第395話 天啓
クラスクは朝から晩までずっと市長の仕事で忙しく、合間合間で他のオークを鍛えたり他部族との折衝を行ったりとなかなか暇が取れぬ。
だが暇ができた時はこうしてこの部屋にこもり、己の趣味に没頭する。
イエタは…そんな彼が無言で作業をしているのを眺めているのが嫌いではなかった。
元々大柄なオーク族の中でもさらに巨躯たるその身体を小さく丸め、僅かに身じろぎしながら人間族から見ても小さな模型を作り込んでゆく。
そして綺麗に仕上がったそれをしばらく眺めていたクラスクは…そこに茶色い染みを付けてゆく。
「まあ…せっかく綺麗に出来ましたのに」
「汚しダ。新築の家じゃナイ。ここに欲しイのハ使イ古されタ家ダ。古ぼけタ家がピカピカしテタら変ダロウ」
「なるほど…?」
クラスクの言葉に頷きはしたもののピンと来なかったイエタだったが、彼が汚し終えた建物を街に配置してようやく得心した。
確かに薄汚れている方が周囲の街並みとのバランスが取れている。
いかにもそれっぽい古びた街並みに見えるではないか。
「そう言えばお前最近良くくルナ。暇なのカ」
作業を続けながら珍しくクラスクの方から口を開く。
いつもはずっと無言で、作業を続け、イエタも無言のままそれをじっと眺めているのが常だった。
「暇というわけではありませんが…お手伝いして下さる方が増えたので時間は空くようになりました」
「なルほド」
「何か…行っておいた方が良い場所などはありますでしょうか」
「そうダナ…」
イエタに問われ、作業の手を少しだけ止めたクラスクは、すぐに何かを思いつく。
「『
「『
お互い母国語でないために、少しだけ情報に齟齬が生じる。
「アー、『
「まあ、そのようなところが?」
「パンフレットも置イテあル。そこに行けば行きタイ場所もデテ来ルダロ」
「ぱんふれっと…?」
パンフレットには訳語がない。
ミエがこの街で広めた彼女の母国語だ。
いやより正確には彼女の国に定着した外来語だが。
「わかりました。明日にでもそちらに行ってみることにします」
「アア。何か気になル点や文句があっタら言っテくれ。まダ始めタばかりダから色々問題点があルかもしれん」
「わかりました。気づいたことがあったらお伝えしますね」
「頼ム」
そこで会話が途切れ、そのまましばらく静寂が続く。
だがその静寂はクラスクの好むところだったし、またイエタにとっても心地よいものであった。
日差しがゆっくりと、目に見えぬ速度で傾いてゆく。
そんな時間をただ二人きりで過ごす…イエタは知らずその心地よさに浸っていた。
預言を受け、クラスクを援けるためにこの街にやって来た。
クラスクとミエの行き違いを知り、今はそれを互いに知られぬように腐心している。
そんな大義名分を掲げながら…だがそれを理由に。
己自身が知らず彼と共にある時間を望むようになっていることに、彼女は未だ無自覚であった。
「そう言エバ…イエタ」
「はい、なんでしょうかクラスク様」
互いに相手の名を呼んで、視線を合わせる。
いや正確にはじっとクラスクを見つめていたイエタに彼の方が面を上げて視線を合わせたのだ。
「俺を助けルッテのハ、なんダ」
「何、と仰いますと…?」
「具体的にハ何が起こっテドウ俺を助けルのカ。それハわからんのか」
クラスクの言葉にイエタは少しだけ体を揺らし、そのまま硬直する。
だがやがて小さく息を吐き、静謐な瞳でクラスクを見つめた。
「預言自体は以前仰ったとおりです。女神様はそれ以上お告げになりませんでした」
「そうカ」
聞くだけ無駄だったかとクラスクが再び作業に戻ろうとしたところ…イエタが、その先の言葉を継ぐ。
「ですが私自身もまたその預言が気になって、神に祈りを捧げ〈
「みゅーじま…ぱぅ…?」
「己が信仰する神性に質問を投げかけ、助言を得る呪文です。わたくし達の精神は未熟ゆえ神の真意を誤解や曲解してしまう事もありますが、概ね正しい道へと辿り着く手掛かりとなってくれます」
「おお、便利ダナ!」
そんな便利な呪文があるのなら毎日かけてもらって色々聞いた方がいいような気がするが、以前ネッカが魔導術で似たような呪文を使ったときの警句を思い出してクラスクはそれを口にする事はなかった。
なにせ相手は神様なのだ。
毎日質問攻めにされて下手に気分でも損ねたらろくでもない結果になるに決まっている。
「質問に対して…帰って来たのは明滅する光景でした」
「光景……?」
「はい。普通〈
「ホウ」
小さく深呼吸をし、己の胸に手を当て、気を落ち着ける。
そして覚悟を決めて、女神から授かったそれを当人である彼に告げた。
「薄暗い…でも仄紅い壁が見えました。おそらく地底深くかと」
「地底…?」
地底軍はこの前撃退したばかりである。
相手の大将も倒したはずだ。
もしやしてその残党か何かの仕業だろうか。
クラスクは少しだけ緊張し、イエタの言葉に真剣に耳を傾ける。
「その壁際に一人の女性が倒れています。その肌は青白く、血の気が失せていて、意識を失っています。わたくしにはすぐに手当てをしなければ危うい状態に見えました」
「女……?」
妙に背中がむずむずする。
その女性が誰とは聞かずとも、なにやら嫌な胸騒ぎがしたのだ。
「誰ダ」
「見知らぬ女性…でした」
イエタは言葉を区切りながら、あの時受けた啓示を思い起こしつつその光景を紡いでゆく。
「ですが今ならはっきりわかります。あれはミエ様です。ミエ様が真っ青になって倒れておいででした」
ガタ、と椅子から立ち上がったクラスクがその巨躯を大きく伸びあがらせる。
その眼は大きく見開かれ、明らかな動揺が見て取れた。
「ミエが攫われルのカ! 俺ハ! 俺ハドうしテそれに気づかナイ!」
自分がいればミエが攫われる事なんてないはずだ。
自分がいればミエがそんな酷いことにはならぬはずだ。
自分がいれば。
自分さえいれば。
「クラスク様は…いらっしゃいます」
「イル…!?」
解せない。
自分がそこにいて、なぜミエがそんなことになっているのだろう。
「正確には…いらっしゃいました」
「?? ……????」
イエタの言葉の意味がわからず、クラスクはその巨体で大きく首を捻る。
再び小さく深呼吸をしたイエタは、立ち上がったクラスクを見上げるようにして、己が受けた天啓の顛末を告げた。
「クラスク様は、ミエ様の近くで倒れてられていました。胸に大穴を空けて……既にこと切れて」
クラスクは大きく眼を剥いた。
死ぬ?
自分が死ぬ?
そしてミエを助けられない?
それが…それがこの先待ち受ける運命だと言うのか…?!
「そんな、コト…!」
憤怒に身を震わせるクラスクの前で、イエタが普段と異なる凛とした表情でそう告げる。
「お怒りをお鎮め下さいクラスク様。それを止めるため、防ぐため、わたくしはこの地に来たのですから」
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