第345話 ダンジョンと冒険者
かつての従軍魔導師ネザグエンは、己の知的好奇心に耐えかねてこのクラスク市を訪れている。
今は城の周囲に広がっている下町を見学しているところだ。
「へー、地図がちゃんとある。ほー……?」
主街道に戻り道端にある板に描かれた地図を見つけ、ネザグエンは興味深そうに覗き込んだ。
すぐに目を引いたのが下町を囲む周囲の城壁である。
中央の城を囲むように、どの方向にも等間隔に広がっている。
とても整然とした、美しい造りだ。
…が、落ち着いて考えてみるとそれは少しおかしい。
この下町が元々彼女の推測通り自然発生的に生まれたのだとして、それを城側が後から追認したのだとしたら、四方の城壁が同じ間隔になるはずがないのだ。
この街の南の街道は国境を越え大国バクラダへと通じている。
街の西には
彼女が歩いて来た街の東にはこの国最大の商業都市ツォモーペとその衛星都市群がある。
それらの方角からこの街に訪れる旅人や商人、あるいは観光客目当てでその街道筋に軒売りが集うのはまあ理解できる。
だがこの街の北の街道を進んでも当分村や街は存在しないはずだ。
街道の遥か北には防衛都市ドルムが控えているが、その途中街道の左右に広がっているのは長い長い荒れ果てた荒野であり、現在は危険な肉食獣が跋扈する野生の獣どもの巣窟のはずだ。
それを考えれば村の外に湧く軒売りも北だけは発生しないか、してもだいぶ伸びが悪くなるはずだ。
となればあの村が城外に勝手に群れ集まった軒売り達を追認して後付けで下町作った場合、北側だけ凹んだ構造になるはずである。
だが地図を確認する限り城壁は北の方角にも等間隔で広がっていた。
クラスク城を取り囲むように、ほぼ円形にである。
それはこの街がかなり早い段階からなんらかの意図を以て計画的に造成されていることを意味する。
(なんでだろう…単なるデザイン上だけの問題…?)
確かに正円に近い形で城壁を造った方が見栄えがいい。
そうすると街の北側には大きな空間ができることになるが、そこは家畜小屋などを作って農業スペースとしたり、或いは人口が増えたとき用に空きスペースとして確保したりと色々やりようはある。
そういうことであれば一応納得できる理由ではある。
(う~ん…でも単にそれだけかな…?)
他に可能性として考えられるのは街の北側を大きくする理由がちゃんとある場合だ。
例えば人間族が知らないオーク達の集落がたくさんあってそこと交易するつもりなのだとか、あるいは今後この街の北の方角が発展するなんらかの目算があるのか、などだ。
「あと変わったところって言うと…」
ネザグエンは地図の下…南方の方に目を剥ける。
街から南に伸びた街道が地図の下に消え、矢印付きで『至バクラダ王国』とある。
これはいい。
地図によれば南に伸びたその街道の西側に、大きな森があるようだ。
『
そして地図上、この街から南南西に伸びる街道に沿ってその森に向かうと…森の中に小さな村がある。
『花の村クラスク』。
奇しくもこの街と同じ名前である。
規模や距離から考えればこの街の衛星都市のひとつだろうか。
だとしてももなぜわざわざ同名にするのだろう。
クラスクというのはこの街の市長たるオークの名だそうだが、己の名をあちこちに付けたがるほどに自己顕示欲が強いのだろうか。
まあオークならばそれでもさほどおかしくはないのだが、仮にそうだとするとこの整然として計画的な街づくりの些かイメージが合わぬ。
「あとで行って見よっかな…」
地図の要点を手早く羊皮紙に書き写し、ザックにしまう。
そして再び街の中心部たる城の方へと向かった。
「ほらほら! ヒール! アム! とっとと行くよ!」
「待てよライトル! そこまで急がなくっても別に遺跡は逃げたりしねえよ!」
「でも他の人に先を越されちゃうかもしれないでしょー?」
「だが無暗に急いては怪我の元だぞ」
「もー、アムー、わかってるけどさー!」
小人族の娘がはしゃぎながら先導し、その後を若い人間族の戦士と壮年の僧侶が追う。
そしてその後を中年の魔導師が杖をつきながらゆっくりとついてゆく。
すれ違いざまその魔導師と目が合い、互いに軽く会釈する。
喩え知り合いでなかろうと知己でなかろうと、魔導師は基本同じ目的を持った研究仲間のようなものだ。
宮廷魔導師だろうと冒険者だろうと互いに最低限敬意を払うのが通例である。
(冒険者…? ああ、ギルドがあるのかな?)
