第321話 平和な村

「なんじゃ…これは…!」


丘の上から身を隠しつつ眼下の村を見つめたシャミルが息を飲み、低く呻いた。


「…ノームよね、あれ」


隣からひょこっと顔を出したギスが、シャミルが認めたがらぬ事実を突きつける。


そう、そこは普通の村だった。

ノーム族のごくごく普通の村だった。


当たり前のようにノームたちが村の中を歩き、明るく挨拶しながら荷物を運んでいる。

どこもおかしなところのない、普通の村に見える。


だがそんなことはあり得ない。

ここは二年前にシャミルが爆発事故を起こし、地底と繋がり彼らの『天窓』となってオーク達を呼び込み、その後地底から軍団規模で兵を呼び込む彼らの前線基地となっている…はずの場所なのである。


そこになぜ当たり前のようにノームが生活しているのだろう。

シャミルは混乱し、激しい頭痛に額を押さえた。


「落ち着けお前達。おかしいだろう」

「オカシイ?」

「ドコガデス、キャスアネゴ」


眉をしかめながら呟くキャスの言葉にリーパグとイェーヴフが顔を見合わせ首を捻る。

深くため息をついたキャスは、諭すように説明をする。


「私達は地底軍の夜襲の際城を抜け出してこちらに向かった。もっと早く出発したかったがシャミルのなど色々あったからな」

「うむ」

「そうね」

「そして夜陰に紛れて馬を走らせここに辿り着いた」

「ダナ」

「ソウデスネ」

「なら…

「「「いつ…?」」」


そう聞かれて四人は首を捻った。

夜の闇の中丘の下の林に馬を隠し、シャミルの案内で身を隠しながら村の裏の丘を登り、村から見えぬ位置に辿り着いて様子を窺っている状態である。

未だ空は暗いがそろそろ白み始めようとしている頃だ。


「夜明け前…よね、キャス」

「そうだ、ギス。

「「あれ……?」」


ぎょっとしたシャミルとギスが慌てて目を皿のようにして村の様子を窺う。


「ナンカ変ナノカ?」

「フツージャナインデスカ、アレ」

「リーパグ、イェーヴフ、お前達はノームの村を訪れた…あー…もしくは襲った事はあるのか」

「俺ハネエナ」

「俺モナイデス」

「ならなぜあれが?」

「「ウン…?」」


キャスの言葉に再び首を捻る二人。

リーパグはシャミルの夫ではあるが、あまりノームと言う種族について聞いたことはない。

ただ彼女の行動からノームが主に昼に活動する種族だというのは把握している。


こんな夜半から夜明けにかけて活発に動くノーム族というのは、だから彼の経験からすれば奇妙なことのはずだ。

だが


「イヤイヤイヤ…オカシイダロ?!」


リーパグは己の頬をぴしゃりと叩きぎょろっとした目で眼下の村を凝視する。

先程と同じようにノームたちが動き回っている。

だが…


「…出発が遅れたのは問題だが、ネッカに準備しておいてもらってよかったな」


キャスが背負袋から眼鏡を取り出し、ギスに渡す。


「この眼鏡越しに覗いて見ろ」

「ありがとう…あら?」


ギスが眼鏡越しに村を見下ろし眉をしかめる。


か。わしにも貸してくれ」

「はい、どうぞ」


ギスから眼鏡を受け取ったシャミルが眼鏡越しに眼下の故郷を眺める。


「む、これは…?!」


先程と変わらぬ光景…のはずなのだが、動き回るノームたちが妙だ。

なんというか薄く透けて背後の地面が見える。


「幻術か…!?」


そう、ノームたちは皆幻だった。

しかもよくよく見るとその造形もだいぶ甘い。

素人の絵描きが描いたようなノームの出来損ないのような姿である。


「むう…あんなものを同族と想い込んでおったとは…いや先刻までは確かにそう見えておったのじゃが」

「うむ。幻影系統の恐ろしさだな」


キャスがそう呟く背後で眼鏡を借りたリーパグが目を輝かせて「スゲー!」と驚嘆し、イェーヴフが「次ハ俺! 俺ニモ貸シテ下サイ!!」と取り合いになっている。


「お主には見えておったのか」

「…ネッカにあらかじめ言い含められていたからな。それにこうした魔術的偽装に遭遇した経験もある」


そう呟きながらキャスはジト目でギスを見つめた。


「…同族としてお前は見破る側だと思っていたのだがな、ギス」

「あら黒エルフブレイを同族だなんて呼んだらエルフ達に殺されるわよ?」

「茶化すな」


…魔術の系統の一つ『幻影』は字の如く幻を操る系統である。

幻影系統にはさらに大別して二種、即ち虚構幻術と実体幻術がある。


幻なのに実体というのも妙な話だがとりあえずそれは置いておいて、今回彼女らが遭遇したのは虚構幻術の方だ。


虚構幻術は簡単に言えば幻によって感覚器官を惑わせる呪文群である。

視覚を惑わせる幻視、聴覚を惑わせる幻聴を始め嗅覚や触覚を惑わせる幻覚すら存在する。


それらを巧みに利用すれば下手な料理を極上の味わいに変えることもできるし、ありもしない壁の手触りで相手を追い返すことだって可能となる。


「今回の幻術は…おそらく『視覚』と『感覚』を誤認させるものだ」

「感覚? 感覚ノ幻ッテドーユーコトダ?」


キャスの言葉をいまいち理解できず、リーパグが首を捻る。


「簡単に言えばという幻だな。造詣の拙い視覚的幻術でも、感覚を惑わされていたからもっともらしく見えてしまったわけだ」

「ううむ…幻で感覚を誤認させられるというのはあまり気分のいいものではないのう」


シャミルのなんとも嫌そうな声にキャスは同意の肯首をする。


「ああ。なにより厄介なのは幻術はことだ。感覚を惑わせるのは幻術でも高度な術と聞いていたが、確かにかなり危険だな」


幻術は感覚を惑わせる術であるため、強靭な意志の力で看破することができる。

一度見破った幻術は、それが視覚を惑わすものであれば薄く透けたり、聴覚を惑わすものであれば音に臨場感がなくなり安っぽくなったりとて明らかに幻であることがわかるように感じられる。


だが幻術はそれを見たり聞いたりすれば看破を試みられるわけではない。

当人が「これは幻なのではないか?」と疑念を抱き、それを見破らんとして初めて看破の試みができるのだ。


『幻視』で視覚を惑わし、『幻聴』で聴覚を騙す。

幻の出来がよく、それに疑いを抱けなければそもそも看破自体試みることができぬ。

これが幻影系統の最大の強味である。


中でも厄介なのが感覚を惑わす現実…字の如くである。

幻視や幻聴などの単純な幻影に比べ、一段高い高度な幻術である『幻覚』は、相手の感覚を惑わせる。

「それっぽい」とか「本物っぽい」といったを誤認させてしまうのだ。


今回用いられたのは対象を本物らしく感じさせる幻覚。

これに見た目だけは平和裏な村である幻視を組み合わせることで、あたかもごく普通のノームの村落に見せていたのである。


幻術は疑わない限り見破れない。

そしてその疑いを、『幻覚』は巧みに惑わせ闇に葬ってしまう。





こうして…誰にも気づかれぬまま、地底からの侵略者が跋扈するノームの村が生み出されたのだ。





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