第381話 神より与えられし使命
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
雄叫びを上げながらクラスクが居館の階段を駆け下りてゆく。
巡回の衛兵がびっくりして目を丸くしてながら慌てて道を空けた。
「ミエ様」
「イエタさん。旦那様と今までご一緒されていたんですか?」
「はい。僭越ながら色々とお話を伺わせていただいておりました」
「まあ、まあまあ! それはそれは!」
両手を合わせて顔を輝かせるミエ。
普通ならここで別の女と…などと嫉妬の心が鎌首をもたげてもおかしくはないのだが、ミエにはそうした感覚がどうにも欠如しているようで、むしろ亭主が男女問わず誰かと仲良くしているのが嬉しくてたまらないようである。
まあ実際キャスやネッカなどの妹嫁も普通に受けれ入れているどころか自分から誘っているのだから嫉妬もなにもあったものではないのだが。
「旦那様がご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いえいえ。とても楽しい時間を過ごさせていただきました」
窓から差す日はすっかり赤くなっている。
夕焼けがジオラマに静かに注がれて、あたかも本物の街に夕暮れが訪れたかのようだ。
「まあ、それはよかったです。どのようなお話を?」
「ええっと…」
イエタはオーク族のデートの誘いにすらうっかりOKしかねないほどには無垢な娘である。
だからミエにそう尋ねられた時、普段であれば素直に全部話してしまうはずだった。
だのに…なぜか。
なぜかその日に限り、イエタはミエの質問に素直に答えていいものなのかどうか少し逡巡した。
「ええっと…クラスク様とミエ様のなれそめについてお伺いしておりました」
「ふぇ……っ!?」
イエタの言葉に一瞬きょとんとした後ぼっと顔を真っ赤にするミエ。
「そ、そそそそんなことを聞いてらしたんですか!?」
「はい」
「ふぇぇぇぇ…は、恥ずかしい……!」
ミエが両手で頬を押さえうにゃうにゃと上体を振る。
その有様に…イエタは妙な違和感を覚えた。
「あの…ミエ様」
「ふぁっ!? は、はいなんでしょう!?」
イエタはそれを確かめるべく、ミエにその質問を投げかける。
「ミエ様とクラスク様は…その、どのような出会いをされたのでしょうか」
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
真っ赤な頬をいや染めて、ミエがしどろもどろにうろたえる。
「あの…無理に話さなくても」
「ええとですねえ」
だが話したくないと言う事ではなく、恥じらいながらも語り始める。
「私が森の中で…あーえっと森の中を歩いてたらですね、遠くから何か大きな音…後から考えたら戦いの音だったんでしょうねえ…がしてですね、気になって見に行ったら旦那さm……オークさん達が隊商を襲撃してて、なんかそれを止めようと思わずそこに飛び込んじゃってですねえ…」
「まあ」
「そしたら…旦那様が突然プロポーズしてきたんです!」
きゃっ! と呟きながら両手で顔を覆うミエ。
そしてそのまま恥ずかしそうにいやんいやんと顔を振る。
その有様を眺めながら…イエタはうん? と首を傾けた。
「その…ミエ様はそこからどうやってオークの村を変えていこうとしたのか、お伺いしてもよろしいでですか?」
「ええっと…オーク達が外部にお嫁さんを求めるのは後から考えればオーク族は女性の出生率が低くて、それで自分たちの種族だけだとどうしようもできないから他の種族に求めてたんですよね。で、その…まあ他の種族からすればやり方にちょっと強引なところがありましたけど…で、旦那様の相談に乗ってる内に、襲撃や略奪によらずオーク族の問題を解決するためには他種族と融和して異種族の女性が望んでオーク達のお嫁さんになってくれる状況を作ればいいのでは? って結論になって、そのためにはまず村の現状を変えないといけないなって話になってですねえ…」
その後も滔々とミエの話は…時折のろけを交えながらも…続いていたが、イエタはその先の話を詳しく聞いていなかった。
それよりも遥かに重大な話で頭がいっぱいだったためである。
クラスク市長と市長夫人のミエ…
その二人の認識が、ずれている。
クラスクはミエを当初子供を産ませるための奴隷同然に村に連行してきたつもりで、だが彼女の献身によって妻や夫婦といった関係を学び、その後彼女とそういう関係を築いたのだと思っている。
けれどミエの方は一番最初にクラスクからプロポーズを受けてそれを受諾、結婚したからこそ彼に献身的に尽くしたと言っている。
当事者である二人の認識がまるで噛み合っていないのだ。
もちろん今の二人は仲睦まじい夫婦だし、向いている方向も同じである。
けれどそこに至るための道筋とその認識に、大きな齟齬がある。
イエタは直感した。
これは彼女に知られてはいけないことだ、と。
この村に派遣される前、イエタは上司より神のお告げを受けていた。
その内容が「この街の長を援けること」なのは以前彼女が接げた通りで、それ自体は嘘ではない。
ただ彼女自身、実は別の神託を受けいていたのだ。
そしてそれは告げることで未来が分枝してしまう恐れがあるために決してこの街の者には告げるなと念を押されていたのである。
それは…『この街の長を援ける際、彼を壊さぬよう注意すること』。
今まではそのお告げの意味がよくわからなかった。
この街の市長クラスクは相当に立派な人物であり、精神的もそこらの人間よりよっぽど優れているように見えた。
噂を聞いても実物を見ても、壊そうとして壊せる相手に見えなかったのである。
だが…もし彼と市長夫人であるミエの仲が破綻してしまったとしたら?
たとえばミエが一番最初にクラスクから聞いた言葉がプロポーズなどではなく別の言葉…おそらくはオーク流の恫喝かなにか…だと気づいてしまったら?
それによりショックを受けて、これまでと同じ関係性を維持できなくなってしまったら?
そんなことが起これば彼はきっと混乱するだろう。
彼がオークにあるまじき見識を手にして、強い覚悟を以てオーク族の、そして
もしそんなことになればこの街は崩壊しかねない。
短い間に異様な発展を遂げたこの街は、市長夫妻の圧倒的な指導力とカリスマ抜きに為し得なかったもののはずだからだ。
それは二人に対する街の住人の反応を見てもよくわかる。
(神様…そうだったのですね)
イエタはようやく覚った。
なぜあんな神託が降ったのか。
そしてなぜ自分はそれに名乗りを上げて、この街にやってきたのか。
きっとこのためだ。
二人の関係性…この街のこれまでの発展とこれからの繁栄を根底から支える、この夫妻の今の関係を築いた大いなる誤解を決して覚られぬようにするため、陰ながら二人を支えよと、きっとそう言われていたのだ。
夫との楽しい思い出をいつまでも語り続けるミエを見ながら…イエタはそんなことを強く心に誓ったのだった。
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