第306話 兵隊長ワッフ

はらはら、はらはらと城壁の上をうろちょろするサフィナ。

クラスク達を無事城の外に出すため、己の夫が囮を引き受けて絶賛敵に囲まれているまっ最中なのだ。

それは落ち着かないのが当然と言えるだろう。


「サフィナさん、落ち着いてくださいでふ! ネッカは呪文の準備がありまふから…っ!」

「…わかってる、だいじょうぶ」


ネッカに言われてようやく立ち止まり、己の頬を二度ほどぺちぺちと叩いて気を落ち着けるサフィナ。

そして煌々と松明が焚かれている城壁の上でじいと城の西の闇を見つめる。

その背後で小さく深呼吸をするネッカ。


どきどきする。

どぎまぎする。

落ち着かないのは自分の方だ。


ネッカは己の体内で跳ねまわり脈動し破裂しそうな心臓を無理矢理抑え込んだ。


数十人、数百人の命がかかるような重責を、彼女はその日初めて背負った。

緊張するなという方が無理な話である。


だが弱音を吐くことはできない。

そして逃げることも。


現在この村でその役目を担うことができるのは自分だけ。

替えが利かない自分だけなのだ。



ネッカは目を閉じ、己を掻き抱くようにして震えを無理矢理止めた。。



なにより大事なこと…それは己が村長クラスクの所有物モノであること。

彼の装備モノである以上、だらしない真似は決して許されはしないのだ。



「えと…魔力、あつまってきた…! おっきいの、くる…!」

はどこでふか?!」

「まっすぐ! 右下! ワッフーのとこ!」

我が命に従い展じて開けファイク・ブセラ・フヴァウェス・ユゥーク・エドヴェス! 『喚壁式・弐エムル・カムズヴェスリ』 …〈石壁創成イヴェルク・デ・カム〉!!」


サフィナの叫びと同時に最速で呪文を詠唱し、視界と射線を確保するためどんと大きく地面を蹴って北の城壁の端へと己の身を叩きつけ、痛みを強引に抑え込んで眼下を視認し杖を振るう。


彼女の周囲に飛び跳ねた青白い文字のような光が杖に沿って城壁の下へと注がれて…

次の瞬間、堀の脇の地面からどんと石の壁が勢いよく生えた。


石壁の厚みは2アングフ(約5cm)、高さは10フース(約3m)、幅は10ウィールブ(約9m)と横に長い。

それは群がる敵と最前線で戦い他のオーク達を庇いながら斧を振るうワッフのちょうど真横に生えて、彼を襲わんとしていたゴブリンやオークどもを真下から跳ね上げた。


一匹のゴブリンなどはちょうど股ぐらの間から生えた石壁の一撃を股間にもろに喰らい、苦悶の絶叫を上げながら壁の向こうへと転がり落ちる。


突然のことで一瞬何が起こったのかわからず呆気にとられるワッフ。

だが同時に巨大な爆発音が壁の向こうから響いたことで、直観的に事情を察する。


これはだ。

自分の村のが自分達を守るために唱えたに違いない、と。


突如生えた巨大な石壁…その向こうには壁により隔てられ分断されたオーク兵や取り巻きのゴブリンやコボルトどもがいた。

そこに…その石壁を起点に、巨大な蜷局とぐろを撒いた蛇が如き炎の渦が巻き起こる。



かつてこの村を襲わんとした災厄…〈炎の大蜷局キェミュート・アリンヴ〉と呼ばれる広範囲の攻撃魔術である。



その炎は着弾地点から広範囲に、幾条もの弧を描く炎の渦として広がってゆく。

巻き込まれた地底の軍団の兵士どもは阿鼻叫喚を上げながら次々に焼け焦げ、のたうち回り、やがてその殆どが黒い消し炭となって動かなくなった。


一方ワッフ率いるオーク達。

炎による攻撃の大半は石の壁によって防がれたけれど、その呪文の炎が弧を描く軌跡がゆえに、幾条かの炎が石壁を超えて真横から襲い、幾人かのオークが大やけどを負った。

彼らは慌ててすぐ脇の堀へと自ら飛び込み己に纏わりついた炎を鎮火する。


(ワッフー! 聞こえる!?)

「サフィナ! 来テルダカ!? 戦場ハ危ナイダ! ドコイルダ!」


目をひん剥いて仰天したワッフが慌てて左右を見回すが妻の姿はない。


(ちがうの。お城の壁の上から呪文のお話してるの)

「ナンダソウダベカ…ソレナラ安心…ッテ城壁ノ上モ危ナイダヨ!?」

(わかってるの。それより聞いてほしいの! ?)

「押ス…ダカ?!」

(うん! 急いで! お願い! …できる?)


