第285話 村長と粘土細工
「……………………」
ぼんやりと。
ただぼんやりと。
ネッカは村の光景を眺めながら歩いていた。
蹌踉している、と言ってもいいかもしれない。
村人は皆せわしなく動いている。
働いている。
祭りの終わり。
そこからの急ピッチでの城壁造り。
それに合わせた村内の移築や引っ越し。
皆何かが間近に迫っていることを察していた。
半年以上前からこの村に住んでいる者にとっては村への襲撃も記憶に新しい。
あの時もオーク達は全力で村人を守り切った。
だから今度もきっとそうなのだろう。
ならば今度は自分達もできる範囲で協力しなければ。
そんな空気が村内には自然醸成されていた。
戦が迫っている…そんな空気を感じているというのに、この村の村人には悲壮感がない。
忙しく働くことでそれを忘れようとしている、というのも勿論あるのだろうけれど、それ以上の理由にネッカは心当たりがあった。
クラスクである。
あの大柄のオークが村の中の様々な場所に出没し、村人達と言葉を交わし、或いは村の重鎮たちと相談し、方々の仕事を手伝っては気付けば別の場所で働いている。
その姿を見ていると自分達ももっと頑張ろうという気になってくるのだ。
ネッカにはその気持ちがよくわかった。
幼い頃からの想いが、それをネッカに自然と納得させた。
彼は、英雄だ。
ネッカはミエや村人から彼の様々な話を、噂を拾い集めて来た。
当たり前のようなオーク族の村で、妻を見初めて愛し合い結ばれた。
その後その妻への想いからオーク族の風習の歪みに気づき、改革を志した。
妻であるミエと協力しながら村の改革を推し進め、それを邪魔するかつての族長を一騎打ちの末打ち倒し、自ら族長の座に就いた。
その後彼らの真実を知らぬ国から討伐のため騎士団が派遣されるもそれを見事撃退。
彼に敗れたハーフエルフの騎士隊長は村の様子を見て考えを改め彼に協力することになる。
そして遂にオークだけでなく困窮している他種族の者にすら情をかけるようになり、貧困の村を救いそこに己の村を設立。
襲い来る
その後は自分が見て来たとおりである。
これを英雄と言わずしてなんと言うのだろうか。
ネッカはぼーっとした表情で村の外を眺める。
そこには慌ただしい喧騒の中オーク達が働いていて、汗水垂らしながら急ピッチで城壁を積み上げている。
こんなオーク族など、つい先日まで想像だにしていなかった。
そもそもドワーフ族とオーク族は仇敵同士である。
ばったり出くわしただけで互いに殺し合いになってもおかしくない仲なのだ。
だというのにこの村のオーク達は自分にすら気さくに話しかけてくれる。
それはクラスクの、そして彼の妻…第一夫人であるミエの薫陶が大きいからなのだろう。
こんな…こんな物語の中の、それも今から盛り上がりそうな佳境の場面に…なぜ自分なんかがいるのだろう。
居合わせているのだろう。
ネッカはついそんなことを考えてしまう。
彼女のその自信のなさ、自己評価の低さは一体どこからきているのだろうか。
魔導を極め、この世界の全ての深奥を解き明かさんと欲し魔導学院の門戸を叩く者は少なくないが、実際に卒業し魔導師を名乗ることができる者はほんの一握りである。
座学、研究発表、実技、そして学費…魔導師に圧し掛かる数多くの難問、重圧、そして経済的負担。
その全てをクリアできる知力と胆力と財力を持つ者は非常に少ないのだ。
彼女はその全てをクリアし、いま魔導師を名乗っている。
さらには土を泥に、そして泥を石に変える魔術系統…変成術。
その中でも物質の組成を恒久的に変質させる術はかなり高度なものであり、それらを幾つも唱えることができる彼女は見た目の印象より相当高い実力を有しているはずだ。
実際ここしばらくは村の外で石材を作りつつ、村に戻ればその魔術を使いオーク達に補助魔術をかけて築城を助けたりしており、その有能さは疑いなく、むしろ働き過ぎだとミエに注意されてこうして休暇を与えられている始末なのだ。
