第380話 想いの強さ

「ハッ!」


クラスクは面を上げて左右を見回した。

いつの間にか数時間経過していたらしく、窓から差し込む光が薄赤くなっている。


「マズイ! 没頭しすぎタ!」

「まあ」

「仕事いっぱイあル! タイヘン!!」

「あら、それは大変ですね」

「オマエー!」


他人事のようなイエタの言葉に…いやまあ実際彼女にとっては完全に他人事なのだが…クラスクはがた、と椅子から立ち上がり、つかつかと彼女の目の前までやってきた。


「お前のお陰で集中デキタ。礼を言ウ」

「あら、てっきり怒られるものかと…」


頬に手を当て率直な感想を口にするイエタ。


「仕事をほっぽり出しタのは俺が悪イ。デモ趣味に集中デキタのハお前の合イの手が良かっタからダ。そこは礼を言ウ」

「まあ…」


意外な物言いについ口を少し開けた。

かなり合理的な考え方と言える。

その結論をオークが出したというのが驚きである。


「トもかく俺はもう行く! 今日は大しテ世話デきずにすまなかっタ」

「いえ。こちらこそとても楽しかったですわ」


それは嘘ではない。

本当に楽しかったのだ。


「じゃあ俺ハこれデ失礼すル……!」


だだだだだ…と部屋から飛び出しかけたクラスクは、だが出口付近でぴたりと足を止めた。


「……そう言えバお前の用ってなんダ」

「そちらは…大丈夫です。もう済んでおりますから」

「そうなのカ?」

「はい。ただ…」


クラスクが尋ねてくれたことで聞きやすくなった。

イエタはクラスクをすっと見上げてずっと疑問に思っていたことを口にする。


「クラスク様は未だ古い慣習の残るオークの村で他の種族との融和の道を探られ目指したと聞きます」

「ユウワ…? アア仲良クすル奴ダッタカ。そうダナ」


クラスクは指先で顎を掻きながら当時の己を思い出しつつ頷いた。


「それはとても困難な道だったはず。道を切り開くことすら、それどころか一歩進む事さえ大変だったと思います」

「アア」


今や協力者として率先して助けてくれる村のオーク達…だが彼らすら当初はクラスクの意見に懐疑的だった。

いや今や村の重鎮となった当時の彼の取り巻き…ラオクィク、ワッフ、リーパグの三人ですら最初はまったくの無理解だったのである。


「ですがそもそもの…そこに至るお気持ちは、どのように抱かれたのでしょうか」

「…至ル?」

「はい。オーク族の村のしきたりの中、親愛と融和への道に向かって歩き出すことが難しいのはわかります。ですが…そもそもその一歩踏み出そうとするそのきっかけとは、一体何だったのでしょうか」

「アア……」


そう、である。

どんな艱難辛苦であろうと、いったん突き進むと決めたのなら後はそれを乗り越えるだけだ。

だがそこに立ち向かうと決めたそのきっかけは、一体何だったのだろうか。


オーク族の中で他の仲間と全く異なる価値観の持ち主だったのなら、そもそも族長になるまで生きてゆけるとは思えない。

途中からその考えを変えたのだとしたら、何かの契機があるはずなのだが、旧弊渦巻くオークの集落で、それは一体どのようにもたらされたのだろう。


イエタには思い当たる節が一つだけあったけれど…

それでもあえて、彼女はクラスクの言葉を待った。


「オーク族村や隊商襲ウ。食料や酒奪ウ」

「はい」

「その中に女がイれば攫う。攫っテオーク族の子産ませ育テさせル。それハ知っテルナ」

「…はい」


クラスクの念押しにイエタは素直に頷く。

この地方の…いやこの世界の者ならば誰でも知っている常識であり、オークの悪しき習性である。


「そうシテ奪っタ戦利品ハ、襲撃シタ中デ一番活躍シタ奴が分け前を分配すル。そイツの事をオーク語デ『ウーヴァヒ』ト呼ブ。『仕切り』、『仕切り屋』みタイナ意味ダナ」

「ウーヴァヒ…仕切り屋…」

「ソウダ。あの日の仕切りウーヴァヒハ俺ダッタ。そシテ…戦利品の中から俺ハ女を選んダ。それがミエダ」

「………………!」


あの聡明そうな娘…ミエ。

現在の市長夫人。


だがかつての彼女はオークに奪われ攫われ奴隷同然に村に連れてこられたという事だろうか。

彼女の姿、彼女の言動を思い返し、そのあまりの影のなさに意外さを感じる。


「普通オークに攫われタ女暴れル。嫌がル。逃げ出そうトすル。ダからオークは逃げ出さナイように紐や鎖デ縛ル。壁に繋ぎ留めル。暴れタラ殴っテ黙らせル。時にハそれデそのまま死ヌ」

「………………」


残酷極まりないオーク族の風習を悲しく思い、その瞳を曇らせる。

かつてオークの村へ強い信念を胸に抱き布教に赴き、そして帰らなかった同族たちもまた、同じ運命を辿ったのだろうか。

そのことを考えるとイエタの胸がずきんと痛んだ。


「デモミエハ違っタ。縛らなくテモ逃げなかっタ。俺のタめに飯を作っタ。村を少しデモ過ごシやすくすルように自分デトイレや風呂まデ作っタ。覚悟シテ村に残ロウト、俺と共にあろうトシタ」

「………………!」


なんという強靭な決意であろうか。

イエタはあの娘の心胆に驚愕する。


「そんなミエに…ふト思っタ。こいつは俺に色々シテくれル。オークは他の誰かに何かシテもらっタら返すのが流儀。なら俺はミエに何か返せナイか。そう考えタ時……気づイタンダ。相手を…女を大事にすルっテ事。ミエはそれを『ドゥルボ』ト言っタ」

「まあ………!」


己を略奪しオークの村へと連れ込んだ相手に対する無私の献身…ミエのそれが彼のオーク族の価値観を揺るがせたのだ。

まるで神に身を捧げる聖職者のような真摯ではないか。

イエタは、深く頷いた。


「ミエを『嫁』にすル…デモそれはオークの村デハおかシイ事ダ。ダカラ色々邪魔されタ。ぶつかっタ。それにミエト一緒に全力デ抗イ続けタラ…気づイタら族長になっテタ。そシテ村長になっテ、市長になっタ。今の俺ダ」

「……お話、よくわかりました」


クラスクの言葉に深く感銘を受けるイエタ。


「長々とお時間を取らせてしまいました。申し訳ありません」

「アーそうダッタ! 今日中の仕事イッパイ!」

「だーんーなーさーまー!」


クラスクがハッと気づくのと扉の向こうから聞きなれた声が響くのがほぼ同時。


「ミエー!」

「趣味を持つのはいいことですけど! 趣味に没頭なさる旦那様も素敵だと思いますけど! 思いますけど! 仕事と趣味のめりはりはしっかりつけてくださいな!」

「なんデ二回言ウ。なんデ二回言ウ」

「だーいーじーなーこーとーだーかーらーでーすー!」

「そうダ仕事大事! 今! 今行こうトしテタ!」

「まあそうなんですか?」


普通ならここで言い訳するなー!と怒られるところなのだろうけれど、ミエはそのまますとんと納得してしまい、なかなか喧嘩に発展しない。

なんとも不思議な夫婦関係である。

イエタはそんな二人を眺めながら妙な感慨に耽っていた。




クラスクがどたどたと部屋から駆け去ってゆく。

そして…部屋にはミエとイエタだけが残された。




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