第309話 それぞれの思惑

「あれ…狼じゃない?」

「魔物…いやまさかな…」

「でっけぇー…!」


たまたま戦に巻き込まれ収容施設へと避難している旅人や商人達が、戦いの趨勢を気にしながらある者は神に祈り、またある者は両足を抱えうずくまっている。

そんな中、好奇心の強い者達がひょっこりと施設から顔を出し、人通りが減り時折兵士や伝令たちが走り抜ける、普段かまびすしい街の通りを眺めていた。

普段よりずっと閑散とした、だが異様に殺気立った街並みを。



そんな彼らが…それを見た。



狼である。

大きな大きな狼である。


見た者はその異様な姿に一瞬魔物かと疑ったけれど、断言することまではできぬ。

なにせこの辺りの肉食獣の多くは駆逐されており、そもそも通常の狼を見た者自体そう多くはない。

しかもそれが魔物となれば目撃者などほとんど皆無と言っていいだろう。


なんせ腕の立つ冒険者やオークのような戦闘種族でもなくば、魔物と遭遇して生き延びられる事の方が珍しいのからだ。


ゆえに彼らはその狼…コルキが魔物であるかまでは判別がつかなかった。

けれどそれが肉食の獣であることは見て取れたし、人里近くに出没する彼らがいつ魔物に変じてもおかしくない、と言う事は知っていた。

幼い頃より大人から散々言い聞かされてきたからだ。


その狼…コルキは低く、低く、唸り声を上げている。

森の村から連れ出され、城に収容されたコルキが、牙を剥き出しにして城壁の向こうを睨みながら威嚇している。


尻尾を雄々しくぴんと天に向け、その瞳は敵意に満ち満ちて、だが決して血走らせ狂気に侵されてはいない。

これまた通常の魔物にはあり得ない状態なのだが、事情を知らぬ見物人たちにはそれもわからない。


「…何かあるの? コルキ」


そんな狼の元へと向かう娘が一人。

この村の村長夫人、ミエである。


彼女が隣に来ても、その背を撫でてもその狼は襲い掛かりも食い殺しもしない。

それどころか少し甘えた声を上げて彼女の身体にその顔を擦り付けた。


見物していた旅人たちが目を瞠る。

いや旅人だけではない。

こちらの村に越してきて日の浅い者達も同様であろう。


「旦那様? 旦那様になにかあるの?」

「がう」


まるで意思でも通じ合わせているかのような一人と一匹。

戦場の中、城攻めされているその城の内側で…その光景は、見る者に不可思議な荘厳さを抱かせた。



まるで獣を従わせる森の女神、イリミのようであると。



「行きたいのね?」

「がう」

「そう…勝手に食べちゃ駄目よ?」

「がう!」


村長夫人は彼が引き摺っていた鎖と杭をその狼の首輪の隙間に差し込んであげた。


魔狼コルキはそのままたしたしたしと城壁の方へと歩いてゆくと、城壁内部の階段へと続く扉の前でお座りをしてその扉をカリカリと引っ掻く。


「どうしt…うわぁ!」


内部から開けた衛兵が驚きのあまり階段にへたり込むが、一応エモニモから事情を伝えられているらしく、なんとか落ち着きを取り戻す。


「あー…上行きたいのか?」

「がう!」


自分が横に立っていてはその巨体では通り抜けられまい。

察した衛兵が扉の外に出ると、コルキは階段をとっとっと…と駆け登って行った。


しばらくして城壁の上の方でちょっとした騒ぎが起きる。

だがすぐにそれは止んで…そして、再び戦場の喧音と怒号とが壁の上に戻り、一層の激しさを増した。



×        ×        ×



無言のまま、押し黙り、闇の中を駆ける。

小さく肯き合ったクラスクとラオクィクは、後に続く者どもと共に畑の畝を疾走しながら城の南から南西、そして西方面へと線状を大きく迂回しながら疾走していた。


実は方向的にも距離的にも、彼らが通っていた場所はキャスやシャミル達一行がイェーヴフと落ち合った場所にほど近い。

だが彼らがすれ違うことは決してないだろう。

近いのは距離だけで、互いの時間はだいぶずれているからだ。


キャス達がこの地で落ち合い、西の多島丘陵エルグファヴォレジファートへと向かったのは今より小半時も前である。

クラスク達がその辺りを通過する自分には、とっくに馬に乗って丘を登っている最中のはずだ。


「ラオ! 止まレ!」

「ッ!!」


突如闇をつんざくかのようなクラスクの烈声が飛び、同時に皆が急制動をかける。


闇を引き裂いて飛来してきたが、クラスクの目の前の地面に突き刺さり、ぶわん、と土砂を巻き上げた。