普通に考えて自己評価が低くなるはずがないのである。
「あ……」
村の中心部を過ぎたネッカは、いつの間にか石畳の中にいた。
石材が予想以上に大量に持ち込まれたことにより村の内装も弄る事となり、このあたりに石の建造物作られる予定なのだ。
まあ城壁の方が優先のためとりあえず土台に石を敷き詰め幾つか壁を作ったのみで半ば放置されているのだけれど。
「誰ダ」
唐突にどこからか声が響き、ネッカはびくりと身を竦ませる。
だがその妙によく通り、不思議と安心する声がクラスクのものだと彼女はすぐに気づき、ほっと胸を撫で下ろした。
「ド、ドワーフのネッカでふ…」
「ソウカ。俺に用カ?」
「は、はいでふ」
そう言えばぼんやりしすぎて忘れていたけれど、アーリになにやらクラスクの決済が必要な書類を持たされていたことを思い出す。
「こっちダ」
声のする方に向かうと、そこは石を積み上げられた壁で囲まれた部屋だった。
ただ天井がないため上にはまるまる空が見えていたけれど。
「し、失礼しまふ…」
ネッカがおずおずと部屋(?)に入ると、クラスクが一人で何かを真剣にいじくり回している。
いつもせわしなく働いている彼としては些か珍しい姿である。
「それは…?」
「ン。石運びの最中見つけタ。ぐねぐねする土ダ」
「ははあ…粘土でふね」
「ネンド。成程」
どうやら仕事中に見つけた粘土を弄って色々作っていたらしい。
ネッカは幼い頃に自分を似たようなことをやっていたこととを思い出し、少し微笑ましくなった。
「あれ、でもその形は…?」
クラスクが作っているその粘土細工を見ていたネッカは、それが何かの形に似ていることに気づく。
いや、何かの形と言うより…何かのつくりだ。
それは…
「!! …この村の完成予想図でふか?!」
「そうダ」
クラスクが作っていたのは…城壁が完成した前提のこの村の未来予想図であった。
まあ素人が作ったものなのでディティールがまだまだ甘いけれど、それでも横から見てわかる程度にはしっかり作り込まれている。
「こういうの作る楽シイ。ちょっと時間あるたびに作っテル」
「へえ…そうなんでふか」
戦いと酒と肉と女性以外にオーク族にこうした嗜好があることが珍しく、ネッカは興味深げにそれを眺める。
言うなればクラスクの趣味、だろうか。
「勿論楽しいダケジャナイ。城壁デきルトこの村デデキルコトスゴク増えル」
「できること…でふか?」
「そうダ。戦イの選択肢ダ。それを検討すルノニモ使えル」
「成程でふー…」
単なるモノづくりの趣味ではなく、しっかり実益も考えている。
クラスクのそうしたところにネッカはただただ感心した。
少し捏ねては手を止めて、上から覗き込んでは腕を組み。
首を捻りながら指先でこね回し、村を囲う城壁を作り上げてゆく。
クラスクのそんな姿を…ネッカは飽きもせず眺めていた。
「…俺に用があルンジャなかっタカ」
「あ、そうだったでふ!」
手を止めたクラスクに言われ要件を思い出し、アーリからもらった書類を見せる。
クラスクは書類を眺め、ネッカを見て、再び書類に目を通し、そのまま決済のサインをした。
「終わっタ」
「あ、ありがとうございまふ!」
ネッカは知らず彼の事をじっと熱い視線で見つめている己に気づき、真っ赤になって動転し、書類を抱えると慌てて退散した。
「あ、アーリさんアーリさん! 書類決済してもらってきたでふ」
「お、ちょうどいいところに来たにゃ」
この世界には招き猫はいないけれど、ミエが見たらきっとそれを彷彿とさせる手招きで、アーリがネッカを呼びつける。
戦が始まる前に…どうしても確認して起きた事があったからだ。
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