第351話 魔導会議所
「学院…魔導学院…!?」
とんでもない申し出にネザグエンは目を白黒させる。
その場所は…半年以上前、大量の石材の調達が可能となり城壁部分以外へも転用できると確信したシャミルが街の再構成を考えていた折、ミエが進言してわざわざ空き地にさせた場所である。
一等地…即ち居館の隣接地帯。
当時からミエはあることを想定し、その場所を空白地帯とさせていたのだ。
「はい! 私達から申請すると『魔導会議所』になっちゃうじゃないですか。そこを王都ギャラグフの魔導学院学院長にして宮廷魔導師長、そして魔導学院総本山たるエーランドラ魔法王国魔導大学院十七賢人のお一人であらせられるヴォソフ様からとりなして最初から魔導学院の建設にこぎつけられないかなー……みたいな事を、彼の覚え目出度き高弟ネザグエン様に進言していただけないものかと」
すらすらと、まるで台本でも読むように流暢にそう語り掛けたミエは、最後にもう一度にこやかに、そして無邪気に微笑んでこう告げた。
「ずっとお待ちしておりました」
その笑顔にぞくり、と戦慄が走る。
確かに魔導師は新たな魔導学院を喉から手が出るほど欲している。
魔導師の目的はこの世界の全てを魔導方程式として解き明かす事だ。
その全てを独力で成し遂げようという例外もいるにはいるが、多くの者はそれを共同で研究し達成しようとする。
そのためには新たな魔導士を育成する魔導学院がいくらあっても足りないのだ。
…が、現状各地の街に魔導学院が軒を連ねているのかと言えば、答えは否だ。
その主たる理由は二つ。
一つが学院を建てるための費用の問題。
そしてもう一つが地元の住民との軋轢である。
例えば魔具の販売やら冒険者として獲得した財宝やらで巨利を得ている魔導師はそれなりにいる。
いるのだが皆その殆どを己の魔術研究に注ぎ込んでしまい、なかなか後人の育成に回せる奇特な者はいない。
彼らはどうしようもなく研究者であり、魔導師全体の大義の前についつい目先の己の探究を重視してしまいがちなのだ。
もう一つの問題の方も重大である。
魔導師は一般人と摩擦を起こしやすいのだ。
そもそもが彼らは研究者であり根本的に対人コミュニケーションを苦手とする。
さらに真理の追求のためには何をしてもいい…この何もしてもいいがどこまでの範囲を指しているかは個々によって大きな開きがあるが…と考えている節があり、公共の和を乱しやすい。
また己の研究に執心するあまり感傷や共感性に欠けた狷介な者もおり、地元愛や郷土愛と言ったものを抱きがちな現地の住人と相容れぬ者も少なくない。
ヴォソフの弟子の中で、優秀でこそあるものの抜きん出ている程ではないネザグエンが従軍魔導師などのいわゆる外回りに重宝されるのは、彼女の(魔導師にしては)高い交渉力と一般人にほど近い感性によるところが多い。
ネッカのような例外を含め、人間的に振る舞える魔導師というのは存外貴重なのである。
さて、魔導師はこんな感じで地元の種蒔などの共同作業や祭事などの行事には参加しない。
積極的に街に貢献しようともしない。
そのくせ研究費用が欲しくて金がない金がないといつも不平を並べ立てる。
こんな新参者と地元住民が上手くやっていけるだろうか。
答えは断じて否である。
身を切る想いで身銭を切って魔導学院の支部を設立し、そうした問題に幾度もぶち当たった初期の大魔導師達は頭を抱えた。
そうして妥協の産物として生まれたがの…ミエの言うところの『魔導会議所』である。
魔導会議所は有体に言えば魔導学院から教育施設や研究所としての要素を取り除き、規模を小さくしたものだ。
だがそうした要素を取り除いたとしても、それでも侮れぬ役目が幾つかある。
一つ、その街に住む魔導師の管理。
魔導師は皆魔導会議所に登録され、その資格を身に着ける事が義務付けられる。
これにより魔導師達は我に資格ありと大手を振って街を歩ける一方、もぐりやペテンといった登録外のまじない師・詐欺師などを街は堂々と摘発できるようになる。
二つ、魔術工房の貸与。
専門系統の魔導研究室を作るだけの余裕はないが、簡易な魔術工房ならば備えているという魔導会議所は多い。
魔術工房は騒音(これには魔導師の奇声や呪詛や怨嗟の声なども含まれる)や危険(魔術の失敗や実証実験の正しい結果)などの問題があり、おいそれと街中に造ることができぬ。
近隣住民が嫌がるからである。
己の魔術工房をなんとか建てられたと思ったら気づけば街の近くの森の中…などということも珍しくはないのだ。
