ミエが戸を閉めた後鍵をかける。
そして家々の間を通り抜け……彼女の本日の目的地へと向かった。
今後のこの街の命運を左右する、とあるものを見物しに。
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