第336話 オークの王様
「ミエさん!」
「村長夫人!」
「ミエ・アネゴ!」
城壁の上の歩廊へと一気に駆け登ったミエは、兵士たちが驚く姿には目もくれず急ぎ胸壁の手をかけて城の西を見下ろした。
オークだ。
オークがいる。
倒れ動かぬ様々な異種族…そのほぼ全てが地底から来た侵略者どもだ。
そんな彼らの上に、この長い長い戦を集結させたオーク達が群れていた。
襲われる側としてはオーク族は皆等しく恐怖そのものでしかないが、実際には部族ごとに意匠などが異なり慣れればある程度見分けがつく。
当然と言うか、オーク達は互いの部族を一目で看破できるという。
ミエは村で仕事をする各部族の若いオーク達を観察することで、オーク族でないにも関わらずある程度それができるようになっていた。
「あれは
よく見ると村の城壁の左右を回り込むように北と南からオーク達がぞろぞろとやってきている。
村の西方に西の部族がいるのはわかる。
だがよく見れば
そんな彼らは互いに雑談や自慢話、戦の興奮が冷めやらぬのか軽い取っ組み合いなどをしながら、なにかを待ち受けている。
そんな彼らの視線の先に目を向けた時…ミエの心臓が止まった。
「旦那様……!」
まだ小さな小さな人影に過ぎぬ人物が、村の西北西の草原からゆっくりと、ゆっくりとこちらにむかって歩いている。
ミエは一目でそれを愛しき夫だと看破した。
つまり下にいるオーク達は…彼を待ち受けているのだ。
「ふぁ…? クラ様でふか?」
胸壁に背もたれるようにうとうとしていたネッカが寝ぼけ眼をこすりながら目を開ける。
サフィナの姿はいつの間にかに消えていた。
どうやらネッカが寝落ちしたのを確認してから夫の下へ向かったようだ。
ずっと激戦の只中にいたのである。
流石に安否が心配なのだろう。
「ミエ様…? どうしたんでふか?」
ぼんやりとした頭で、疲労の抜けぬ体でなんとか身を起こすネッカ。
ミエの様子が少しおかしいような気がしたのだ。
何かが、起こる。
ネッカに声をかけられたことも気づかずその光景を凝視していたミエの背筋に何かが走り抜けた。
「おい…おい! ダメだ! 一般人が城壁の上に登るのは禁止! 禁止だからな!」
…と、その時下の方から何かの騒ぎが聞こえて来た。
城攻めが終わったらしいことを感じ取り家々から出てきた村人が、収容施設から出てきた旅人たちが広場で口々に快哉を叫び互いに無事を祝し合っている。
だがどうも人型生物の
当然ながら衛兵に見咎められて階段で阻止されている。
…のだが。
「ムンターさんムンターさん! ムーンターさぁーん!!」
城壁の上から己の名を呼ぶ可憐で甘やかな(当人調べ)声が聞こえてきて、ムンターは首を上に向けた。
「ミ、ミエ様ー!?」
驚き慌てる衛兵…元翡翠騎士団の騎士ムンターに、胸壁から今にも落ちんばかりに身を乗り出したミエが大声で叫ぶ。
「その人たちー! 全員上にあげちゃってだいじょうぶでーす!」
「よ、よいのですか!?」
「今日は無礼講ということでー! というかむしろ声かけてみんあ上げちゃってくださーい!」
「はいー!?」
わからない。
村長夫人の意図がさっぱりわからない。
わからない…が、こういう時の唐突な彼女の発言は大抵上手く行くことを彼らはよく知っていた。
「よ、よし、お前達通っていいぞ! ただ上には激戦で疲労困憊の兵士たちがたくさん休んでるからな、あまり迷惑をかけるなよ!」
ムンターはミエに言われた通りに彼らを通し、そして広場にいる者達にも声をかけて回る。
立ち入り禁止だった城壁に登れると、村人たちもこぞって階段に群がり城壁の上へと登った。
「さささ、疲れてるところ悪いですけどこっちに寄ってくださいねー。立ち上がれる人は立って一緒に見守りましょう! …あら結構皆さん平気?」
「平気なわけじゃないですが…まあなんとか」
下の者達が登ってくるまでに、ミエは急ぎ兵士たちに声をかけ元気づけ、立てる者は立ち上がらせ、無理そうな者は壁際に背もたれちゃんと休めるようにする。
皆崩れ落ちるようにして横たわっていたからもっと悲壮な状況なのかと思っていたが、声をかけたら存外皆しっかりと立ち上がり村人たちが城壁から落ちないよう監視役の任に就いてくれた。
驚嘆したミエだったけれど、彼らが元気そうに振舞っているのはミエの≪応援/個人≫が発揮されたお陰であり、おそらくしばらくすればまた皆泥のように眠るはずだ。
さて…そんなこんなでクラスク村の西の城壁の上には衛兵やら兵士やら村人やらが群れを成し、押し合いへし合いしながら眼下の光景を見守っている。
