第349話 大きなオークの小さな趣味

背後からぽん、と肩を叩かれる。

耳元で己の窃視を咎められる。


まるで背中から手を突き込まれ己の心臓をぎゅっと掴まれたかのような恐怖がネザグエンを襲った。


「ミ、ミエ…さん…」

「はい! あー…扉開いちゃってましたかー」


肩口からひょこっと顔を覗かせたミエの表情には陰惨な影は微塵もない。

だがそれゆえにこそネザグエンの畏怖は層倍に上がる。


「すいません…あまり外から来た方には見せないように旦那様から言われてるんですけど…」


それはそうだろう。

見た目は美しいミニチュアだが、この部屋の重要度は国家機密に等しい。


なにせ敵の城である。

半年前攻めて来た相手側の城の詳細な見取図をこの街は既に把握しているという、とんでもない軍事機密なのだから。


問題はそんな機密を興味本位で覗いてしまった己自身の扱いである。

なにせここはオークの村なのだ。

平時には他種族と変わらぬ文化的側面を見せることをこの町は示しているけれど、同時に緊急時には他国…いや正確にはアルザス王国にとってはなのだが…の侵略にも負けぬ強大な武力を有する事をこの町は幾度も示してきた。

そんな彼らの街で罪を犯すことが何を意味するのか…なまじ高い知性を持つがゆえに、様々な可能性がネザグエンの脳内で示唆されて冷や汗がだらだらと流れて落ちる。


逃げ出す?

ここから逃げ出す?


現状打破に向け高速に思考を展開させる。

何か少し前にも同じことをしていた気がするが。


ただ問題はネザグエンは〈転移ルケビカー〉の呪文を修得していないことだ。

瞬時にこの場から脱出できる移動呪文…〈次元扉クィーフ・ヴェオクヴィヲフ〉などは覚えているが、〈転移ルケビカー〉に比べると飛距離がだいぶ短い。

ここで使用してもせいぜい二重の城壁の外側に行けるかどうか、といったところだ。


さらに目の前の女性…彼女の真意も未だわからない。

もしかしたらこの部屋をわざと見せてこちらに警戒心を抱かせが目的の可能性すらある。


なにせ相手はこちらの出自をかなり正確に把握しているのだ。

それを咎めることで今後も控えているであろうアルザス王国との交渉を有利に運ぼうとする意図やもしれぬ。


…と考えるとそもそも魔導師を重要拠点たる居館に連れ込んだ自体が罠である可能性も高い。

当然転移呪文も対策されている可能性もある。


なにせこちらの防御術を突破して自身の素性を洗い出した魔導師が相手(と思われる)のだ。

高位魔術による対策を準備されていてもおかしくない。


この城に〈否定領域フキオッド・フヴォッキクバック〉の呪文が展開されていて転移呪文自体が阻害されているのかもしれないし、〈預見転移ヴェオラルケビカー・イラボソーヴ〉などの呪文でどこに逃げ出すのか待ち受けられたりする可能性もある。


相手に術師がいて、こちらの出自が知られている時点で、瞬間移動系の魔術があるからといって安全ではないのである。

そしてそのまま捕えられ、街中で呪文を唱えた罪で訴追されるといった寸法だ。


「なんか以前地底の方の襲撃を受けたあたりから興味持っちゃったらしくて最近はこんなものまで作っちゃってるんですよー」

「そ、そうですか…その、すごいですね…」


どう答えたものかいいかわからず当たり障りのない返事をする。

と、そこにミエが強く食いついて来た。


「そう! すごいんですよ! まるで本物みたいですよねー!」

「え、ええ…見事な出来栄えだと思います…」


とりあえず褒めるだけ褒めて見るとミエの表情が明らかに変わった。

夫を褒められて嬉しくてたまらないようだ。


「ですよね、ですよね! 王都の方でもやっぱりそう思われます!?」

「ええ、まあ…えーっと、これはその…前の襲撃の時から造られて…?」


自分達の村を攻めてきた王国軍に反撃するため、なんらかの手段で王都の詳細な地図を入手してそのジオラマを作成…といった流れだろうか。

なんとも危険な香りがする。


「あ、いえ。小さな町ならこれより前にもっとたくさん作ってますよ」

「たくさん!?」

「はい。これくらいの大作となると…三つ目くらいですかねえ」

「そん

 なに」


細やかさだけでなく制作速度も尋常ではないらしい。


「以前は全部旦那様の手作りでしたから一つ作るのにも結構時間かかってましたけど、春の祭りで一般展示したら大受けして…それで城内の職人達とか下町の方々の中にもこうした小さな…模型? を売るお店がどんどんできて、そこから買い取る事でだいぶ作るのが楽になったって言ってましたねー」

「なるほど」

「まあ旦那様品質についてはだいぶうるさいみたいで、店の方がちょっとこぼしてましたけど」

「確かに…妥協を許さない見事な完成度だと思います」

「ですよね! ですよね!」


軍事目的半分の市長の趣味が新たな商機を生み、模型の専門店が発生する。

市長と専属契約を結べば商売は安定に乗れるから、彼の眼鏡に叶うように必死に腕を磨き、技術力が向上する。

その結果市長以外の趣味人…貴族や商人などが目に留めて、自らの趣味や貿易品として購ってゆくようになった、といったところだろうか。

新たな街の名物が誕生、というわけだ。


「ちなみに他の作品は?」

「あー…場所を取るので倉庫に…旦那様は残念がってましたけど」

「…でしょうね」


このレベルとなればもはや単なる個人の趣味の域を超えている。

芸術作品のレベルではないか。

その域で入魂した作品をしまわれてはそれはそれは悔しいだろう。

ネザグエンはそんな状況ではないにもかかわらず、この街の市長に少し同情した。


「これ以外の作品も見てみたいものですね。くだんの大作なども」

「お見せしたいのはやまやまなんですがちょっと気軽に開けられない場所にしまってあるというか…」

「あ、いえ、別に今見たいというわけではなくてですね」

「そうですね。ネザグエンさんなら

「………??」


ミエの言葉の意味がよく呑み込めず、ネザグエンは僅かに眉根を寄せて考え込んだ。


今後も? 機会がある?

それはつまり自分がこの街にこの後幾度も訪れる、ということだろうか。

なぜそんなことになる?

もしやして物騒な話ではなく王国側と交渉がしたいのだろうか?


それなら一応話を聞くくらいは…


「今度是非見ていただきたいです! 前に造ってた大物は確かドイラムって町の模型でー…」

「ヒッ」


ネザグエンは思わず小さな悲鳴を上げてしまう。

だってそれはではないか!

もしやしてアルザス王国のみならずバクラダにまで侵略の手を伸ばそうとしている?

そんな危険な存在、オークの中でも…


「あ……」


そうだった。

オーク族は基本小集団であり、大きな組織となる事は殆どない。

だが例外として強大な武力を有したオークが複数の部族を従えて、オーク族の王様のような立場に就き、大軍を率いる事がある。


それを『大オーク』と呼ぶ。


この町の市長はその大オークなのだ。

その気になれば国家にすら喧嘩を売れる武力を有しているのである。


そんな強大な存在が…歴代の大オーク達と比べても遥かに高い知性を併せ持ち、文化文明を取り込み、このジオラマのように相手国を攻める戦術的・戦略的見地を有している。



それはあまりにも危険な存在だと…ネザグエンには思えた。






ならば…そんな危険な彼らの街に己が幾度も訪れるようになるとした彼女…この市長夫人には、一体どんな目論見があるのだろうか。



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