第307話 戦場からの脱出
「〈
ワッフが盗賊ゴブリンどもを吹き飛ばしたのと時をほぼ同じくして、城壁の上から青白く光る矢が4,5本ほど放たれ、先程城壁を登ろうとしていた、そしてそろそろ胸壁へとたどり着かんとしていたゴブリンに向かい真上から降り注いだ。
壁の細い細い隙間に指をかけ、素早く横に避けるゴブリン。
この城の石材はかなりぴっちりと積まれており、登るだけでも一苦労だ。
横に避けるのはさらに輪をかけて困難である。
それをあっさりとして退けるところを見ると、相当登攀に自信があるのだろう。
地底世界由来の登坂能力なのか、それとも盗賊技術の賜物だろうか。
…が、その青く輝く矢は、あろうことか彼の真横で突如方向を変え、その横っ腹に深々と突き刺さった。
激痛に指を滑らせ、悲鳴を上げながら落下したゴブリンは、落下中にさらに数本の光る矢で次々に貫かれ、先程の二匹の横にべしゃりと落ちる。
そして城壁の上を駆けてきた兵士たちが石を投げ落とし、三匹をきっちり絶命させた。
「…マジナイッテスゴイダナ」
ワッフが感心したように上を見上げる。
本来〈
味方の兵や城兵達に当たらぬよう、高い角度から投射されていたためだ。
ネッカがクラスク達に敵の首魁の居場所を教えた時のように、〈
けれどそのためには長い時間精神を集中し続けていなければならない。
戦争という長丁場で精神疲労は避けねばならないし、なにより精神集中しっぱなしでは探知はできても相手の魔法に対処できぬ。
ゆえに彼女は相手の魔術発動の端緒を直観力に優れた巫女であり精霊の流れがよく見えるサフィナに任せ、幾つかの呪文の発動準備をしていた。
敵の首領を討つためクラスク達を無事城の外に送り出す。
そのためにワッフ達が相手の挑発に乗ると見せかけ囮として城の逆方向から出撃する。
だがそんなことをすれば城壁と言う守りを失った彼らが集中的に狙われるのは必定であり、さらにはせっかく城壁でその大半を防いだはずの敵の広範囲攻撃呪文の標的となってしまう。
ネッカはその攻撃呪文に対する護りをクラスクより任されていたのだ。
サフィナによる魔力の起こりの検知、そして精霊たちの動きの乱れから目標方向を確認。
同時に唱えた召喚系統の壁生成魔術で相手の呪文の進路上に石壁を生成し、そこに敵の魔術を着弾させ発火位置をずらしつつ物理的な壁で炎を止めて被害を防ぐ。
まさにミエに説明した通り、割り込んで呪文を唱えたことで敵の魔術の射線を遮ったのである。
「ふう……っ!」
大きく息を吐いて、一息つく。
とりあえず魔導術使いとして最低限の仕事は果たせたはずだ。
回り込む炎により被害を皆無にはできなかったけれど、可能な限り抑えることはできた。
だが油断はできない。
数は敵の方がまだまだ圧倒的に多いのだ。
ワッフ達と乱戦にはいっていたせいで先程の呪文に巻き込まれなかった敵兵もいる。
城の西側からの増援もわらわらとやってきた。
今城門を開いてワッフ達を収容することはできない。
そんなことをすれば敵兵も大挙して城内に入り込み大混乱になってしまう。
彼らを守りながら、この西壁を攻城せんとする相手を全て仕留めなければならぬ。
その上先程の工房でこちらに魔導師が、それも城壁の上にいることがバレた。
次からは自分が狙われることも考慮しなければならない。
ネッカは緊張と責任感で吐きそうになる。
眩暈で上体がふらりと揺れる。
けれど彼女はどしんと足を踏みしめて、その場に強くとどまった。
まだだ。
まだだ。
倒れるのは今じゃない。
魔導師が倒れるとしたら、全てが終わったその後だ。
「ふぅぅぅぅぅぅ~~~~~~~~~~~~~~~…」
大きく息を吐いて、心を落ち着ける。
そして…そのお陰で彼女は、隣にいたサフィナの様子がおかしい事に気が付いた。
「…どうしたんでふか?」
「なにか…へんだったの」
サフィナの返事は要領を得ず、ただ彼女が少し怯えた様子に見える。
「何が変だったんでふか?」
「向こうにいた、相手の、今炎の魔術を使ったひと…」
「へん…変でふか?」
こくこくこく、と幾度も頷くサフィナ。
「まほうの唱えと起こりが別のところにあったの」
「!? 本当でふか!?」
呪文を唱えるためには魔力が必要だ。
魔術を唱える際には自らが魔力を励起させ、放出し、呪文の糧として用いる。
これが『起こり』である。
そして呪文を詠唱することでその魔力を魔術へと変換させる。
これが『唱え』である。
己の魔力そのものを魔術に還るのか、或いはその魔力を糧に精霊に頼むのか、もしくは神捧げることで奇跡の力を己の前に現出せしめるのか、術師によって魔力の使い方はさまざまではあるが、基本その流れは変わらない。
ゆえに通常は『起こり』と『唱え』は同じ場所…即ち術者から発生しなければならなく、その例外はない。
「魔力供給者と呪文詠唱者が別ってことでふか…?」
ネッカの問いにサフィナは首を傾げ、その後ふるふると振った。
「わからない。わからない…けど…」
そして、松明に照らされながらなお青い顔で西の闇を見つめた。
「いやな、よかんがする」
× × ×
戦場から1ニューロ(約1.5km)ほど南西に離れた畑地の一角。
遠く北西から戦の喧騒と鬨の声が小さく響いてくる。
城の灯火もここには届かず、ただ月明かりと星明りのみが辺りを照らす闇の中だ。
…と、その闇の一角に異変が起きた。
地面がぼこぼこと音を立て、盛り上がり、そこからずぼ、と腕が生えてきたのだる。
一見するとB級ホラー映画の冒頭かなにかのようにも見えなくもないが、周囲が墓場ではなく畑のためなんとも牧歌的な空気になってしまうのは否めない。
地面から生えた腕は、しばらく何かを探る様にわさわさと動いていたが、やがて一度引っ込んで、その後地面がどっと盛り上がるとその全身が現れた。
月明かりの下ゆえわかりにくいがその肌の色は褐色…そう、キャスの旧友にして現クラスク村の住人、ハーフの
「ふう……!」
地面の上に這い出し、一息ついて大きく背を逸らし伸びをした彼女は、己が湧いて出た穴の方へ向き直るとそこに手を伸ばす。
すると地面の下から新たなゾンビ…もとい手がにょっきりと生え、何かを探る様にわきわきと蠢いた。
その手を取って引き上げるギス。
引き上げられたのは…村の親衛隊長、そして彼女の旧友キャスである。
だが…かつて王都を荒らしまわっていた二人…それも片方は今やこの村の村長を守るべき親衛隊長なのだが…
その二人が一体、戦場から遠く離れたこの場所で何をしているのだろうか。
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