「これは…」

「手斧…いえ、これは…」


闇の中から声がする。

そう、それは確かに斧だった。

投擲された斧だった。

投擲されたと言う事は手斧ハンドアクスとして用いられたのだろう。


だが…それにしては些か大きい。

いや大きすぎる。


それはむしろ小さな戦斧バトルアクスだった。

ドワーフ族が用いるような大きさの戦斧バトルアクスであった。


もしこれを投擲武器として用いる者がいたとしたら…

それは巨人族か、もしくはそれに匹敵する圧倒的膂力りょりょくの持ち主、と言う事になる。


「ヤッパリ俺ァ運ガイイ…!」


闇の中から響く声。

威圧的で、高圧的で、己を絶対と信じている野太い声。


闇の中のっそりとクラスク達の前に現れたのは…



「…久しいな、族長」

「アア。会イタカッタゼェ…ヨォ…! ハハハハハハハハ!!」



かつて彼らの村を支配していた絶対的支配者、ウッケ・ハヴシであった。



ウッケ・ハヴシはその巨体から見下ろすようにクラスクを睨みつける。

その背後にはオーク共が十数匹。

ただ…彼らが地底の紋章を刻んだ例の黒い鎧を身に着けていないことにクラスクはすぐに気づいた。


「昼間ハモット手下ガイタヨウニ見エタガ」

「連中ハ城攻メニ向カウトヨ。俺ガ別ノ用ガアルッツッタラ他ノ連中モ連レテッチマッタ」


ふん、とつまらなそうに吐き捨てるウッケ・ハヴシ。


「…お前ガそれを許すノカ。変わっダナ」

「ドウセ連中モアノ城モ全部俺ノモンニナル。ドッチガ先カノ話デシカネエ」


そして傲岸に笑い、牙が如き歯を剥き出しにした。


「ナラ俺ノヤリタイ事ガ最優先ダ! 貴様ヲ倒ス! 叩キ潰ス! ソシテ全テヲ奪ウ! 蹂躙スル! ソノタメニ今日マデ野ニ下リテタンダ! 我慢シテタンダ! ダガ今日マデ! ソレモ今日マデダ!! ハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァ!!!」


顔面に刻み込まれた三日月型の傷が青白い月光に照らされ不気味に歪む。

狂気すら孕んだその哄笑は、だが唐突に消えた。


「ウッケ・ハヴシガ挑ム! 現族長クラスク! テメエニダ! 頂上決闘ニクリックス・ファイクダ!! 太陽ノ代ワリニ月の光ノ下デダ! マサカ族長様ガ否トハ言ワネエヨナア!!」


先程の斧とは異なる、巨大な大斧グレートアクスをクラスクに向けて突きつける。

背後で囃し立てるオークどもはこの辺りとは異なる場所で打ち倒して従えた連中だろうか。


目の前の斧をじいと眺めながら…クラスクは、小さくため息をついてその巨体のオークを見上げる。

クラスクだとて以前よりさらに巨躯となっているというのに、それでもなお前族長ウッケ・ハヴシの巨体には叶わないのだ。


「二つ、二つ確認すル事があル。一つ、お前さっき運ガイイっつっタナ。ありゃあ嘘ダロウ」

「アン?」

「お前は俺がここを通ル事を読んデタハズダ。違うカ」

「…違わネエ」


クラスクの問いにその厚い唇をぐにゃりと歪め、肯定する。


そう、ウッケ・ハヴシは知っていた。

クラスクが狡猾な男であることを。

そして人を纏める才があることも。


城外から挑発されれば戦闘しか能がない愚かなオーク達は憤るかもしれない。

だがそれをクラスクが鎮められないはずがない。


だからもしそれでも兵を出してきたのなら…それは挑発に乗せられたからではない。

乗せられたふりをして耳目を集め陽動として用いたはずだ。


ならば…本命は城の逆側、南方面から出てくるはずだ。

ウッケ・ハヴシはそこまで読んでこの辺りで待ち伏せていたのである。

それはクラスクの人となりを知っているウッケ・ハヴシでなくば辿りつけぬ結論であった。


ある種クラスクに対する信頼と言ってもいいだろう。


「二つ目。お前仮に族長に返り咲いたトシテ、ドウヤッテあの城落トす気ダ」

「ソリャアオ前…」


ぬたり、と不気味に、そして傲岸に笑ったウッケ・ハヴシは…


クラスクの前に突き出した斧をゆっくりを頭上に掲げてこう告げた。




「テメエノ生首ブラ下ゲテ…降伏勧告スルンダヨ…コウナリタクナカッタラナア…ッテヨォ!」





そして、無慈悲に振り下ろす。

クラスクの頭上に…確実な死が降り注いだ。





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