第343話 クラスク市
半年前…この国、アルザス王国がクラスク市を討伐しようと騎士団を派遣した。
だがその計画は失敗に終わり、彼らは何の成果も上げることができずに撤退した。
ただ、それだけなら然程の問題ではなかった。
野戦を企図した電撃戦を仕掛けようとしたら待っていたのが城だった、というのが最大の敗因であり、これ自体は騎士団側を攻められるものではない。
この街…いや当時のこの村以外、誰もそんな短期間で村を城にできるなどと考えてもいなかったからだ。
相手が城であれば攻城戦の用意をすればいい。
鉤縄、攻城雲梯、攻城塔といった登城具。
火矢、煮粥、破城槌、
坑道を掘るための用具と人足。
さらには探査、調査、潜入、城壁破砕のための魔導部隊。
そうしたものを万全に備えた上で再度…いや幾度でも挑めばよい。
一方は国家、もう一方は城持ちとはいえあくまで一地方の一小村にすぎない。
彼我の戦力は比較にならぬ。
数と力押しで幾らでもどうにかできるはずだった。
問題はその村の戦力と名声を見誤ったことである。
先の戦いでこの村の村長たるクラスクなるオークは周辺のオーク族を従えた事が判明した。
すなわち『大オーク』の誕生である。
歴史的に大オークが誕生すると周辺の国家に一気に緊張が走る。
本来オーク族と言うのはあまり大軍となることがない。
女性自体が少ないため部族単位での数が少ないことと、秩序だった行動を取るのが苦手な彼らは他の部族と協力し、群れることが苦手なためである。
ゆえに襲撃や略奪、子作りのための女性の略取といったいわゆるオークの
だが大オークが生まれたとなると話が一変する。
人間族より強大な力と頑健さを併せ持ち、怪我も死も恐れぬ恐るべき戦士どもが、大軍を以って攻めてくるのだ。
当然襲撃の規模も、その目的地も大きくなり、被害も甚大なものとなる。
大オーク討伐のために複数の国家が連合軍を組織して事に当たった、という事態すらある。
それほどにオークをまとめ上げる存在、というのは危険なのだ。
大オークとなると討伐の難度も格段に上がる。
例えばオーク達がどんなに堅固な砦を築こうと、それが単体なら大した脅威ではない。
包囲して力押しですり潰せばよい。
だが周囲からいつ増援が来るかわからぬ、となると話はまるで違ってくる。
大軍を以って示威しようにも戦闘好きのオークには通用しない。
確実なのは魔術によって彼らの拠点を炙り出し、個々に打ち取って城を孤立無援とする事だが、それをするには膨大な手間と時間がかかるし、地の利のある相手に対し不利な野戦を挑まねばならぬ。
さらには向こうには優れた魔導術の使い手がいることも判明しており、各地のオーク族が連携して有機的に動きこちらを阻む事すら考えられる。
四大部族以外にも、大オークの傘下に下ったオークの小集落が幾つもあるからだ。
それを総て鎮圧するためには大軍と何度もの遠征が必要となるだろう。
すなわち秘書官トゥーヴの主張する『王国に刃向かうオークの一集落を一息に蹂躙する』という主張が通用しなくなってしまうのだ。
彼が前回クラスク村に出撃できたのは一回の出撃で、自分の手勢だけで事が済むからと説明してきたからである。
一回で終わるから予算も期間も大していらぬ。
自分の手勢だけを率いるから他に迷惑はかけぬ。
紫焔騎士団は王国周辺の警護と討伐が主な任務だから防衛都市ドルムへの影響もない。
責任は全て自分が取る。
こんな根回しがあったため、まああいつ一人がやるなら…と他の貴族から了解を得られたわけである。
ただこれに関しては彼の単なる自己犠牲とバクラダ王国からの強い圧力以外にも彼なりの成算があった。
持ち出しも責任も全て自分が受け持つことで、無事鎮圧に成功したならその全ての功績も自分が独り占めするつもりだったのだ。
だが彼の遠征は失敗に終わった。
国力を考えれば討伐のための二次出兵、三次出兵と派兵するだけの備蓄はある。
あるのだが…その難易度が段違いになってしまった。
単なる一小村ではなく城塞となった。
辺境の村一つではなく周囲に点在するオークの集落と連携を取って防衛する連合軍となった。
無論国力の全てを掛ければ踏み潰せるだろうが、それはトゥーヴの主張から明らかに逸脱している。
ただそれでも、この村が本当に危険なのだとしたら、北の魔族共より急務で対処しなければならぬ脅威なのだとしたら、喩え前言を翻してでも討伐するべきなのだ。
