第308話 もう一つの戦場へ

「やれやれ…だいぶ肩が凝った…」


コキ、と首を回して腕を回し、周囲をざっと見分する。

闇夜ではあるが、月光がある今夜、エルフの血を引くキャスの視界は昼間とほぼ変わらない。


「だいぶ城から離れたな。この距離なら追手がかかる心配はあるまい」

「そう願いたいわね…と!」


そう言いながら地面からにょきにょきと生えた手をギスが引っ張り上げる。

続いて穴から這い出てきたのはシャミル、そしてリーパグの二人だった。


「やれやれ酷い目に会うたわい」

「アイタタタタタタ…快適性ハ皆無ダナコノハ」

「文句を言わないで頂戴。本来は一人用…せいぜい二人用の呪文なんだから。今の貴方達夫婦は荷物扱いでなんとか連れて来れたのよ」

「わしらは荷物扱いか!」

「俺達荷物カヨ!」


息の合ったツッコミを入れるそのオークとノームの変わり者夫妻は一見普段通りに見える。

ただ…二人とも随分と大き目な背負袋をしょっていた。


「…しかし便利なものだ。成程、そう言えば宝石だけでなく自分自身の身を隠すのも得意だったなお前は。いや大したものだ」


かつて彼女が城の巡回どもを巧みに撒いていたその手口を今日ようやく知って満足げに頷くキャス。

だがギスは残念そうに肩をすくめ首を振った。


「誉めるならあのドワーフの魔導師さんを褒めてあげて頂戴。私の呪文は本来ここまで便利な呪文じゃないもの」

「そうなのか?」


キャスの言葉にギスが小さく肯く。


「残念ながら、ね。私の〈地潜ポシア・エイジプ〉は地面の中に潜って相手をやり過ごすだけの呪文よ。時間が切れたらそのままその場から這い出てくるだけ。横への移動なんてできなかったわ」

「それをネッカがしたのか?」

「ええ。魔導術には便利な呪文もあるものね。私は正規の学院出と違って教わったものしか知らないし」


ネッカが使用したのは〈魔術強化ソヒュー・ルヴァグスヴィ〉と呼ばれる付与系統の呪文である。


通常の魔術はそれ自体がなんらかの効果を持つ。

炎の爆発を起こしたり、魔法の矢を撃ったり、石の壁を造ったり、といったものだ。

だが〈魔術強化ソヒュー・ルヴァグスヴィ〉はそれ単体ではなんの効果も持たぬ。

だがその術の対象となった者がの効果を強化することができるのだ。


ネッカはギスの手持ちに〈地潜ポシア・エイジプ〉があるのを知り、その呪文効果自体を強化することで地中での横移動を可能にさせ、こうして交戦中の城から秘密裏かつ安全に脱出せしめたのである。


ただ、八面六臂の活躍をしているネッカの呪文ではあるが、彼女はそれらの全てをあらかじめ修得していたわけではない。

もし今日使用した〈魔術の矢イコッカウ・ソヒュー〉や〈魔術強化ソヒュー・ルヴァグスヴィ〉を最初から使えていたなら、冒険者仲間からあのように悪しざまに言われることはなかったはずだ。


これらの呪文はアーリが魔導学院に必要な備品を購入しに行く際、向こうでついでに調達してきた巻物スクロールに記されていたものである。

彼女は以前ネッカにこの村の助けとなるよう要請し、その報酬としてネッカが修得していない呪文のリストを提示した。


ネッカはアーリが持ち帰ったその巻物から己の魔導書へとその呪文を書き写し、そのレパートリーを一気に増やしたのである。

もしこの事実を知れば他の魔導師達は指を噛んで悔しがった事だろう。

経済的に余裕がある村に雇われていたからこその恩恵と言える。


…本来冒険者の時だとて、報酬を山分けしたりせずまとまった額で巻物などを購入し、ネッカの魔導書の呪文リストを増やすことでパーティの戦術の幅を広げる…といった長い目で見て利益となるようなを行う選択肢もあったはずなのだ。


だが彼女の仲間たちはそうした道を選ばず、またネッカもそう主張することができなかった。

それは冒険者としてはとても不幸な、だが同時にたびたび起こり得る行き違いでもある。


「ま、残念ながらこっちも向こうもお互い何度も使える呪文じゃなかったかのと重量制限があったから、村長さん達の方をついでに連れ出せなかったのはちょっと申し訳ないけれど」

「まあそこは仕方なかろう。む、お前の旦那が来たぞ」


森の方から手を振って近づいてくる人影がある。

ミエあたりだったら暗くてまったく判別がつかぬだろうが、この場にいる四人は皆≪夜目≫または≪暗視≫の種族特性持ちであり、その人影がギスの夫である若きオーク、イェーヴフであることがすぐに見て取れた。


