第325話 真紅の決着

「シャミル! だ!!」


キャスは考えるよりも先に叫んでいた。


「白いの!? なにがどういう…ああ、あれじゃな?!」


崖の上ではらはらしながら見守っていたいシャミルは突然の声に驚き慌てて、だがすぐにキャスの意図を察してポーチの中を漁る。

何が必要かとはっきり言えば相手にこちらの意図を悟られてしまう。

ゆえにこうしてあえて曖昧な言い方をする必要があったのだ。


「そぉい!」


白い手のひらサイズの球体を取り出し、距離が足りぬと丘上から駆け下りる。

そして丘の途中から大きく振りかぶってその白球を投げ…


…ようとしてへにょんと放り、勢いなく地面に落ちた球はそのまま丘をころころと転げ落ちた。

運動が苦手なシャミルゆえどうにもしまらない結果である。


そのままその白い球はころころと丘を転がり落ちて、キャスの足元まで転がって来た。

キャスは無言のままそれを細剣で突き刺す。


途端、大きな破裂音と共に濛々とした白煙が噴き出てきた。


「煙幕か…!?」


そもそも今は夜である。

いわゆる夜明け前と言った頃合いだ。


闇の中で煙幕を張っても…というがこの場にいる者は皆種族特性として≪夜目≫か≪暗視≫があるため視界を遮断する意味はしっかりある。

周囲に立ち込める煙を前に、ウィールは素早く腰を落とし、どの方向からの不意打ちにも対処できるよう意識を研ぎ澄ます。

他はともかくあのエルフの娘だけはかなり面倒な相手である。

まず真っ先にあれを始末しなければ。


だがせっかくのチャンスに襲撃らしい襲撃はなく、やがてゆっくりと白煙が晴れてゆく。



そして…薄れゆく煙の中、煙を遮断している彼を周囲を覆うものがはっきりと視認できた。



それは球体だった。

彼の胸あたりを中心に彼を覆う半径1mほどの不可視の球体。

それは足首辺りで球体として完成していたが、なぜか彼の足先はその障壁を突き抜けている。

彼の手にした剣と同じく、その障壁を自由に通り抜けできるようだ。


「しま…っ!」


ハッと気づいた黒騎士ウィールは慌てて視線だけ下に向けた。

障壁の位置が露見するのもまずいがそれ以上に見られてはまずいものがある。

彼が危惧した通り今それがまさにはっきりと見えていた。



彼の後方足元の…である。



その裂け目が、立ち込めていた白煙をその障壁の内側に招き入れていたのだ。


「初めからそれが目当てか…!」


だが相手の目的がわかれば対処のしようはある。

ゆっくりと煙が晴れ行く中、ウィールはいつの間にやら隠れた襲撃者どもを警戒し全周囲に気を張り巡らせた。



一瞬、暁闇の銀時計村を静寂が支配する。



真っ先に動いたのはキャスだった。

最初の襲撃と同じく呪文により高速の移動で一気に肉薄し、だが直前で方向を変え一瞬で後方に回り込もうとする。


だが今回、黒騎士ウィールはキャスの目論見を看破している。

彼は素早く足を引くと、コマのように回転し最短距離で相手と正対する。


左右からそれを阻止すべく黒エルフブレイとオークが襲って来るが意識を向けつつ警戒はしない。

では一切傷がつかぬとわかっているからだ。


乾いた音と共に弾かれる曲刀と長剣。

その隙に二人を切り伏せることも考えたがそれより優先すべきは目の前のエルフの抹殺である。


あの目。

あの覚悟を決めた瞳。

あれはこちらを倒す算段がある目つきである。


戦士としての直観がそう訴え、彼は残る雑魚どもを意に介さずそのエルフ…キャスの息の根を止めるべく前へと踏み出…


…そうとして、その足が止まった。


「な…っ!?」


足が前に進まない。

何かに引っ張られている。


すぐに後ろを振り返ると…そこにはオークがいた。

彼が手にした縄の…鍵付きの縄の先端が、黒騎士の足に絡まっている。


球体の後方足元…

人の頭ほどの大きさの穴から、それは見事に彼の足甲グリーヴに巻き付いていたのだ。


(先程の二人の攻撃は…通用しない事を前提でこの投擲から注意をそらすためか……!!)


オークとしては小柄な方だ。

初めて見るオークである。


だがそう言えば…

そう言えば最初の攻撃は四方からではなかったか?


