第352話 抗いがたき誘惑

にこやかに微笑む娘…

この村の市長、大オーククラスクを名乗る存在…その第一夫人。


ネザグエンは彼女を改めてまじまじと見つめた。


そもそもがオーク族の風習の婚姻形態があるなどと聞いたこともない。

だからもしやしたら彼女がオーク達の間に広めた風習なのかもしれなかった。


彼女が提示した条件…それはとても魔導師にとってとても魅力的で、そして蠱惑的である。


魔導師として最も大事なのは魔術に対する研鑽と研究であるが、そのためには研究施設と研究のための潤沢な予算が必須となる。


そのためには魔具などと作って売るか、冒険などに出て稼ぐか、或いは依頼などを受けて魔術などを行使して報酬を支払ってもらわねばならない。

場合によっては見世物まがいのことをしてでも、だ。


少しでも長く、少しでも多く魔導の神髄、世界の真理を研究したい彼らにとって、それは時に耐えがたい苦痛であり、或いは屈辱である。


ゆえに彼らは常にパトロンを望んでいる。

魔術に理解があって、そして金払いのいいパトロンである。


半年前に目撃たこの街は、それを兼ね備えているように見えた。

そしてそれを今まさに目の前で示唆され、提示され、選択肢を示されている。


「……………………………」


考えてみればそもそも最初からおかしかったのだ。

なぜ彼女はわざわざ敵対している国の従軍魔導師を城の中に案内したのか?

なぜ軍事機密に等しいあのジオラマとやらの説明を嬉々として行ったのか?


今になってみれば答えは明白である。


彼女は最初からこちらを味方に付けるつもりだったのだ。

はなからネザグエンを敵だと認識していなかったのである。

それは無防備にもなろうというものだ。


では彼女の鼻を明かしてこの申し出を断るべきなのか?


否である。

断るにしてはあまりにも条件が良すぎるからだ。


魔導師が国に仕えるのは優秀なパトロンだからである。

国は魔導術による恩恵を受けたい。

魔導師は彼らから金を引き出したい。

その利害が一致しているからこそ魔導師は国に従い、宮廷に仕えるのだ。

そこに忠誠や忠義の概念は…一部の例外を除き存在しない。


ゆえにそれより優れた条件を提示されればそれまでの関係を見直すことも十分に考えられる。

それが魔導的合理というものだ。


ただ現実問題彼らが国を裏切ることはないだろう。

一夜の大金ならいざ知らず、長期に渡って国家より良い条件を提示し続けられる者などそうそう存在しないからだ。


だがミエが出している条件はそもそも王国と手を切れと言っているのでもなければ裏切れと言っているのでもない。

魔導会議所を経ずに最初から魔導学院を建てさせて欲しいと、そのための口添えを王国の宮廷魔導師ヴォソフにお願いできないかと、そう言っているのだけなのだ。



もしそれを知れば秘書官トゥーヴは絶対許さぬだろうが、それは王国の総意ではない。

国家の運営に関わらぬ魔導師としての業務だとうそぶけば、国に報告しない事だって可能である。


というか、


魔導師は国家に忠誠を誓ってはいない。

利害が一致しているだけなのだ。

だからそれ以上の利益を提示されればそちらを取る。


国家の中枢の一端にいる者の思考としてどうかと思われるかもしれないが、それが魔導師という存在が有する主義であり、合理性である。


ミエは…この街の市長夫人は魔導師のそうした習性を上手く利用しようとしている。

国に仕えていても魔導師にとっての好餌には飛びつくと見切っている。


そして彼女の認識はおおむね正しい。

ネザグエンはそう認めざるを得なかった。


自分は彼女の申し出を受けるし、師であるヴォソフも喜んで協力するだろう。

そしてこの案件を国の者達に伝えることはないだろう。


魔導師でない者にこれほど魔導師の精神性を、その本質を理解されたのは初めてかもしれない。

ネザグエンは驚嘆をもって目の前の女性を見つめた。


「…わかりました。前向きに検討させていただきます」

「やたっ! そう言って頂けると嬉しいですー」


ミエは両手を合わせて嬉しそうに笑う。

その弾けるような笑顔がなんとも魅力的だ。


「それはいいのですが…なぜ魔導学院を作ろうと?」

「ふぇ? だってこの世界の分析とか解析とかって大事なことじゃないですか。魔導術とか錬金術とかがやってることって要はそういうですよね? 基礎研究ってお金にならなくても可能なら援助すべきだし応援するものなのでは?」

