第319話 城の護り手
「…こない?」
「どうしたんでふかね」
城壁の上、ネッカとサフィナは互いに顔を見合わせ首を傾げた。
先程まで矢継ぎ早にこちらの城を落とさんと強力な攻撃魔術を連発してきた敵の術師…
遥か視界の先、夜陰に紛れた丘の上にいると思しき敵の首領からの攻撃が、つい先刻からぴたりと止んでいるのである。
「あれだけ強力な呪文ばかりだったでふから、流石に魔力切れでふかね」
「…違う、と、思う」
胸壁の陰に隠れ飛来する矢を避けながら、サフィナが呟く。
「向こうの丘に、まだ魔力いっぱい。たぶん夜明けまでさっきのやってもまだ元気」
「…それはこっちがもたないでふね」
あっさりと兜を脱ぐネッカ。
彼女としてはギリギリのギリギリでなんとか対抗している状態である。
いや正確には完全に対抗はできていないので威力を減衰させたり横に逸らしたりすることでどうにかこうにか直接の被害を防いでいるのだ。
このままでは魔力も呪文のレパートリーも遠からず枯渇してしまう。
とてもではないが夜明けまではもたないだろう。
その相手術師の猛攻が止んだ。
未だ十二分の余力を残したままで、だ。
これは一体どういうことなのだろう。
「何かわかりまふか」
先刻まで巫女として端倪すべからざる力を発揮していたサフィナに問いかける。
サフィナは胸壁の隙間から丘の方をためつすがめつしながら目を細めた。
「……こっちに注意が向いてない感じ。誰かの相手してるのかも?」
「クラ様!」
サフィナの言葉ですぐに確信する。
きっとクラスクが向こうに辿り着き、あの術師と対決しているのだ。
それならばこちらに注意が向けられないのも納得できる。
ネッカはすぐに頬を叩き気合を入れ直した。
「これで対攻城戦の援護ができまふ! サフィナさんは見張り塔へ! あそこで身を隠しながら丘の様子がおかしくなったらすぐに知らせてくださいでふ!」
「おー…わかった。サフィナ見張り塔いく…」
「ワイアントさん! サフィナさんを護衛してくださいでふ!」
「おいわかった! 任せときな!」
城壁の守備兵の一人、元翡翠騎士団のワイアントにサフィナの護りを頼み、すぐ呪文の詠唱に入る。
「
素早い詠唱で頭の中に刻み込んだ秘紋を解凍してゆく。
だが呪文には詠唱要素だけではなく動作要素があり、サフィナのように壁に隠れながら呪文が唱えられるわけではない。
となれば城壁の上で目立つ動きをすることになるわけで…当然城を登攀しようとしているのとは別の城外の兵士達…主に長弓を構えた登攀援護部隊から矢の雨を浴びせられることとなる。
ぶすり、ぶすり。
ネッカの肩に腕に、矢が突き刺さる。
魔導師にとって最大の難敵がここにあった。
呪文は言葉に出して唱える詠唱要素、身振り手振りを交えた動作要素などを経ることで完成するが、その際術師には極度の精神集中が必要とする。
逆に言えば他者はそれらの要素を阻害することで呪文の発動を阻止することができる。
例えば聖職者の唱える〈
そして…極度の苦痛や苦痛などを受けることで精神集中が乱された場合である。
そうした場合詠唱途中の呪文は完成することなく、せっかく励起させた魔力ごと宙に霧散してしまうのだ。
これを『
術師であれば皆同様のリスクを負ってはいるが、重い鎧を着用しても問題ない程度に動作要素の軽い聖職者や、片腕が動けば動作詠唱を満たせることが多い精霊術師に比べると詠唱に対する動作要素の比重が大きく、重い鎧を一切着用する事ができない魔導師が最もそのリスクが高い。
冒険者などが戦闘する際魔導師が後衛に回るのも、前衛の戦士達に守ってもらうことで被弾のリスクを下げる必要があるためだ。
だがここは城壁の上で、回廊は狭く前に立ち守ってくれる戦士はいない。
左右から護ろうにも不必要に近づけば味方自身が彼女の動作要素を邪魔しかねない。
結果として攻撃の的となった彼女は詠唱途中に幾本もの矢をその身体に受け、激しい痛みに晒されることとなった。
「…『
だが止まらない。
彼女の動作も詠唱も絶えず尽きず続いている。
それは彼女がドワーフであることによる恩恵であった。
ドワーフ族は皆大人になる前に戦士としての訓練を受ける。
これはそのドワーフの将来が戦士だろうと衛兵だろうと、石工だろうと酒場の親父だろうと、男だろうと女だろうと変わらない。
皆等しく戦闘の訓練を受けるのである。
そしてドワーフ族の戦士としての鍛錬の最も重要なもの…それは『耐える事』なのだ。
ドワーフの歴史は受難と苦難の歴史である。
