第320話 もう一つの戦い

子供が泣いている。

子供の泣き声が聞こえる。

その鳴き声を聞いてミエは胸がきゅっと締め付けられた。


オークの男の子は、泣かない。


もちろん乳を欲しがったり漏らしたりしたときは要求としての泣き声は上げる。

けれど怖い、痛い、辛い…そういった事で彼らは滅多に泣くことはない。


そしてオーク族の村で生まれてくる赤子はほぼほぼオークの男児である、

ゆえに赤子が暴れ出したり乳房に噛みつくことに注意する必要はあるけれど、赤子の泣き声で母親がノイローゼになるようなことは滅多にない。


だからこそミエにはわかるのだ。

避難所で泣いている赤子の正体が乳母マルトにあやされているミックとピリック…つまり己の娘達であると。


会いたい。

合って抱き締めてやりたい。

張った乳房から我が子に乳をやりたい。


切ない程にそう思いつつ、けれど彼女は後ろ髪を引かれる思いで強引に足を前に出し、避難所の前を通り過ぎた。


今は戦時である。

この城がまさに攻められている真っ最中なのだ。

あらゆる事態が一刻を争う状態なのである。


ミエはろくに剣も握れないし、戦いに関しては完全に素人だ。

けれど仮にも村長夫人である以上彼女には重大な責任がその双肩にあった。


村の住人達、そして旅の者や商人達の安全保障。

彼らの不安や興奮を抑えての心のケア。

支援物資の潤滑な分配と運搬。

そして各所で死に物狂いで働いている者達へのねぎらいと激励。



やることもやるべきことも山のようにあるのだ。



ミエは心の内で娘達に懺悔しつつ村の広場へと向かった。


「さぁーどんどんつくっちゃいますよー」

「「「はい!」」」


小人族フィダストニアの号令の下、村の娘達が大規模な食事の準備をしている。

兵士たちのための糧食である。


パンに肉と野菜を挟みサンドイッチにしてボリュームと栄養を考えつつ片手でも食べやすくしているようだ。

流石に村の食事担当を任せられるだけのことはあるとミエは妙な感心をした。


「トニアさんトニアさん! クハソークさんは?」

「あの人はぁー上に登りましたぁー」


城壁を登る攻城側とそれを叩き落とさんとする籠城側の戦いが熾烈を極めてきたようだ。

食料を作り届けるのも無論大事だが戦い手が一人でも大いに越したことはない。


特にオーク兵の多くはワッフに引き連れられて城外で戦っている。

敵兵を城内に一緒に招き入れてしまう恐れがあるため今彼らを収容することはできない。


城内のオーク兵は希少なのだ。

特にクハソークのような歴戦の猛者であれば猶更である。


「わかりました。助かります。あとそろそろ配達用の兵士を手配しますね!」

「お願いしますぅー」


ばたばたと走りながら城内各所の様子を見、矢継ぎ早に指示を出し、疲労で倒れ後退で僅かに休憩を摂っているいる兵士たちにねぎらいと激励の言葉をかけてゆく。

それだけで兵士たちは歓喜雀躍し、大いに発奮して己の持ち場へと全力で飛び込んで行った。

まさに≪応援≫スキルの面目躍如といったところである。


「酒ニャ! こういう時は水より酒ニャ! どんどん運び出して上に持ってくニャ! 在庫とか気にするニャし! こんな時使わないでなんのための在庫ニャ!!」

「アーリさん!」


アーリが社員の獣人達に次々に指示を出しながら城の備蓄の放出を行っている。

本来ならば統括であるワッフとサフィナの許可がいるところだが、現在戦時中につき二人とも他の用事で手が離せないため一時的にアーリが在庫管理を一任されていた。


「在庫の方は大丈夫です?」

「元々籠城戦するつもりで貯めた備蓄だから貯蔵量は十分ニャ。向こうが持久戦仕掛けてきたら面倒ニャけどたぶんそれはないと思うニャし」

「…旦那様もそう仰ってましたね。なんでそう言い切れるんです?」


ミエの素朴な疑問にアーリがジト目で答える。


「相手は地底からやってきた軍団ニャ。その殆どが完全な暗闇でも物が見える≪暗視≫の持ち主のはずニャ」

「ですよね。だから夜戦なのにすごい手強いって聞いてます」


そういう事であれば村のオーク達も≪暗視≫持ちのため夜戦が得意なのだが、人間族の衛兵…主に元翡翠騎士団の騎士達…はそうはゆかぬ。

無論村を覆う幕壁の上には松明がずらりと灯されており光源自体は確保されているが、それでも昼間と同様というわけにはゆかぬ。


「ニャ。ただし地上のオーク達と違ってずっと地底に暮らしてた連中は闇に対する適応が高いかわりに光に対する脆弱性も持ってるニャ。簡単に言えば昼間になれば太陽が眩しすぎて弱体化するニャン」