それはなんともオーク殺しの台詞であった。

力仕事で「できる?」などと聞かれて無理と答えるオークなどいるはずがない。

しかもそれが女からの、それも妻からの頼みとなれば猶更である。


「オ前ラァ! コノ壁押スダァ!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


突然生えた石の壁、真横から襲って来た炎。

なにがなにやらわからぬままに、だが隊長の大喝に即座に身体が呼応し、肩から叩きつけるようにその壁にぶち当たり、勢いに任せ押しまくる。


みし、という音と共に壁がきしみ、ぐらぐらと揺れた後ゆっくりと傾き向こう側へと倒れてゆく。

それと同時に向こう側でなにやら大きな叫びや悲鳴が聞こえ、ワッフとその部下達の手に何やら嫌な感触が伝わって来た。


みちり、ぶちゅり。

巨大な石壁に何かの肉が押しつぶされる音。


先程の爆発により壁の向こうの相手はほとんど焼け焦げてしまったが、呪文の範囲外にいた連中がすぐににじり寄って壁に取り付いていたのである。


あと少し遅れていたなら、逆に向こう側から壁が倒され押しつぶされていたのは自分達だったかもしれない。

ワッフの配下のオークどもはぞっと背筋を凍らせた。


「上見ルダァ!」


だがワッフは部下達のような感想を抱くよりも先に危険を察知して大声で叫ぶ。

壁が向こう側に倒れる瞬間、仲間の身体を足場に跳躍、倒れ来る石壁を蹴って踏み越え、そのままワッフ達の頭上を奪ったゴブリンがいたのだ。


その数三体。

かつて遭遇した、訓練された熟練のゴブリン達の同類と考えて間違いなさそうだ。


三体の内一体は跳躍した勢いで堀を飛び越え、そのまま城壁の壁面へ着地(?)すると、そのままするすると壁を登ってゆく。

距離的にそちらに届かなそうだった二人はそのまま宙空からクラスク村のオークどもめがけて襲い掛かって来た。


「ミンナ下ガルダ!」


どんと部下どもを突き押すようにして標的を己に絞らせるワッフ。

だがゴブリンどもにとっては都合がいい。


熟練とはいえ盗賊である。

この人数相手では逃げ出すことはできてもまともに戦って勝ち目は薄い。

ならば少ない攻撃機会に狙うべきは当然相手の指揮官であるべきだ。

彼らは巨大な魔猪すら倒す猛毒の短剣をそれぞれ三本、計六本ワッフ目がけて投擲し…



…そして、その全てがワッフの肌に



「!?」


一瞬何が起きたわからず混乱する盗賊ゴブリンども。

ワッフは今回鎖鎧を着ており、さらに他のオークどもと異なりその鎖の上に縫い付けた板金片を幾つも下げている。

鎖鎧よりだいぶ重く、また板金鎧プレートメイルほど堅固ではないが、かなり防御力の高い鎧だ。


だがゴブリンどもただ漫然と投擲したわけではない。

その全てを相手の急所…鎧の隙間や継ぎ目を狙って投げた。

投げたはずだった。


だがその内の二本は素早く片手で振り回す斧によって彼の頭上で薙ぎ払われ、内二本は素早く体を斜めにして鎧で受けられた。

これはワッフの見事な回避技術であり、驚嘆しながらも納得せざるを得ない。


だが残り二本。

残り二本は確かに動きの少ない首の隙間に突き刺さったように見えたのだが…


ぶうん。


短刀を打ち払うべく払われた両刃斧ブロードアクスが、手首の返しだけで反対方向へと振るわれる。

ワッフが宙空で身動きの取れぬゴブリンどもを斧で薙ぎ払わんとしているのだ。


だがゴブリン達は素早くお互いの位置を視界の端で確認すると、空中で素早く体の向きを変え、己の両脚を互いに打ち付けて、空中で各々相手を足場にすることで左右に散開した。


…しようとした。


べこちん!

何か乾いた音がした。


ワッフは手首を捻りながら己の斧を相手に向けて垂直ではなく水平に向きを替えて放っっていた。

いわば斧で平手打ちを喰らわせたような格好である。


斧の脇をすり抜け地上に転がりそのまま戦場から脱出しようとしていたゴブリンは、突然相手のが変わったことに対応できずそれをモロに喰らう。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ、オオオオオオオオオオオッ!」


そしてワッフは片手で操っていた斧を途中で両手に持ち直し、叩きつけた勢いそのまま、まるで野球選手がボールを撃ち返すかのように、そのゴブリンをぶうんと吹き飛ばし、逆方向…即ち城壁の方へと跳躍したゴブリンへと角度を変えて叩きつけた。


「「ギャン!」」


宙空で相方のヘッドバッドをもろにくらったゴブリンが、二匹まとめて城壁へとカエルのように叩きつけられ、そのまま堀との隙間へとずるずる落下した。






背後の部下達から歓声が巻き起こる。

もはやただの怪力頼みではない…

ワッフの戦士としての技量は…相当に上がっているようだった。






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