オーク族に襲撃され村を焼かれ、ドラゴンに襲われ国を焼かれ、故国を取り戻すべく受難と苦難に喘ぎ、戦いに次ぐ戦いを続けてた。
そうした歴史が彼らに一族全て戦士であれ、という教えと、どんな時でも艱難辛苦を耐え続け乗り越えて行けという信念を育んだ。
その厳しい鍛錬が、肉体的な痛みや苦しみに耐える訓練が、今突き刺さる矢の痛みからネッカの詠唱を守り、精神集中を乱さずに済む助けとなっていた。
「〈
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
指差した方向の衛兵に白い光が命中する。
その衛兵の輝く体から再び白い光が放たれ、近くの衛兵に当たる。
城壁の上の衛兵たちに次々に命中したその光は…彼らの内から強い力を湧き上がらせた。
「うお! 岩が! 岩が軽い!」
「なんだこれ! 武器が! 武器が滅茶苦茶軽いぞ!?」
今にも城壁を登らんとしているゴブリンを引っ掴んでそのまま下に叩き落とす衛兵。
城内から運ばれてきた岩を片手で掴んで登攀中のオークの上に叩き落とす衛兵。
怪腕となった彼らはまさに獅子奮迅の働きで攻城兵どもを追い散らしてゆく。
「次は…あそこの弓兵……でふ!」
城からやや離れたところに位置取り、こちらの矢を盾で防ぎながら弓で城壁の上を狙い城の西壁を登攀する兵士たちを援護するゴブリン弓兵の一団。
先刻ネッカに矢の雨を浴びせたのも彼らであった。
だが彼女が今日準備した魔術にその距離まで届くような攻撃呪文はなかった。
咄嗟に唱えられる呪文はほぼすべて防御呪文に回していたからである。
ゆえに危急に詠唱する必要のない呪文を…
「巻物! 三巻! 七番目!」
彼女は≪魔具/巻物作成≫を用いて巻物に記していた。
胸元から素早く巻物を取り出し横に開いて目当ての列を探す。
…と、この時突然突風が吹いて巻物をはためかせた。
それは近くにあった急造の松明の灯りを吹き消し、同時に風に流された雲が頭上の月を覆う。
一瞬、周囲の光源が失われて辺りが闇に包まれた。
≪魔具/巻物作成≫によって作成された巻物には呪文を封じておくことができる。
魔導師が一日に唱えられる呪文数は個々の実力や魔力量によって制限があるが、既に魔力の込め終わった巻物を読む分には当日の魔力量は関係ない。
呪文一つ込めるたびに金貨が数十枚から数百枚消し飛ぶゆえに経済的に余裕がないと活用は難しいが、魔具を作成する時間と経済的余裕さえあれば非常に有用かつ有益な呪文リソースとなる。
ただし欠点もある。
巻物を取り出し、読み上げなければならぬ関係上、先刻のネッカの〈
例えば人間族の魔導師は闇の中では巻物が読めず唱えることができないのだ。
「
……が、ネッカは周囲の暗闇など意にも介さず巻物を読み上げてゆく。
暗闇の中、巻物に記された秘紋が青白く輝き、光る文字となって宙空へ螺旋状に浮かび上がっていった。
彼女はドワーフなのだ。
ドワーフ族は山の中、洞窟の中に棲み暮らす種族である。
当たり前のように闇の中に住まう彼らはオーク族同様≪暗視≫の種族特性を持っており、一切光源のない暗闇の中でも問題なく活動可能なのだ。
ゆえに彼女の眼にはしっかりとその巻物の文字が見えていて…
その突然のハプニングは、彼女が城を護る守備の要たる大任を果たす上で、一切の障害とならなかった。
「
杖が差し示したるは城の外。
オークやトロールどもが渡河に手間取っている堀の向こうに坐したる弓兵の一団。
突如彼らの中心に巻き起こった紅蓮の閃光と爆発が、一瞬にして弓兵どもを消し炭へと変えた。
かつての彼女が知らぬ呪文。
この村を守る条件でアーリより授かったその攻撃魔術は、見事この戦場でその本領を発揮した。
まじないをうとみ、距離を取ることの多かったドワーフ族。
魔導学院に訪れる者はなく、やがてドワーフ族は魔導師に不向きという風潮が定着していった。
そしてドワーフ達もまたそのレッテルを否定してこなかった。
そんな中、ネッカは周囲の偏見に晒されながら魔導師を目指した。
だが今の彼女はどうだろう。
ドワーフ族の鈍足は定点防御を旨とする籠城戦に於いては不利とはならず、前衛のいない魔術戦に於いてドワーフの本領たる頑健な肉体と強靭な忍耐力がその呪文詠唱を守り、そして…時間と金銭の余裕さえあれば幾らでも積み増せる巻物を、≪暗視≫によって闇の中ですら詠唱できる…
魔導師には不向きとされてきてドワーフと言う種族性は、こと籠城戦において、彼女を一流の護り手として開花させていた。
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