そこにはオークの大軍…と彼らには見えるだろうが、実際にはこの地方のオーク族の中でも特に有力な四部族の集まり…がいて、西の方から彼らの方へと歩みを進める大柄なオーク…すなわちクラスクを見守っていた。
…と、南の方からクラスクに合流する者達が現れる。
長身痩躯のオークと、彼に付き従う巨人族と人間族の娘…ラオクィクとゲルダ、それにエモニモの三人である。
そして逆の方の草原を掻き分けながら小走りで巨大な狼…魔狼コルキが現れ、尾を振りながらクラスクの横に並んだ。
「お、おい…あれ魔狼じゃないか?」
「魔狼…!?」
「けどここの村長に懐いてるみたいだぞ、ほれ撫でられて頬ずりしてる」
「まじか」
あり得ないものを見るように城壁の上から旅人たちが囁き合う。
特に吟遊詩人たちは目を皿のようにしてその光景を見守り記憶に焼きつけていた。
遂に城下のオーク達の前に辿り着くクラスク一行。
クラスクと小さく肯き合ったラオクィクは、己がぶら下げていた首を高々と掲げる。
「コノ村ヲ襲ワントシタ前族長ウッケ・ハヴシノ首級! クラスク村大隊長ラオクィクガ獲ッタ!」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!?」
オーク達が信じられないと言った声で、だが大歓声を以って応える。
「そしテ…この村を襲っタ地底軍ノ首魁ハ、この俺ガ討ち取っタ!! この戦!! 俺達ノ勝利ダ!!!!」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
クラスクが高々と掲げた
「というわけで、この村の勝利だ! と言ってます!」
城壁の上では夫の言葉に耳を傾けながらミエが同時通訳を行っている。
なにせ他の部族のオークは皆オーク語しか話せない。
故にクラスクが彼らに語り掛けるのもオーク語で、それでは旅人などには意味がさっぱり通じないからだ。
…まあ通訳しながらもミエの配慮で刺激が強そうだったり物騒な物言いはオブラートに包んだような言い回しに変えていたけれど。
「それで…あ、今四人のオークが前に出てきました。この近くの有力なオークの部族の族長達ですね!」
ミエの解説を聞きながら、見物客が胸壁から身を乗り出しつつその光景を固唾を飲んで見守っている。
眼下、城壁の下では、オーク達の雑談が徐々に減り…そしてミエの言葉通り四人の屈強な…内一人はどちらかと言えば優美な…オークが前に出てクラスクの前に立った。
「村を守っテくれタそうダナ。助かっタ」
「イエイエ。約定を果タしタダけデすよ、私達ハ」
クラスクのねぎらいの言葉に肩をすくめつつゲヴィクルが答える。
「ソウダ、気ニスルナ。我ラハ既ニ汝ニ十分ナ借リガアル」
そう答えたのはこの中では一番の年長、
「…クラスク族長、一ツ尋ネテモイイカ」
そこに、何やら妙に神妙な顔で
「ナンダ」
「アー…コノ前ノ祭リ見テ思ッタ。オ前ノ村ノ女、ミンナ美人ダ」
「アア」
「アレハ…俺達ノ村デモデキルノカ」
「!!!」
クラスクは目を瞠った。
かつて彼らは、その問答自体を拒絶した。
お前たちの村で新しいことをやろうと勝手にしろと、自分達は旧来のやり方を通すからと、そう壁を隔てたのだ。
だが…どうやらその厚い壁は、既に大きくヒビが入っていたようだ。
「…デきル。時間ハかかルが、きっトデキル。俺達も協力すル」
クラスクがそうはっきりと告げると…ゲヴィクルを除く三人の族長達は、互いに顔を見合わせながら苦笑いした。
「ナラ…認メルシカナイナ」
「アア。クラスク、オ前ガ正シイ」
「ナラバ我ラハ…汝ニ降ロウ」
そして三人の族長が…その隣でゲヴィクルが…
クラスクの前で膝を降り、
おお…とどよめきが上がる。
城下のオーク達と、そして城壁の上の者達の間から同時に嘆声が漏れた。
クラスクの前に有力な四部族の族長が降った…
それはすなわちクラスクがこの付近一帯のほぼすべてのオークの頂点に君臨した、という事を意味する。
おそらく彼ら有力部族の周囲に暮らしている小部族のオーク達も、今後雪崩を打ったようにクラスクの傘下に降ることになるだろう。
幾つものオーク族を束ねるオークの中のオーク…
族長の中の族長。
そういう存在を、オーク達は畏怖を込めて、そしてそれ以外の種族は恐怖を込めてこう呼んでいる。
……『大オーク』、と。
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