第353話 喫茶店
「で…そのネザグエンとやらは帰ったのか」
「はい、それはもう。ほくほくした顔で」
「じゃろうなあ」
後日、中街のカフェテラスにて、ミエとシャミルが茶を飲みながら先日の交渉について会話していた。
「わしだとて『錬金術工房を好きにデザインしてよい予算はこちらで出す』などと言われたら飛びつくじゃろうしな」
「きゃーシャミルさんが他の街に引き抜かれちゃいますー」
「心のこもっとらん台詞じゃな!」
「だってシャミルさんこの街出てゆく気ないでしょう?」
ミエに問われてシャミルがバツがを悪そうに頭を掻いた。
「まあ街の設計にしろ錬金術工房にしろここまで好きに造らせてくれる街はそうそうないじゃろうしなあ」
「リーパグさんもいますもんね!」
「それはどーでもよい。心底どーでもよい」
「ええー」
シャミルの返事に不満そうな声を上げるミエ。
「まあ一応あ奴も多少マシにはなってきおったが…」
「ですよね、ですよね!!」
「なんでお主が嬉しそうなんじゃ」
「だってシャミルさんがリーパグさんのこと褒めるのが嬉しくって…」
「わしを亭主の愚痴しか言わぬ愚妻か何かじゃと思っとるのか」
「シャミルさんが愚かだとかとんでもない! …素直じゃないとは思いますけどー」
「一言多いのはこの口か。この口か!」
「ひゃみふはんひはいへふー」
テーブルの上に身を乗り出してミエの口を指で広げるシャミル。
「まったく…しかしその宮廷魔導師の娘もさも驚いたことじゃろうな。己の
「なんかしっかり防御魔術で占術対策してたそうですけど全然通用してなくて結構焦ってたみたいです。お陰でうちのネッカさんがすごい魔導術の達人だって思い込んだみたいでした。まあうちのネッカさんは! 実際! すごい魔導師なのですが! が!」
「繰り返さんでよろしい」
「はいでした」
ミエが素直に頭を下げる様のどこが面白かったのか、シャミルがニヤリと笑ってお茶の入ったカップを傾ける。
「なまじ魔導の業に詳しいがゆえにまさか魔導術を使わんでそこまで特定されとるとは思っておらんかったようじゃの」
「ですよねー。まあうちは魔導師以外にも人材豊富ですから」
実はネザグエンの素性を調べ上げたのはネッカではない。
アーリンツ商会社長のアーリである。
ミエから従軍魔導師を呼び寄せたいとの話を聞いたアーリはただちに吟遊詩人ネットワークを展開、アルザス王国の市井と宮廷から流れた噂話などからたちまちその従軍魔導師がアルザス王国ヴォソフの息のかかった魔導師であることを突き止め、首都ギャラグフで仕事をする吟遊詩人立ちに小遣いをもたせその情報の裏を取った。
そして名前まで判明したところでアーリの個人的ツテに詳しく調べさせ、詳細なデータを入手した、というわけだ。
ネッカもこの調査に加わっていたけれど、彼女はどちらかというとネザグエンが展開しているであろう防御術にかからない範囲で、アーリが集めた情報の確度を高めるために占術を使っていたようである。
「しかしよくもまあ考えたものよ。各国の宮廷魔導師を味方に付けようだなどと」
「そこはまあ…ネッカさんやシャミルさんに魔導師の人となりというか性質について色々伺ったお陰というか」
「わしらの話しを聞いて出す結論があれなのがおかしい」
「おかしいですかね?」
「魔導学院とその中の研究所を餌に宮廷魔導師を釣って宮廷内の魔導師連中を抱きこもうだなどと辺境一町村の市長夫人が考える策謀ではないわ」
「でもそうでもしないとうちはまだまだ安心できないって言うか…」
「まあそれはそうなんじゃが」
あの事件…地底軍の二度にわたる襲撃を防いだあの事件から約半年。
春を過ぎ季節は初夏となっていた。
ミエの感覚では今自分はちょうど梅雨時のはずなのだが、こちらの気候ではこの時期はカラッとしており雨もほとんど降らない。
雨はどちらかというと冬にまとまって降り、また降るにしても彼女が生前住んでいた故国に比べ降水量はだいぶ控えめだ。
気候は温暖から冷涼の間で比較的過ごしやすいが、盆地のせいか昼夜の温度差は割と大きく、また夏場や冬場に山から強い風が吹き下ろすことがある。
ただそうしたことを除けば、彼女の故国よりはだいぶ過ごしやすい地方と言えた。
なにせ夏場は暑くても湿度が低いためクーラーがいらぬ。
