第331話 千の魔は千の血に
「なんだ…なんだ! それは!!」
「びっくりしタカ。俺もシタ」
「な、にい…!?」
エルフの一人から漏れたクリューカの呻きにクラスクが真顔で答え、彼を困惑させた。
戦況の有利不利はともかくとして、精神的にはどうにもクラスクの方が優位なようだ。
すぐにでも仕留めなければとクリューカは周囲のエルフ達に一斉に攻撃させる。
クラスクがまとめて薙ぎ払ったために局地的に同士討ちの危険がなくなったためだ。
だがエルフ達の指先から光弾が放たれた時には既にそこにクラスクの姿はなく、下り坂を全力で駆け下りていたそのオークが己の進路上にいるエルフをざくりと叩き斬り裂いていた。
ただ今までと異なるのは彼の斧の振るい方である、
エルフ一人を斬り伏せると、その相手に斧刃をしばらく押し当てて、斧にたっぷりと血を吸わせる。
一か所に留まる事で周囲から攻撃を受けた時は、斧を突き刺したままそのエルフで受け止める。
なんとも残酷な仕打ちに見えるが、既に助からぬと判断したからには即座に彼らを使い潰すように立ち回る。
その即断即決の妙こそがクラスクの強味であり凄味なのだ。
さらに…その行為にはれっきとした意味がある。
一体からより多くの血を奪うことで斧の『
ただし、クラスクはその斧の力…『
なにせそれは忌まわしき来歴を持つ血濡れた武器にのみに宿る禍々しい
他者を襲い、汚し、殺し、戮し、奪い尽くさんと振るわれ血まみれになった武器が、無辜の民衆に恐怖され、畏怖され、忌避されることによって世界にそう認識され、宿った
この
その武器が自らの喉を潤さんがために使い手を己を振るうだけの狂戦士へと変貌させ、刃に血を吸わせ、啜らせて、敵でも味方でも、仇でも家族でも、憎き相手だろうと最愛の妻だろうと例外なく、躊躇なく殺める殺戮者に仕立て上げる。
総てが終わり、その持ち主が正気に戻った時…
近くには何もない。
誰もいない。
一切合切の生命が消え失せている…そういう忌まわしき『
当然ながらクラスクの耳にもそうした囁きが絶え間なく聞こえている。
最初に血を啜らせた時から延々と脳裏に響いている。
奪え。
奪え。
殺せ。
殺せ。
そうして呟きが、囁きが、耳奥から直接脳に響いていたのだ。
…のだが。
ミエが毎日毎日彼に囁く≪応援>が彼の素のステータスを底上げし、今日戦場に送り出してくれた際にかけてくれた激励が、短い間ながら彼の能力を極度に高めてくれている。
結果としてその斧の精神支配は彼には全く影響を及ぼせず、クラスク的にはなにやら
「…これお前が喋ってタのカ?」
クラスクが戦場を駆けながら斧に語り掛けるが当然ながら返事はない。
「トイうカ奪えとか殺せっテなんダ。お前ガ血を啜れっテ最初から言っテれバもっト早く気づケテタ」
クラスクが斧に語り掛けるがこれまた当然ながら返事はない。
ないのだがその斧はなんとなく「ソウダッター!」といった驚愕の表情を浮かべているようにも見えた。
元々そういう性格なのか。
それとも使い手たるクラスクに似たのか。
ともあれその斧の性質は、狂暴で陰惨ながらもどこかクラスクのひょうきんさを彷彿とさせた。
「おのれ…おのれおのれおのれ…っ!」
光弾はまるで当たらない。
エルフ達の炸裂攻撃は封じられた。
ならば直接倒してくれようと業を煮やしてクリューカがどこかのエルフに入り込み呪文を唱えようとすると、他の被弾を一切気にせず疾風のように駆けつけて怒涛の勢いで斬り伏せる。
それを防がんとクリューカが詠唱の短い、あるいは詠唱省略された呪文を唱えても、そうした呪文では威力が足りずその巨漢のオークを仕留め切れない。
それなら威力のある呪文で滅ぼしてくれようと試みるも、それらの呪文は射程が短く唱え切る前に斬り殺される。
では威力もそこそで射程も長い呪文ではどうかと言うと、その強靭なタフネスによって耐え切られてしまう。