「あー…!?」


言われてみればもっともなことに今更気づき、ミエは思わず手を打った。


「ってことは夜明けまで耐えれば向こうは撤退する…!?」

「とは限らニャイけど、持久戦を仕掛けるにせよ昼間は一旦兵を引いて次の夜を待つ可能性が高いと思うニャ」


ふんすと鼻息を鳴らしたアーリが猫髭を揺らす。


「提携してる行商人たちを村の近くに待機させて夜営させてるニャ。もし朝になって連中が引いたらその間に物資の搬入と巻き込まれた旅人の搬送を試みられるはずニャ」

「おおおー!」


アーリの鮮やかな手並みと入念な準備にミエは一人で拍手喝采する。


「ま、それもこれも今日の戦を切り抜けた後の話ニャから昼間は言わニャかったけども」

「助かります! じゃあそっちはお願いしますね! あ…あとまだありますか?!」

「アレ…? アレはあるにはあるニャけどクラスクの許可がいるんニャ…?」

「許可なら村長夫人の私が出します! すぐに必要になるかもなので! 居館まで運んでもらってきていいですか!?」

「それはいいニャけど…?」

「おねがいしまーす!」


頭を下げて手を振って居館の方へと駆け去るミエ。

アーリはなぜミエがなぜそんなことを頼むのかと首を捻った。


「末期の酒かニャ…?」


×        ×        ×


「クエルタさん! 怪我人の具合は!?」

「とりあえず寝かせてるよ。カムゥとアヴィルタが世話してる」

「助かります!」


攻城戦は攻撃側より防御側の方が圧倒的に有利である。

城壁による物理的な防御力が物を言うからだ。

だが有利であるということは無傷で相手を撃退できることを意味しない。


城下からの弓で、登攀している者が振り回す武器や爪や牙で、そして遥か遠方の丘から放たれる凶悪な呪文…そのネッカが完全防ぎ切れなかった余波で、守備側の兵達も手傷を負い、或いは重症となって戦線を離脱してゆく。


人間族の衛兵も、そしてオーク族の兵隊も。

区別なく奮戦し、同じように傷を負って。


現在城内の居館にはそうした傷病者たちが次々に運び込まれ、安置されており、村の娘達が献身的に世話をしていた。

ミエは彼らの激しい出血や切れかかった腕や脚を見て真っ青になり倒れそうになったが、なんとか踏みとどまる。


ミエがかつて生きていた国は平和を謳歌しており、戦争については知識で知ってはいてもその悲惨さを肌で知ることはなかった。


けれど彼女が長く暮らしていた病院では、怪我と病と死は常に身近に存在していた。

同室の仲間が先に身罷る事だって幾度も経験しているのだ。

二十歳までもたぬと言われた自分より先にいなくなる娘すら、いた。

だからこんなところで倒れてなどいられない。


「腕…足…この人はもう…っ」


歯を食いしばりながら怪我人の具合を素早く確認し、手当する優先順位を付け色の付いた木札を脇に置いてゆく。


「毎度ー! お届け物だぜー!」

「みゅみゃ! 量はあまりありませんでございますがー」

「ありがとうございます! そこに置いてください!」


狼獣人のグロイールと兎獣人のミュミアが倉庫から樽を転がしながら運んできた。

樽と言っても人の胴体程度の大きさしかない小樽である。


ミエが素早く蓋を開けると中からむわっとした酒精が漂ってきた。


「うわっ! すんごい臭いだね! なんだそりゃ。酒かい?!」


クエルタが嗅いだこともない濃厚な酒臭さに思わず鼻をつまむ。


「なかなか良い香りだと思います…デス」

「わーん、カムゥこの臭い苦手なのでっす!」


三者三様の反応を示す娘達。


「ごめんなさい。でも急ぐので!」


あらかじめ用意させた古着を引き裂いて樽から出した酒に漬ける。

その間に紐で患部の上をきつく縛り出血を止めた。


「我慢してくださいね…!」


そして火箸を松明で熱すると、腕を斬られた兵士の前に座り、心を鬼にして患者の裂断した腕に断面に押し当てた。


激しい絶叫が部屋の中に響き、肉の焦げる臭いが充満する。

ミエが患者の腕を焼いているのだ。

そして傷口を焼くことでそれ以上の出血を止めたミエは、手早く酒に漬けた布を患部に巻いた。



…ミエが行ったのは焼灼しょうやく止血法と呼ばれる原始的な治療法である。

古代に於いては怪我をした場合出血多量が死因の大きな要因となっており、それを止める最も効果的な手段が傷口を焼く事であった。


ただ単に傷口を焼いただけでは二次感染の恐れがある。

それを防ぐためにミエは近代医学の知恵を利用した。

酒を用いたアルコール消毒である。


ただし酒を消毒液として用いるにはアルコール度数が70%前後程度が望ましい。

そしてこの度数は従来の酒では決して辿り着くことができない。

通常の発酵酒ではアルコール度数はせいぜい10-20%がせいぜいだろう。


それ以上にアルコール度数を高めるためにはアルコールの蒸発と抽出を行う必要がある。

いわゆる『蒸留酒』だ。


この世界には未だそうした酒は存在しない…はずだったのだが。


実はより強い酒を求めたクラスクと研究好きのシャミルが手を組んで、実験的にそうした酒を造っていたのである。

肉肉祭りの頃にはまだ研究中で間に合わなかったようだが、現在ようやく成功にこぎつけた試作品が小樽に詰め込まれていた。

ミエはそれを拝借して消毒液として用いたわけだ。


止血と消毒…患者の生存率を上げる大きな治療法。

酒を用いたその奇妙な手当てに皆が目を丸くする中…ミエは腕まくりして次の患者の前に座った。


「同じ手当を他の人にも! 優先順位は木札の色で見分けて下さい!」


先程の木札…色ごとに治療の優先順位をつけたものだ。

ありあわせのもので作った間に合わせのトリアージといったところだろうか。


「大丈夫…必ず助けます! 気をしっかり! 頑張ってくださいね!!」





そしてミエにそう言われて…頑張らぬ村人はいないのである。





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