第339話 エピローグ(第六章最終話/第三部完)そして二人は…
「困りました…困ったでふ…」
外のクラスク村…いやもうクラスク市と呼んだ方がいいだろうか。
そこから森のクラスク村、そこにある己の魔術工房に戻って来たネッカは困惑しながら作業をしていた。
ミエに頼まれていた魔具を作成していたのである。
物づくりをしている時は気が楽であった。
作業に没頭していれば細かいことは忘れられるし、何かを頼まれている限り自分がこの村の役に立っていると感じられたし、ここにいていいのだと思えたからだ。
「ネッカー!!」
「わっふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!?」
と、とこに村長クラスク…もといクラスク市市長たる大オーククラスクが飛び込んできた。
「ク、クラ様!? な、なにか御用でふか!?」
「あー、イヤ、ウム」
クラスクはざっと攻防の中を見回す。
「ネッカは…村を出る準備しテルノカ」
「あ、い、いえ! これはでふね…」
あわあわと言い繕うネッカ。
そんな彼女をじいと見つけたクラスクは…つい先刻ミエに忠告されたことを思い出した。
「ネッカ。一つ聞きタイ事があル」
「ふぁ? ははははいなんでふか!?」
「お前は自分を俺の何ダト思っテル?」
「ハイ! 所有物でふ!」
途中まで動転していたというのに、そこだけははっきりと言い放つ。
クラスクはそれを聞いて内心頭を抱えた。
…クラスクがここに来た理由は二つある。
ひとつは街の噂で彼女がここを
そしてもう一つがネッカが抱いているであろう誤解についてだ。
地底軍との戦が始まった直後、村の中で
そんな彼女を励ますべくクラスクは必死に声をかけた。
その際クラスクはネッカの事を自分のモノだと言った。
その時彼はネッカのことを己の旗下たるモノ、と言ったつもりだった。
けれどネッカはそれを己が彼の道具であり、所有物である、と受け取っていた。
クラスクが意図していたのは者であり物である
一方でネッカが認識したのは物品であり所有物である
その認識の違いを先刻ミエから聞いて大慌てでネッカの魔術工房に乗り込んだ、というわけである、
彼女の反応を見てクラスクは低く唸った。
クラスクは確かに己の意識を伝え間違っていた。
だがネッカはその誤った認識を受け入れて、満足している。
クラスクの道具として、手駒として使い捨てられる事を望んでいる。
クラスクは族長である。
他者の上に立つ存在だ。
だからそうした己の命よりもクラスクの命令の方が大事、といったタイプはそれはそれとして有難い存在だった。
ただ…ネッカがそうなるのは、困る。
「あー、ネッカ」
「はい、なんでふか」
「お前のそれなんダガ…」
「それ?」
「所有物っテ奴なんダガ…」
「はいでふ」
「その…なんダ。多分誤解ダ。言葉の使イ方ガ違ウ」
その時のネッカの驚愕の表情と言ったらなかった。
「違うんでふか!?」
「あー、ウム」
「ネッカはクラ様の所有物じゃないんでふか!?」
「あー…」
みるみると顔を真っ青にしてその場にへたり込むネッカ。
クラスクが予想していたよりも相当にショックだったようだ。
「それじゃ、それじゃ、それじゃあ…!」
それでは本当になにもなくなってしまう。
この村に残る理由が、留まる理由がなにもなくなってしまう。
ネッカは床に崩れ落ちながら蒼白となってその身を震わせた。
困ったようにクラスクは頭を掻いた。
どうにかして説得しなければ。
彼女を納得させなければ。
けれど一体どうすればいいのだろう。
どうすれば彼女を立ち直らせることができるのだろう。
(ト言うか…そもそもなんデ俺ハネッカの誤解を解きタイんダ…?)
己の心情に引っかかるものを感じてクラスクは首を捻った。
正直己の道具として、手駒として存在したい、働きたい、というのであれば上に立つ者としてはそれを受け入れるのも立派な手だ。
それだけ指導者としての自分が優れていると言う事なのだから、むしろ誇るべきであろう。
無論クラスクもそう考えているし、そういう存在を受け入れるつもりでいた。
ただネッカがそうなるのは嫌なのだ。
それはなぜなのか…そこまで考え差して、クラスクはようやくその理由に気づいた。
そして彼女を立ち直らせる方法も。
「アー…ネッカ」
「…はいでふ」
消え入りそうな小さな声で返事が聞こえる。
完全に消沈した、ミエが見れば『お通夜のような』と表現するであろう状態だ。
「さっきの誤解ダガナ」
「はいでふ」
「オーク語の
「ああ…!」
ぽん、と手を打ってネッカが顔を上げた。
「成程でふ。オーク族の歴史的風習を鑑みても『嫁』を『所有物』と呼ぶのは筋が通ってまふね」
理性的に解が導き出せたことでネッカは得心し、こくこくと数度頷いて。
そしてぽくぽくぽく…とたっぷりと三拍、じっくりと間を置いて…
そして次の瞬間、顔から火を噴いた。
「わふ…わふっ!? よ、よよよよ嫁でふかっ!?」
眩暈がする。
くらくらする。
目をぐるぐるとさせながらネッカは己の言葉を思い返す。
ではなんだろうか。
あの時、落ち込んだ自分を励ましてくれたクラスクに向かって、ネッカは「私は貴方のお嫁さんですか?」と聞いたという事だろうか。
愛の告白をしたということだろうか。
そしてクラスクはそれを受け入れていたという事だろうか。
いやそれどころか。
それどころか。
他のオーク達の前で、自分が彼の妻だと言い放っていたという事か…?
