第332話 胸壁際の攻防

ゴブリンどもが群がりながら城壁目がけて突撃し、掘へとたどり着く。

堀はゴブリンの背丈ほどの深さがあり、小柄な彼らがそのまま渡るのは困難であった。


だがかつて彼らの足止めをしていたその堀は、今やその用を為してはいない。


堀の一角で鎧を着たオークが腕を回しながら兵士どもを先導している。

その地点の堀には食人鬼オーガと他数体のゴブリンどもの死体が沈んでおり、彼らの死骸を足場に、ゴブリンどもは膝下を沈めるのみで堀を渡河していった。


城壁の上から飛んできた火の玉をまともに喰らって死んだ食人鬼を、その近くのオーク共が堀に運び沈め、それを土台に近くに死骸を次々にそこに重ねて足場としたのである。


無論防衛側もそれを看過していたわけではない。

小柄な兵が堀を素早く渡れるのはその一か所のみなので、矢の雨をそこに集中させ降り注ぐ。

だが地底軍のオーク兵どもが大きな盾を構え兵士たちを巧みに守り、彼らの被弾を格段に減らしていた。

漆黒の鎧を纏った地底軍のオークどもは、どうやら単なる狂暴な蛮族ではなく厳しく正規の訓練を受けているようだ。


ただゴブリンどもばかりに注力するわけにもゆかぬ。

堀の深さは3フース(約90cm)ほど。

オーク兵であれば腰まで浸かれば渡れるし、巨人族であればさらに容易く渡る事ができる。


そんな彼らは村の兵士たちがゴブリンどもの渡河を止めんと必死になっている間に、悠々と別の場所から掘りを渡り攻城に当たっていた。


「気を付けろー!」

「ぐわああああああああああああああ!」


攻城戦に於いては防御側の方がより少ない人数で優位に護る事ができる。

…が、だとしても一個の軍隊を相手にするにはこの村の兵士は少なすぎた。


鉤縄を使い、或いは素手で各所で城壁を登る攻城軍の猛攻に、遂に彼らの登頂を許す場所が現れはじめた。


「よし、では向こうは私が相手をするか。お主はここを動けぬのだろう?」

「は、はい! お願いしまふ!」

「なに、こちらの方が難所だ。苦労するのはお前の方さ。両方私が相手できぬのは歯痒いがな!」


つい先刻ネッカと合流した衛兵隊副隊長のウレィム・ティルゥは、だがすぐに別の場所で上がった兵士達の悲鳴を聞いてそちらに向かおうとしていた。

どうやら複数の敵兵が城壁を今にも登り切らんとしており、城の護りの一角が崩されようとしているらしい。


ドワーフたるネッカは足が遅く、さらに混戦ともなれば複数の相手を巻き込む呪文は使えない。

となれば足が速く個々に剣で相手できるティルゥの方が適任である。


ネッカは彼女の判断を支持し、ウレィムは勇躍して抜剣しつつ嬉々として走り去っていった。

ネッカやサフィナと違いウレィムは人間族だ。

≪暗視≫や≪夜目≫をもたぬ。

にもかかわらずその動きには一切の迷いも淀みもなく、ネッカを感心させた。


副隊長という役職の割には人を指揮するようなことは殆どしないが、副隊長クラスのという意味に於いては相当以上に頼りになる存在である。


「まだ大丈夫。まだ丘の注意はこっちに向いてない…と、思う」


見張り塔の上から遥か遠方の丘をためすすがめつサフィナが呟く。

その肩には窓を抜けて見張り塔に飛び込んできた鳥が留まっており、何か彼女に向かって鳴き声で伝えていた。


どうやら夜目のきく鳥の助けを借りて索敵させていたようだ。

ネッカはサフィナの芸の細かさに素直に感心した。


「わかったでふ!」


呪文を使い続け、疲労の限界に達していたネッカは、己の頬をぴしゃりと叩いて気合を入れ直す。



…と、その背後で突然大きな怒号が響き、オーク兵一人と衛兵が三人城壁の縁まで吹き飛ばされた。

そしてその向こうの胸壁に大きな大きな手がかかる。


「コイツ…いつの間に…っ!?」


城壁をよじ登り姿を現したのは、身の丈8フース(約2.4m)はあろうかという巨人種であった。

その肌は緑色で、やけに痩せこけており、その肌はぶよぶよと垂れている。

見た目はかなり醜悪と言うか、相当に不細工である。


「あれは…トロル!」


ネッカが冷汗を流しながら呟く。

巨人族の一種、トロルである。


壁際から目を離したのはほんの一瞬だったはずなのに、その間隙を突いて登って来たのだろうか。