「オオイギス! 無事ダッタカ!」

「お互いにね」


互いに近づいて、軽くハグし合う。

淡泊ではあるがギスの方もそれなりに彼を気にかけていることが感じられ、キャスは少しだけ目を瞠った。


ギスは普段まじない師の修行と称していつも村を空けており、キャスは二人の夫婦としてのやり取りをほとんど見たことがなかった。

それだけに彼女は、ギスが実は単に村に居着くためにこのオークの若者を利用しているだけなのでは、という疑念がないでもなかったからだ。


「フウー、用事ヲ済マセテ村ニ帰ロウトシタラ城カラ合図ノ狼煙ガ立チ登ッテ慌テタヨ。マサカ帰ル前ニ開戦スルトハナー…」


ここまで駆けて来たせいか汗をぬぐいながら、イェーヴフは森の方を指差した。


「で、どこまで把握しとる」

「シャミル様! アードコマデト言ワレテモデスネ、狼煙デワカッタノハ『外ニイル奴ハ待機』、ッテダケナンデ…」

「ま、そうれはそうじゃの…」

「森ノ村ヲ覗イタラ避難ハ無事完了。ッテコトハ外ニ残ッテルノハ多分俺一人。ナラアノ狼煙ハニ向ケタメッセージッテコトニナリマス。デ隠シ通路知ッテル俺ニ『隙アラバ戻レ』ジャナクッテ『外デ待機シロ』ッテ命ジルナラ多分城カラ出テナンカスル作戦ガアッテ、俺ハソコニ同行シロッテコトカナッテ思ッテ、遠出スルカモシレナイカラ念ノタメ森村カラ馬ヲ連レテアソコノ森ニ繋イデアリマス。俺ガ使ッテタうまいラクリィト、アト二頭」

「「「かしこい!?」」」


おおおおおーと一堂から感嘆の声が漏れ、そして拍手が続いた。

そして妙に得意げな表情のギス。


「まさにその移動手段が欲しかったところじゃ。本来の計画であらばこのまま村に戻って放牧場から馬を引いてくる予定だったんじゃが」

「何カ問題ガ?」


怪訝そうに問い返すイェーヴフにシャミルが答える。


「…地底の連中に、どうやら前族長が協力しておるらしい」

「ゲエエエエエエエエエエエエエエッ!?」


驚嘆し、驚愕し、明らかにおびえるの色を見せるイェーヴフ。

彼はこの村のオークの若者としてはかなり重用されている方であり、それは彼が知性と機転を備えよく気が回るからなのだが、イェーヴフのそうした側面は前族長の支配下ではほとんど重視されなかった。

イェーヴフが頭角を現したのはクラスクが族長になってからの事である。

彼が前族長を忌避するのも当然と言えた。


「…ナルホド。前族長ナラ森村ノ場所モ知ッテマスモンネ」

「うむ。あやつがあの村で馬を見つけようものなら…」

「喰ウナ」

「ま、喰うじゃろな」

「喰ベマスネ」

「馬を食べるなぁー!?」


リーパグとシャミルが頷き合い、それにイェーヴフが賛意を示し、間髪を入れずキャスが壮絶な顔で突っ込みを入れた。


「まあそんなわけじゃからお主の機転に助けられたわい。さ、急ぐぞ。戦いの決着が付く前にこちらも現地に辿り着かねば」

「…デ、ドコニ行クンデス」


イェーヴフの問いに答えたのは、彼の妻、ギスであった。


「ノームの村よ。彼らが地底から湧き出している場所。そこを潰しに行くの」

「ア…!?」


そこまで言われてイェーヴフもようやく得心がいった。


「ナルホド…? ホットキャア幾ラ倒シテモ倒シテモソノ穴カラ連中ガ補充サレチマウカラ、ソコヲ潰シテ後腐レナイヨウニシヨウッテコトカ?」


イェーヴフの気づきに満足そうに頷きキャスが話を継ぐ。


「そうだ。一応地底法案件のため多島丘陵の近隣諸国には手紙で伝えてはおいたが…ま、オークの村の言う事ゆえ信じてくれる可能性も動いてくれる可能性は低い。なにせようだからな。ゆえにその穴を塞ぐためには我々が動くしかない、というわけだ」

「…で、その場所の防備が最も薄くなる瞬間はというとじゃな」

「コノ村ニ全兵力デ攻メテキテル今! カ!」

「…ということになるわけじゃ」


そのオークの若者の頭の回転の速さに感心しつつシャミルが頷く。


「では急ごう。我らがここの決着が着く前にカタを付けねばならん」


キャスの言葉に一同が頷き、イェーヴフが先導しながら急ぎ森へと向かう。

小走りで駆けながらシャミルの顔が重く沈み、その表情が引き締まる。





己が撒いた種…その因縁の決着を、付けなければならぬ。




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