その展開はあまりに予想外に過ぎて、ネッカは熱病にでも罹患したかのようにその場でくらくらと身を揺らす。
「そうダ。お前が欲シイ。嫌ならそう言っテくれ」
「いいいいいいい嫌だなんてことは! 決して!!」
クラスクのことは尊敬している。
敬愛している。
それが恋愛かどうかはわからないけれど、強く憧れている。
だから
「ただ…その、私なんかが…痛っ!?」
途中まで言いかけた言葉を、クラスクの人差し指で額を弾かれ止められる。
「お前の価値をお前が決めるナ」
そうだ。
クラスクはようやく思い至った。
なぜネッカがただの道具になるのが嫌なのか。
それは彼女が魅力的だからだ。
そんな己を失った道具になり下がるのが勿体ないと思ったからだ。
「ネッカ。俺まダ聞イテナイ。お前の気持ち」
「はははははひでででででででふがとととととととと突然の事でそのこここここここここ心の準備ががががががががががっ!!」
クラスクの言葉に動揺が頂点に達して茹蛸とのようになりながら受け応えるネッカ。
「違う。それも聞きタイがそれトは違ウ。俺聞きタイのはお前がこの村にイタイかドウカ」
「………………………!!」
ネッカははっと顔を上げ、クラスクを見つめた。
そうだ。
周りにどういわれているか、村に残る理由があるか、そんな事ばっかり考えていたけれど…
彼女は肝心かなめの自分の気持ち…この村に残りたい、留まりたい、という己の気持ちを…まだ誰にも告げていなかったのだ。
「いたいでふ…ずっとずっと、この村にいたいでふ!」
「そうカ…そうカ!」
「きゃんっ!?」
クラスクに両手で軽々と持ち上げられ、ネッカが小さく悲鳴を上げる。
「なら急がナイ。さっきの返事、イずれ聞かせテくレ!!」
「ふぁ、はひ…努力しまふでふ…」
クラスクが破顔し、耳まで赤く染めたネッカが小さく肯いた。
オーク族も
ただそれは元来共通語である。
いわば外来語だ。
その日…オーク語の中に、初めて嫁、という言葉が生まれた。
× × ×
「フフフ…」
暗闇の中で、笑い声がする。
「流石だねクラスク村長…いや今はもうクラスク市長になってる頃かな?」
少年のような声。
楽し気な笑い。
だが…まるで実感の籠っていない口調。
それゆえその台詞は妙に不自然で、
聞く者に不信感を抱かせずにはいられなかった。
「クリューカに時間をかけさせた甲斐があった。お陰で城壁が間に合って見事に勝利したね、おめでとう…っと、いかんな。どうにも口調が使い慣れた頃のものに戻る。気を付けねば」
暗闇に一瞬光が差す。
雲間から差す月光だ。
時は深夜。
空は曇天。
≪夜目≫や≪暗視≫がなくば一寸先すら見通せぬ漆黒の草原の中…彼は佇んでいた。
グライフ・クィフィキ。
『旧き死』と呼ばれし魔族である。
「ただまあ、些か君を有利にさせすぎたようだ。そこは素直に計算外だったと認めよう」
本来なら城壁は半分以上、完成未満で戦に突入させる予定であった。
完成していない城壁であれば守り手側の対策も不十分にならざるを得ず、結果より多くの死傷者が出てくれたはずだ。
だがクラスクはグライフが計算したその期日内に城壁を完成させてしまった。
ゆえに防御側が圧倒的有利となって被害が相当に減ってしまったのだ。
「まあいい。これは小手調べだ。君にはもう少し名を上げてもらわねばならん」
目を細め、遥か暗闇の先を見据える。
そこには…夜陰の草原と耕地に囲まれた城…クラスク城が聳えていた。
「なに、無理をする必要はない。君が君のままでいるだけで、その試練は襲い来るだろう。是が非でも、乗り越えてくれたまえ」
グライフは…どこか愉悦気味に口元を歪ませて、そう言い放った。
「この私の計画のために、な」
そして…夜の闇に溶け込むように姿を消した。
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