ほぼ垂直の切り立った壁面な上にこの辺りは鉤縄も全て切ってあったというのに、恐るべき登坂能力である。


「くそ、ここを突破されたらマズイ!」

「止めろ! ネカターエル様を守れ!」

「殺ス! デカイ得物殺ス!」


衛兵たちとオークどもが群がりそのトロルを足止めし、あわよくば下に落そうと必死に抵抗を試みる。

だが無駄だった。


背中に背負っていた棍棒を引き抜いたトロルは、それを力任せに振り回す。

剣や斧ではリーチが足らず近づく前にその棍棒で薙ぎ払われ、遠くから槍で突き刺そうとしてもその穂先が皮膚を貫けぬ。


「ナンダコイツ!」

「槍が刺さらねえ!?」

「なんかぶよぶよするぅー!?」

「気を付けてくださいでふ! トロルの皮膚は強い弾力で攻撃を弾きまふ! もし傷ついても火や強酸でしっかり焼かないとすぐに塞がってしまうんでふ!!」

「ちょっ!?」

「待ーっ!?」


ネッカの助言は、少しばかり遅かった。

己にまるで通らぬ攻撃を歯牙にもかけず、そのトロルは棍棒を片手に逆手の鋭い鉤爪を右に振るい左に払い、近くの衛兵を一瞬で吹き飛ばす。

まさに巨人族の怪力の為せる技と言えるだろう。


だが…彼らの頑張りは決して無駄ではなかった。

自分達に注意を向けた事で、ネッカが呪文を詠唱する猶予を与えてくれたのだ。


展開せよファイクブク! 『火炎式・伍イノドフヴォワクドリ』!」


短い詠唱と共に右掌を上に掲げる。

ネッカが今日準備した高位の呪文はそのほとんどが補助と防御で固められており、そしてそのほぼ全てを敵軍の大将たる魔精法師クリューカの大規模破壊呪文や大型破砕呪文を打ち消し、或いは逸らすのに使い切ってしまっていた。


今残っている上位の攻撃呪文はただ一つだけ。

それも

ゆえに彼女はすぐに準備できて相手の弱点を突ける、低位の呪文を唱えていた。



「 …〈火炎掌フヴァグホ・ホヴカップ〉!!」



詠唱と共にネッカの右手が燃え上がる。

火炎掌フヴァグホ・ホヴカップ〉と呼ばれるネッカが元から知っている数少ない攻撃呪文だ。


この呪文は掌に宿った炎を手で薙ぎ払うように振るうことで前方放射状に放ち、その範囲に巻き込んだ複数の相手をまとめて炎で焼き尽くすという火属性の範囲攻撃呪文である。


ただしその効果範囲はせいぜい術者の前方10フース(約3m)ほどとかなり短く、これを攻撃に使おうとすると鎧も着ていない魔導師がわざわざ敵陣に突撃しないといけないというなんとも無駄で奇妙な状況に陥ってしまう。


かつて冒険者だった頃も、まともに使える攻撃呪文がそれかと散々仲間に詰られたものだ。


というか、そもそもが用途が違うのである。

本来この呪文は魔導師が敵に追い詰められ白兵戦に持ち込まれそうになった時、後ろに下がりながら腕を薙ぐように振るって炎を前方に放ち相手を牽制、敵にダメージを与えつつ距離を取る…といういわば間合い確保の呪文であり、ダメージはむしろおまけなのだ。

運用方法的に純然たる攻撃呪文とは言えぬ。


だが彼女はその呪文を唱え、その掌に炎を宿したまま…どすんと、トロルへ向けて一歩踏み出した。


ネッカに気づいたトロルが、苦手な炎を手に宿すネッカに警戒しつつ彼女のリーチの遥か外から巨大な棍棒を振るう。

ドワーフ族たるネッカの背が低いことと、巨人族たる巨躯の差分があるとはいえ、その腕の長さは圧巻であった。

まるで腕がゴムのようにしなり伸びているかのような錯覚すら覚える一撃である。

そこに棍棒が加わるのだから、ネッカの攻撃などまったく届きようがなかった。


「ガ…!?」

「な……!?」

「オオオオオ!?」


呻きながらもなんとか身を起こし、震える体で剣を握る衛兵達…元翡翠騎士団の面々と、素早く身を起こし斧をてにすぐに突撃を敢行しようとしていたオーク達は目をみはった。



振り下ろされた棍棒を、ネッカが素手で受け止めている。

いや、正確には燃え盛る右掌で真上から振り下ろされた棍棒を止めていたのだ。



魔導師の呪文の中には対象に触れたり相手を指差したり、或いはネッカが今使用している〈火炎掌フヴァグホ・ホヴカップ〉のように腕を振り払ったり、といった特定の行為を行うことで呪文本来の効果が発現するが、逆にその行為を限り本来の呪文効果が発現しない呪文群がある。