「それにしても色々ありましたねー」
「…そうじゃな」
さて、この間クラスク村はクラスク市と名称を変え、急速な拡大と発展を遂げていた。
特にこの街は今後大いに栄えると当たりを付けた利に聡い連中や、他の村などで喰い詰めた者共が城壁の外側に大挙して押し寄せ勝手に住みついたのは完全に想定外で、シャミルは慌てて周囲の城壁を継ぎ足して下町を作り上げる羽目になった。
その際街の無秩序な拡大…いわゆる都市のスプロール化を防ぐために土塁で防壁を築き上げ、その後その土塁の周りに石材を配置することで簡易な城壁とした。
石材はミエが引いた川…『オーク川』と名付けられたその川から、畑の各地に直接水を届けるための用水路を造る過程で、いわゆる『クラスク市方式』によって大量の石材を生み出し、それを船を使って川便で運ぶことで調達した。
そして下町にもしっかりと戸籍を造り、住民をしっかり登録することで正規の街の住民として迎え入れることとしたのだ。
ただしもちろん街の一員となる以上最低限の規律を守ってもらわねばならず、そのため一部のならず者などは残念ながら退去いただくこととなった。
この際はサフィナが獅子奮迅の働きをすることとなった。
その
他の街から逃げて来た犯罪者や行き場を無くした荒くれ者。
サフィナが危険だと直感した連中を次々にリストアップし、ネッカの占術やアーリの謎の人脈によってその素性を洗い出す。
そして衛兵により住宅を取り囲み罪状を読み上げ、手あたり次第捕えていった。
暴れて抵抗しようとする
これにより街の新たな住人たちは、ここがオークの街であると言う事と、彼らが法規と治安を守る存在であると言う事をその肌で痛烈に理解することとなったのだ。
それは下町の住人に畏怖を与えたが、同時に安心をももたらした。
悪いことをすればたちまちオークの兵隊さんが現れてこらしめてゆく。
逆に言えば悪い事さえしなければこの街のオークは危険ではなく、むしろ兵士が圧倒的に強い分他の街よりすっと安全なのではなかろうか。
そんな理解と安堵が街に広がり、お陰でクラスク市の下町は当初こそ無秩序に広がったがその後かなりの落ち着きを取り戻すに至ったのだ。
「まあ男の人ばっかりが増えちゃったのはちょっと誤算ですけどー…」
「まあ内壁の中は女性比率は高めにできたし、街が大きくなったおかげで噂が広まり女性の定住希望者も数的には増えておる。そこまで悪い事ばかりでもなかろうよ」
「そうですよね…むしろ順調すぎてちょっと怖いですけども」
クラスク市について一番最初に公的に認めたのは近隣の街々であった。
すなわち隊商を守るオーク護衛隊の当初の目的地である。
彼らはこれまでのクラスク市との交易、噂や功績、そして信頼の積み重ねからオークの街とは言え十分信用に値すると判断し、正式にクラスク市と提携を結んだ。
これによりオーク護衛隊は堂々と街中に入る事ができるようになり、さらにはそれら近隣の街々からその向こうの街にまで護衛任務を延伸する事ができるようになったのだ。
クラスク市の近辺はオークの縄張りでありかつ殆どのオークの部族がクラスクの下についたためすっかり道中が安全となったけれど、その先に広がるオークの縄張りの外では未だに野盗や山賊、そして危険な怪物どもが跋扈しており、そうした相手にオーク護衛隊は優れた守り手として機能するようになった。
また地底軍の『天窓』を破壊し彼らの暗躍を防いだとして主に
これによりクラスク市は小国とはいえ一国と対等な条約を結んだ街としてさらに評判を上げることとなる。
「……? なんじゃ、妙に騒がしいのう」
「ですね。なにかあったんでしょうか」
茶を啜りながら二人は不思議そうに振り向いた。
妙に街が騒がしい。
雑踏の様子から相当物珍しいなにかが発生しているようだ。
「行ってみます?」
「じゃな。危険なものであらばわしらで住民を避難させねば」
「はい、行きましょう! ワナウさーん! お勘定個々に置いときますねー!」
少しチップをはずんでウェイトレスに渡し、シャミルと一緒に大きなざわめきのする方へと走り出す。
この街の……大きな転換期が間近に迫っていた。
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