有料とはいえ街中の手頃な場所に(しかも周囲から煩わしい文句を言われにくい!)魔術工房があるというのは魔導師にとってとても有用なことだと言えるだろう。
三つ、魔術論文の受理。
魔導師達は己の研究成果を纏め、他の魔導師に発表する。
それがそのまま新たな呪文となるわけではないが、その着想となったり新たな研究の礎となったりする非常に重要なものだ。
魔導学院という組織を維持する目的のひとつと言ってもいい。
そしてその魔術論文は学院及び傘下の組織に提出されて始めて有効となる。
例えば全く同じ結論に辿り着いた二人の魔導師がいたとして、その功績が認められるのは先に学院側が論文を受理した方となるのだ。
そういう意味で公式に魔術論文を受理する組織が近場にできるメリットというのは魔導師にとってとても大きいと言えるだろう。
四つ、魔具の販売・貸与・製造、および魔術行使
魔術工房で作成したり、あるいは魔導学院から持ち込んだ魔具を販売し、或いは貸し出す。
これにより魔導術の利便性を世に知らしめ、その恩恵を一般人に与える事で素晴らしさを流布喧伝できる。
依頼によってはオーダーメイドで魔具を造ることもあるし、占い、土地造成、派手な花火など街の役に立つような魔術を行使して魔導師や魔導術の評価を上げるのも重要な仕事だ。
これらの地道な宣伝活動を行いつつ街の住民の理解を深め、その後なんとか魔導学院の設立にこぎつける…というのが一般的な魔導学院が生まれる道筋である。
仮にその地の貴族なり王族なりが乗り気であっても地元の住民感情がおざなりにされていることは少なくないからだ。
「でも…お力のある方のとりなしがあればそのステップを排除できる。そうですよね?」
「それはまあ…そうですが」
「うちの街には学院設立の予算の一部を負担する用意があります」
「……!」
「特に建材である石材は…うちの宮廷魔導師がその殆どを用立てることが可能です。その運搬費に関してもこちらが全て負担しましょう。オークは力持ちですからね」
「~~~~~~~!!?」
二の句、三の句が接げず一方的に追い込まれる。
だがそれも当然だろう。
魔導学院の設立という非常に魅力的な餌がぶら下がっていて、その上予算の一部を向こうが持ってくれて、さらに魔術関連以外の予算の大部分を占める建材の切り出しと運搬を向こうが全て受け持ってくれるというのである。
こんな好条件今まで聞いたことがない。
「地元との軋轢は私達が責任をもって対処します。うちの街は既に魔導術や魔具の恩恵に多く預かっておりますし、魔導術に対する理解が高いのは前回来ていただいた際に既にご存知ですよね? これが上手く行けばヴォソフ様の発言力も上がりますし、それを進言したネザグエン様の功績も大なりだと思うのですが…」
畳みかけるようなミエの言葉にますます追い詰められてゆく。
彼女は決して過大に宣伝や営業をかけているわけではない。
この街が魔導術に対し理解が深いことは前回の遠征で既に実体験として知っている。
だからこそこの街に興味を覚え、けれど占術による遠隔からの調査が阻害され、結果矢も楯もたまらずこの街を訪れてしまったのだから。
(あ………)
そして…今さらながらに思い至った。
全て計画の内だ、と。
魔導会議所を飛び越えて魔導学院を建てるためには位の高い魔導師が必要だ。
この近辺ですぐに当たりがつく大魔導師は敵国であるアルザス王国の宮廷魔導師長ヴォソフしかいない。
彼と接触するためにはアルザス王国の魔導師が必要だ。
ならばこの街を攻めて来た騎士団の中に従軍魔導師がいるはずである。
王国から派遣されてきたのだからヴォソフの息がかかっている者に違いない。
ならば対魔導師用に城の魔術的護りを強めるのと同時に、辺境の一小村が魔導術に高い見識を持っていることを示し、かつ大量の魔具を造る潤沢な予算があることを喧伝すれば、好奇心の強い魔導師は城壁の中を覗けぬがゆえに強い知的興味を抱くはずだ。
ならばその相手を待ち受けて、のこのこやってきた当の魔導師の前に垂涎の餌をぶら下げて、己の目的を成し遂げればよい…そう考えたのだ。
その為の建設予定地すら……街の再建時に最初から用意して。
見る目が、変わった。
再び一変した。
彼女は全てを知っている預言者ではなく。
愛嬌溢れる接待役でもない。
目の前にいるにこやかに微笑む女性は…恐ろしい程の為政者だった。
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