それらをの呪文を『励起呪文』として纏めらることもある。


その特定行為は呪文によって異なるが、もしそれを行わなかった場合、呪文の源となる魔力は指先や掌といった特定の個所に暫く留まり、一定時間が過ぎると消散してしまう。

ゆえにその時間が過ぎる前にとっとと効果を発現させた方がいい。


ただしその励起状態…いわゆるにある身体部位は、一時的に魔力によりコーティングされ、あたかも白兵武器のように剣や槍を受け止めることが可能となるのだ。


学院を卒業した魔導師であれば、そんなことは知識として誰でも知っている。

知ってはいるが…それを活用しようと試みた者は皆無と言っていい。

敵の武器が届く範囲にわざわざ自分からのこのこ出向く魔導師などいないからだ。


だがネッカはあえてそれをやった。

巨人族の棍棒を、呪文励起状態である燃え盛る右掌で受け止めた。


受け止めた…のはいいがそれでもトロルの怪力である。

みしり、という音と共に腕と肩に凄まじい重圧が襲う。

トロルは棍棒を両手で掴み、力任せにネッカを叩き伏せんとした。


みしり、みしりと音がする。

その軋むような音と共にネッカの身が沈んでゆく。


だが彼女の瞳に諦観はない。

絶望もない。


そんなものはとっくにどこか遠くへ抛り捨ててしまった。


ネッカの左手が素早く宙空に不思議な印を刻む。

そして片腕のみの動作要素で発動する詠唱時間短めの呪文を己に付与した。


いざ励起せよイルロスクシ クリク! 『増強式・壱イヴェルヴィワホウリ』 〈筋力増強グルーヴィクルク・イキュイクスヴォ〉!」


ネッカの身体中に魔力が流れ、みちみち、と腕や脚が肥大してゆく。

盛り上がった脹脛ふくらはぎが、太腿がその巨大な重量を支え、背中から脇、さらに肩へと伝わった力がかいなからただむきへと伝わり、トロルの棍棒をぎりり、と力任せに押し戻す。


どん、と音がした。

ネッカが全力で踏み込んだ音だ。

その踏み込みの力が足首を通して全身の骨と筋肉を巡り、肩から腕へと伝わって遂にトロルの棍棒を上に跳ね上げた。


どっと歓声が巻き起こる。

ネッカを助けんと駆け寄ろうとしていた兵士たちの前で…

彼女は、その踏み込みんだ足を蹴るようにして前方に飛び出し、一気に相手の懐へと潜り込んで掌底を叩きつけた。


本来は腕から放たれ前方に放射状に広がる炎の渦…だが相手に密着して直接腹部に突き入れられたそれは、周囲に振り撒くべきその破壊の炎を総て接触した一点へと注ぎ込んだ。


打ち込んだ掌…その指先から炎の斬渦が刻まれる。

ネッカの指先から五条、まるで地割れのように走った赤熱のヒビが腹部からトロルの全身に広がり、直後一気に燃え上がった。


体中炎をが巻かれ、苦しげに呻き、暴れ、棍棒を振り回すトロル。

その一撃を肩口に喰らい、逆側の胸壁まで吹き飛ばされるネッカ。


「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」」


だが彼の暴威はそれまでだった。

斧を構え雄叫びを上げながら暴れ回るトロルに突進するオーク兵。

それを見て負けてなるものかと気力を振り絞り剣と槍を構え突撃する兵士達。


痛みと炎への恐怖で彼らの攻撃を避けきれなかったトロルは…その一斉攻撃によって胸壁に叩きつけられ、脚を踏み外して壁際から遥か下へと落下した。



べちゃり、と音がする。

松明のように燃えるその身体は、他の何かを二体ほど巻き込んで押し潰す。

燃え盛る炎の中でそれはなおも苦しげに呻き喚いていたが…やがて動かなくなった。



どっと歓声が上がる。

胸壁を背もたれに激しく息を切らすネッカに対し、衛兵とオーク兵どもから歓呼の声が湧いた。



「まだ……でふ」



震える体を引き起こし、胸壁を支えになんとか立ち上がるネッカ。

凡そ魔導師とは思えぬ耐久力である。


「まだ…まだ敵の攻撃は続いてまふ! みんな! 気を抜かずにここを乗り切るでふ!!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


ネッカの言葉に…兵士たちが鬨の声を以って応える。





ネッカがトロルに立ち向かい踏み込んだその石畳には…彼女の凄まじい脚力によって足の形をした陥没ができていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る