おかしい。
おかしいのだ。
どう考えてももたない。
もつはずがないのである。
自動命令ゆえにやや狙いが甘いとはいえ全方向から繰り出される射撃魔術を避け続ける運動性と機動力。
それらの身のこなしを延々と続けられる膨大な持久力と持続力。
こちらの詠唱を瞬時に察知する直観と鋭敏さ。
背中に幾つも眼球が付いているのかとすら疑う危険察知能力と危機回避能力。
そしてそれらを全て瞬時に判断し即応できる判断力と決断力。
…そして万が一被弾し、血を吹き傷だらけになりながらも、一切パフォーマンスを落とさず抗い続け戦い続けられる圧倒的な耐久力と頑健さ。
そんなものを総て併せ持った存在など、凡そ人型生物としてあり得ない。
あるはずがない。
クリューカは業を煮やして歯ぎしりをする。
…そいつは、己の野望の邪魔をしたのだ。
あの一見蒼い宝石にしか見えぬ
そうすれば莫大な財宝と同時にずっと探し求め続けた古代の魔導書が手に入る。
その古代魔術があれば刃向かう者を処刑し、邪魔者を始末し、己の野望を叶え、欲するものを手にすることができるはずだ。
地底も、地上も。
全部、全部だ。
それを邪魔する存在は許せない。
阻止した奴は許せない。
あの村は許せない。
村の者全員を皆殺しにするのは当然として、敵の首領はどうあっても己の手で
その過程として拝領した軍団が半壊か全滅するやもしれぬが知ったことではない。
無論そんなことをすれば下の連中は口
こちらの地位を奪い、権力を剝ぎ取らんとすることだろう。
だがそんなことは関係ない。
なにせあの
そうなれば己に抗う者は誰一人いなくなる。
未だに己の上でふんぞり返っている連中も含めて全員、全員だ。
クリューカは絶対的な悪であり、そしてその邪悪さゆえに嫉妬深く怨恨が深い。
他者を常に見下し、侮蔑し、下の者が己の地位に迫れば難癖をつけて殺し、放逐し、或いは傀儡へと造り替え、上に誰かが居座っていればよじ登り蹴り落として今の地位まで上り詰めてきた。
なんとも優秀で残忍で、そして自信と虚栄に満ち溢れた男なのである。
だが…彼は気付くべきだったのだ。
そんな優秀な彼の計画を一度は邪魔してのけた相手が、ただのオークのはずがないと。
恐ろしく強大な個人であるか、もしくは大いなる加護を受けた存在なのか…或いはその両方ではないかと、疑うべきだったのだ。
だが彼は気付かない。
気付けない。
今の地位まで登り詰めたそのその自信と過信ゆえ、他者を踏み台としか考えていないその性質ゆえ、その戦場を駆けるオークの本質を理解できないのである。
「お前ハ、ソコカ」
怒気と殺意の籠ったクラスクの言葉にハッと我に返るクリューカ。
そのオークが…彼の本体を睨んでいた。
クラスクが立っている丘の外、張り巡らせた結界の外側に、クリューカはいた。
それは入るは容易く、だが出ることは能わぬ封じ込めの結界。
一度中に入った者は、その結界の外周に触れた瞬間消し炭となって分解してしまう。
地表だろうと宙空だろうと、結界はあらゆる生命を完全に遮断する。
ゆえにそこに入った者は、エルフ達に嬲り殺されるか、万が一彼らを皆殺しにできたとしても結界を抜けることができず死ぬしかない。
相手が戦士であればどうあっても絶対勝利できる布陣…
そのはずだった。
だがクラスクはその大斧を遥か頭上に掲げ、叫ぶ。
全てを斬り裂くその斧の殺戮の
「〈
不気味な胎動、溢れ出る血河。
「
青白い文字がクリューカの周囲に展開し、目に見えぬ力場の縦を生み出した。
高い魔力で組み上げられたそれは、並の術師より遥かに広く彼の周囲を覆い、前も横も上も、己の正面からの攻撃は全て遮断してのける。
さらにこの呪文は自在にどかすことも可能であり、術師からの攻撃呪文をその力場によって遮断させぬ。
対肉弾戦を考えるならこれ以上ない防御術であった。
だが…それでも。
彼は身の護りに専念すべきであった。