するべきなのだが…今度はその村の名声がその邪魔をする。
半年前、クラスク村は地底軍の襲撃を受けた。
後の検証によって主たる辻街道に座すこの村を平らげれば地上を侵略するよき橋頭保となるからだ、という結論がノームたちの小国、ブスウィルトミー王国の学者たちによって発表された。
クラスク村はその危険な地底軍を単独で撃退した。
それはとりもなおさず「地上の全国家、全種族を以って対処すべし」と
最も単にそれだけなら「村が襲われたゆえ防衛しただけで、彼らに地底軍を積極的に対処すべき意図はなかった」と言い張る事は可能だし、事実トゥーヴは強硬にそれを主張した。
だがその進言が通る事はなかった。
彼らが事前に各国に地底軍の意図と計画、そして本拠地について手紙を送り、助力を要請していたからだ。
勿論トゥーヴは各所に働きかけその試みを潰してのけた。
自分達王国騎士団に攻め込まれては困るから嘘を並べ立て悪あがきをしているだけだと断じ、やんわりと、或いは強硬に各国を黙らせ、村を孤立無援に陥らせた。
手紙を受け取った国々の方も、いくら
実際それを利用した詐欺まがいの事案がこれまでに幾度が発生している。
それを訴えているのが組織としての信頼度が足らぬオークの集落ならなおのことである。
そういう意味で、トゥーヴの試みは見事成功したと言えるだろう。
ただ…問題は彼らの言っていることが嘘ではなかったという事だ。
その村は本当に地底軍の襲撃を受けたし、それを見事撃退してのけた。
地底軍の指導者を討ち取る大殊勲まで上げた。
それはノーム調査団のみならず、当時村に匿われていた旅人や商人達も皆証言している。
さらに彼らは自らの村に大軍を派遣して手薄となった地底軍の本拠地…地上と地底を繋ぐ出入口となっていたブスウィルトミー王国の
そしてこれらのことは全て、半信半疑ながらもその手紙の内容が真実ならば捨て置けぬとノームの王国が派遣した調査団によって目撃、記録され、確証が取られた。
単に己の村の防衛が目的なら、戦力を減らしてまで地底軍の本拠地を潰す必要はない。
守りを固めて彼らを追い散らし、その後あの村は手強いからと矛先を変えた地底軍が他の街や村を襲うのを静観していればいいのだから。
だが彼らはそれをしなかった。
防衛に回せる貴重な戦力を割いてまで、わざわざ地底軍の本拠地を叩いた。
そしてそのことを近隣諸国にあらかじめ全て伝えていたのだ。
つまり彼らは
一つ、地底軍の脅威を正しく認識し、列国と共同して事に当たろうとした。
一つ、己が得た情報を総て開示し、周辺諸国の協力を仰いだ。
一つ、己の国家以外に犠牲が及ばぬよう、全力で地底軍の目的を挫こうとした。
という、まさに
さて、こうなると彼らの主張に無視を決め込んでいた周辺諸国は大変困った事になった。
小国とはいえ学者たちの報告を元にノームの国家が公式に行った報告によりクラスク村の功績が認められ、自分達の主張が誤っていたことになったからだ。
当然非難の矛先は自分達に国際法を守らせぬように動いたアルザス王国に向かうことになる。
曰く、地底軍の脅威を正しく認識していた村の言を封殺せんとするとは何事か、と。
この件で特に窮地に陥ったのが当然と言うか秘書官のトゥーヴである。
なにせ彼は当のクラスク村を討伐戦と騎兵隊を派遣し自ら指揮を執っていたのだ。
それも彼らが地底軍と雌雄を決しようとしていたその日にである。
…結果的に、アルザス王国の公式の発表はこうなった。
「独自の調査により地底軍の脅威を察した王国は騎兵隊を派遣し、現地にて地底軍の尖兵と戦い、大いに討ち果たした」と。
…嘘は言っていない。
騎兵隊を派遣したのは事実だし、現地で地底軍と戦闘したのも本当だ。
さらに言えばクラスク村の兵とは一度たりとも矛を交えてはいない。
そこに至る前にクラスク村の前族長ウッケ。ハヴシが率いる兵と削り合いになって互いに兵を引いたのだから。
こうしてアルザス王国は国際法に反するという最悪の事態を避けることができた。
ただし…その代償として、彼らは…秘書官のツゥーヴは、クラスク村を討伐する大義名分を失ってしまったのだ。
そして…その村は、今や街となって急速な発展を遂げていた。
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