「ふぐ……っ!」

「ふぇ?! ど、どうしたんです?! 大丈夫ですか!?」


口元を抑え崩れ落ちるネザグエンにミエが慌てて駆け寄る。


「いえ…その、そんなこと言ってもらえたの初めてだったので…」

「まあ?」


ミエの素の発言があまりに魔導師として理想的なパトロン過ぎて嗚咽を漏らし泣きそうになるのを必死にこらえる。

この時点でネザグエンは既に堕ちていた。


「とはいっても無尽蔵にお金が出せるわけじゃないですよ? うちはまだ小さな街ですし…」

「わかっています。ただ志が有難いと言うか…」

「それにうちにだってちゃんとメリットがあることですし」

「…魔具や魔導術の充実ということですか?」


当たり障りのない解を告げるが、ミエはにこやかに首を振る。


「だって魔導師って王様とかとの縦繋がりより魔導師同士の横繋がりのが強いですよね? なら魔導学院が建っちゃったらどの国だってそこの魔導師はうちを攻めたくなくなるんじゃないかなーって」

「ッ!!」


その通りである。

ミエの言う事は正しい。


魔導師は世界の真理を解き明かすために少しでも多くの同胞が欲しい。

ゆえに魔導学院は彼らにとって非常に重要な施設である。

それが建っている街はできれば攻撃したくない。


ゆえにこの街が魔導学院を設立するというのなら、魔導師はこの街と敵対しづらくなる。

魔術対策に各国の宮廷は魔導師を抱えることが殆どであり、その発言力は決して低くはない。


つまりミエはこの街に魔導学院を設立することで、ほとんどの国家の宮廷の一部…つまり各国の宮廷魔導師をを味方につけるつもりなのだ。


なんという豪胆さだろうか。

己の街を守るためにまず各国の魔導師を抱きこもうだなどと普通は思いつきもしないだろう。

仮にそんなことを想起できたとしてても、それを為さんと欲するならまず宮廷と繋がりのある魔導師を招き寄せ説得しなければならないし、なにより学院設立に足るだけの経済力がなければならぬ。


それを辺境の一小村…いや小さな街がやり遂げようとしているのだ。

ネザグエンは思わず目を瞠った。


ただ…ネザグエンは己の内に湧き出た素朴な疑問がどうしても拭い切れず、思わずミエに尋ねてしまう。


「その…私が貴女の誘いに乗らず全てを国王陛下に奏上するとは思われなかったのですか?」

「思われなかったですねえ」

「ええ…? し、失礼ですが…なぜ?」

「なぜって…ええっとネザグエンさん、失礼ですが王都の魔術学院で研究室をお持ちですよね?」


ここでいう研究室とは『魔導研究室』のことを指す。

魔術工房のように魔具の作成もできるが、それに加えてそれぞれの魔導師が専門に研究している系統の魔術に関する様々な工夫が凝らされており、本格的に魔導の研究に打ち込み己で新たな呪文を構築せんとする魔導師にとっていつか手に入れておきたい垂涎の施設と言っていいだろう。


「研究室までご存知でしたか。はい。ただ研究室と言っても学院にある汎用研究室を長期に借り受けているだけでして…」


ヴォソフの高弟の中ではネザグエンは最も年が若い。

まだ二十代も半ばに達しておらず、魔導師としては相当に若手である。


学院外に専用の研究室を作るだけの金銭的余裕もない。

ゆえに毎月それなりの額を支払って学院の公共研究室を長期に渡りレンタルし、そこを自分用に改装して用いている。

最近になってだいぶ使いやすくはなったけれど、それなりにかかる賃料も馬鹿にならず、彼女の悩みの種となっていた。


「ほほう。それはよいことを聞きました」

「え、いいことですか、これ?」

「だってネザグエンさん、この街の魔導学院は今から造るわけじゃないですか」

「はい」

「基本的な外観はうちがデザインしますが、内装に関しては当然魔導師の使い勝手がいいように設計するわけですよ」

「そうしていただけるととても助かりますね」

「で…当然うちの宮廷魔導師に一番いい部屋を確保させていただくわけですが…もし今回の件尽力していただけるんでしたら、こちらには当魔導学院にネザグエンさんのお部屋を用意する準備があります」

「!?」


びくん、とネザグエンの身体が震えた。


「設計の段階から参加していただければ、ネザグエンさんのお好みにカスタマイズした専用研究室も作れると思うのですが…?」

「全力でこの街の魔導学院設立ために鋭意邁進する覚悟でございます!!」






がっしとミエの手を取って瞳を輝かせそう宣言したネザグエンは…そうして自らこの街が敷いた罠の中へと飛び込んで行ったのだ。





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