正面からの攻撃はたとえどんなものでも防ぎ得るからと、攻撃を防ぎその隙を突いてカウンターで今度こそ仕留めてみせると、彼は目に見えぬ絶対防壁の向こう側で素早く呪文詠唱に入った。
彼は侮ったのだ。
己をこの地位まで押し上げた過剰なまでの自信が、自負心が、その判断を誤らせたのである。
前回とは違うのだと。
万全の準備を整えた今回は違うのだと、多少手間取っているだけで己の方が格上なのだと信じ切っていたがゆえに…彼はそこで己の攻撃に、反撃に意識を割いてしまった。
クラスクの大斧が振り下ろされる。
その斧の先端の直線上にある血泥戦斧が、
それは命ではない。
その血の一撃は生命ではない。
ゆえにその血潮の斬斧は結界を飛び越えてクリューカまで届いた。
だがそれは魔術的効果ではあってもあくまで物理的な攻撃である。
物理攻撃は力場の障壁を絶対に貫通しない。
力場は物理による攻撃を完全に遮断するためだ。
術によっては押し返されて後退することはあるかもしれないけれど、力場障壁自体が物理的な攻撃で傷つくことは決してない。
ゆえにクラスクの必殺の一撃は、クリューカの頭上から振り下ろされた紅蓮の死は、その目に見えぬ魔術の盾によって完全に防がれた。
真上にも張り巡らされた力場の盾が、その一撃を見事防いでのけたのだ。
…頭上からの攻撃は、だが。
「ぐ、が…!?」
激痛が、走る。
背中に走るその痛みの正体がわからず、理解できず、クリューカは震えるその身で後ろに振り向いた。
刺さっている。
血の刃が突き刺さっている。
幾本も幾本も、血染めの刃が己の背中に突き刺さっている。
…確かに真上からの血の斬撃は彼の障壁によって防がれていた。
けれどそれは血だ。
呪われた血のうねりであり、飛沫であり、そして粘つく殺意だった。
クリューカの頭上で障壁に防がれ跳ね飛んだ血が、勢い余って彼の後方に突き抜けた血液どもが、障壁を回り込むようにして背後から襲いかかり、針のように槍のように鋭く尖り突き刺さったのである。
だってそこに生きている者がいる。
手を伸ばせば届くところに贄がいる。
ならば襲わねば。
ならば喰らわねば。
ならば殺さねば。
そうした意思のある悪意が…その血染めの斬撃の正体なのだから。
視界が明滅する。
眼にした光景が赤く滲んでゆく。
最期の瞬間にクリューカに去来したのは茫然と自失であった。
こんなはずはない。
こんなはずがない。
まだ魔力も十分に残していたのた。
まだ強大な呪文を幾つも備えていたのだ。
城を護る哀れな魔導士の万策が尽きた後、悠々とあの城壁を破壊するつもりだったのだ。
彼らの大将であるこのオークを傀儡として操って、彼の大切な何かごと全て吹き飛ばすつもりだったのだ。
まだ終わりじゃない。
まだ終わっていない。
こんなところで自分が…
こんなところで…
こんな…
クラスクの目の前に張り巡らされていた圧力のようなものが消え失せる。
先程までずっと肌で感じていた「ここから先には絶対行ってはいけない」といった奇妙な危機感が消え失せ、クラスクはそーっと足を伸ばしてとんとん、とその丘の境界を踏んだ。
反応がない。
どうやら大丈夫なようだ。
クラスクは己の視界の先に未だ立っているその魔精法師に目を向けて、とんとん、と斧で己の肩を叩いた。
「死んダカ?」
そう…死んでいた。
その
あり得ぬと、そんなことはあり得ぬという失意と驚愕の表情を浮かべたまま、背後から突き去った幾本もの血の槍により胴体を貫かれこと切れていた。
やがて…血の凝固が解ける。
クラスクの斧から離れたその呪われし血泥はただの血に戻り、クリューカの身体から生えていたその紅蓮の槍もまたどろりと溶けて足元に飛び散った。
断末魔の言葉を放つこともなく、ただ無言で…
その
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