彼らを軽く見送った後、振り向いた先にそれらしき店を見つけ、一人得心する。
酒場を改装したらしきその店の前には文字が記された立て看板があり、そこには
「よろずご相談、ご依頼は当店掲示板まで!」
と記されている。
いかにもな冒険者ギルドである。
冒険者は街の様々な困難や難題を解決する便利屋であり、また街の周辺をうろつく強力な魔物を討伐してくれる街の用心棒でもある。
そして街の近隣のダンジョンなどを探索をする字の如く冒険者でもある。
ダンジョンとは世界中に広がる主として地下へ続く迷宮である。
深い地割れに巨大植物が根を張って自然発生的に生まれたものや古代文明の遺跡、さらには魔導師の研究所跡なんていうものもある。
魔導師が唱える魔術や造る魔具には様々な素材が必要であり、その中にはモンスターの身体部位…毛・皮・爪・牙・内臓など…が必要とされることも少なくない。
魔導師が冒険者として旅に出る大きな理由の一つである。
だが高位の魔導師の中にはこう考える者もいる。
「モンスターの身体部位を入手するなら冒険に出るより手近に素材が取れるような環境を作った方が早くない?」と。
そうした魔導師が魔術によって地面を掘削し、怪物どもの生活環境を整え、それらを捕まえたり眠らせたりして連れて来てそのまま住まわせる。
彼らは研究熱心なだけで別に悪意や害意があるわけではないが、そうして放たれた怪物どもが洞窟の中だけで大人しくしているとは限らない。
外に出て人を、村を襲い、種族によっては財貨などを収奪して持ち帰ることもある。
中にはそうしたことをある程度制御しようとする魔導師もいるにはいるが、彼らが死んでしまった後にやはり怪物どもが暴れ出して近隣に迷惑をかけたりもする。
これらもまた立派なダンジョンと言えるだろう。
ともあれそうしたダンジョン…迷宮などが各地に存在しており、冒険者と名乗る者たちが一攫千金を求めて探索に出かけたりする。
この地方はこれまでオーク族の支配下であり最寄りの街や村からも遠かったためあまり探索が進んでおらず、いわば穴場と言っていい。
そうした彼らにとってこの街と冒険者ギルドは非常によい足掛かりとなるはずだ。
「あー…だからかな」
少しだけ眉根を寄せてネザグエンは回想する。
この街を訪れてから今まで感じていた違和感。
ローブを深めにかぶり杖をつき歩いている旅人たち。
その中に幾人か魔導師が混じっていたのだ。
研究費用や貴重な素材や魔具を求めて冒険者をやるような者もいるけれど、基本魔導師は研究者であり好んで外を出歩かない。
にもかかわらずこの街の往来を歩く者の中にそこそこ魔導師を見かけるのだ。
魔導師は一見すると己の職がわからぬよう纏っているローブも杖も偽装している事が多い。
肉体的には脆弱で荒事を好まぬことと、希少な素材などを持ち歩くことが多く野盗などの恰好の餌となりかねないためだ…が、同業者であればさすがにすぐに見分けがつく。
それだけに一体なぜ少なくない数の魔導師が往来を闊歩しているのかずっと疑問だったのである。
だが冒険者ギルドがあるというのならそれなりに納得がいく。
ダンジョンの中には古代遺跡などもあり、希少な遺失魔術や魔具などが眠っていることも少なくない。
また地底へと通じる穴を見つけて報告すれば少なくない額の報奨金も受け取れる。
そうしたものを目当てに、新たな探索場として開放されたこの地方に越してきた魔導師がいるということなのだろう。
…などと、彼女は一人納得して大いに頷いた。
この時点では。
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