そうだ、確かに最初の攻撃だけ、白兵戦の三人とは別に、ノームの家屋の向こうから弓矢が放たれていた。

ただこの術は山なりの軌道を描く弓を警戒する必要がほとんどないことと、その後他の仲間の危機にも一切反応がないことから存在を失念していたのだ。


「おの…れ…っ!!」

「ヘヘ…オーク族ジャア非力ッテ言ワレルケドヨ…ソレデモ一応オークダゼ……!!」


鉤縄を放ったのはリーパグだった。

最初の弓が通用せぬとわかった瞬間、彼は仲間からの合図があるまで身を隠し隙を伺っていた。


そして先程のキャスの言葉と動きがあらかじめ決められていた符牒の一つだと気づき、ギスやイェーヴフが作った隙を逃さず鉤縄を放ったのである。


黒騎士がすぐに剣で縄を斬ろうとしたため思いっきり縄を引いてそれを防ごうとするリーパグ。

だがその縄があまりにあっさり引けすぎることで逆に彼自身がバランスを崩した。


「ウッソオ!?」


己の力に対抗して引っ張り合いになるのかと思いきや、全速こちらに突進してくる黒騎士にリーパグは驚き慌てふためき逃げ出そうとする。


だが遅い。

リーパグが素早く身をよじるよりも早く、圧倒的な速度で踏み込んだ黒騎士ウィールのすくいあげるような斬撃に斬り裂かれ、リーパグが断末魔の悲鳴を上げながら宙に舞った。


「リーパグ!!」


シャミルの悲鳴に似た叫びが響く。


一匹は始末した…けれどそのせいで彼は後方から高速で間合いを詰めるエルフへの対処が一瞬遅れてしまう。


散れ! 斬れ! 裂け! そして跳ねろウティス・ギュイ・ギャス・コット・サッキトゥル!」


精霊魔術の呪文詠唱…それは精霊たちに対する命令あるいは懇願。

精霊たちは人と相対する際はまるで人型生物フェインミューブのような人格があるかのように振る舞うが、彼ら彼女たちはその人格よりもそれぞれの属性が有する法則に従う性質が強い。


ゆえに特定の命令を行は彼らの法則性に直接訴えかけ、決して抗えぬ結果を呪文効果として体現することができるのだ。

多くの精霊魔術はそうした詠唱によって組み立てられている。


キャスの唱えるその魔術は周囲の風の精霊を呼び集め、その掌の内側に渦を作った。

荒れ狂う風の渦球だ。


彼女はそれを…地面すれすれにスライディングしながら、彼の足元の障壁の隙間より中へと突き入れた。


「〈風華斬裂サプリムール・ギャサイフル〉!!」


凄まじい風の刃が、障壁の内部で荒れ狂った。


風華斬裂サプリムール・ギャサイフル〉は己の前方放射状に放つ風の刃による攻撃呪文である。

放った直後は一つの風の塊に見えるが、実際は術者の魔力に応じた複数の風の刃を放っており、距離が開くと幾つにも分裂して射線上の対象にダメージを与える。


この呪文の特徴として、人体や着用している装具を除く硬い無機物に当たると、風の刃の角度が変わる、というものがある。

いわゆる跳弾属性である。


これを利用して洞窟内など狭い場所の相手を殲滅したりするのが得意な一方、反射物のない屋外ではやや使いづらい。

また呪文効果的には向いている屋内戦の場合、周囲の風の精霊がいないため魔力消費が増えてしまうという欠点もある。


キャスはこの呪文を覚えてこそいたがこれまで使用したことは殆どなかった。

かつて騎士団長時代、地底墓所ギーザジンドに湧いたアンデッドどもの掃除に使ったくらいだろうか。


なにせ他の彼女向きの風の精霊魔術を覚えてゆく過程でちょうど修得条件を満たしていて楽に取得できるから、という理由で覚えたものである。


そもそもこの呪文はキャスが修得している魔術の中では位階が高く魔力消費が大きいため、これを使うとなると戦闘中に他に使える魔術が大きく制限されてしまうし、呪文の攻撃特性自体があまり剣を主体に戦う彼女には向いていない。


そんなわけでこれまでほぼ封印状態だった呪文が…今最高の環境で放たれた。


跳ね返る。

跳ね返る。


障壁の内側…彼の肉体と彼の手にした剣以外一切の透過を許さぬ絶対防壁。

それが今、キャスが放った風の刃をその内側で無数に反射させていた。


突き刺さる。

切り裂かれる。


幾つにも分裂した風の刃が…乱反射しながらその内側の犠牲者に幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も襲い掛かり、丹念に、そして念入りに彼を切り刻んでゆく。


「ウッワ…」

「あら、あの障壁あんな形だったのね」


内側から血染めとなった障壁が今や白煙に頼らずともその形をはっきりと示し、その凄惨な光景にイェーヴフがドン引きし、ギスがなんとものんびりとした感想を漏らす。


「これが…か」


キャスが己の愛剣をじっと見つめる。


かつてネッカによって〈風巻〉の効果が付与され魔法の武器となった彼女の細剣。

だがネッカはそこにもう一つのいわくが眠っていると言っていた。

だとも。



その正体が…キャスにはようやく理解できた。



本来であれば枯渇していたはずの魔力。

だがそれだけの呪文を使用していたはずなのに、これまで封印していた〈風華斬裂サプリムール・ギャサイフル〉をさらに使用できる程、魔力が残っていた。


魔力が増大した感覚はない。

魔力が回復している気配もない。


となれば…答えは一つ。

この剣がのである。

呪文を唱えるたび、本来消費するはずの魔力を何割か減らし、結果として大技が使える程度に魔力を残してくれたのだ。


キャスはそもそもが騎士であり魔術の使用が得意ではないし、呪文で何かを大成したこともない。

呪文は白兵戦のサポートと割り切っているし、おそらく今後もそうだろう。



となれば、この曰くは…おそらく母のもの。



きっと戦場で味方を援け、救ってきた彼女の姿に感銘を受け、それが剣のいわくとして定着するほどに、言い伝えていった者達がどこかにいたのだろう。


「…感謝します。母上」


自らの剣にうやうやしく頭を下げたキャスが、その剣を仕舞う。



その背後で…完全な血溜まりとなった球体が、術師の死亡によりその障壁を維持できず霧散した。






内部の風の刃は既に失われている。

シャボン玉のように破裂したその球の中から、真っ赤な雨が周囲に飛び散った。





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