第286話 交換条件

ふんふんふん…と鼻を鳴らしながら、アーリはネッカが持ち帰った書類を見分している。


「問題ないニャ。助かったニャン」

「いえどうせ今日は暇だったでふし…でもそれなんの書類でふか?」

「ちょっとした買い出しリストの予算の許可ニャ」


アーリが書類の中から一枚の紙…猪皮紙を抜き出してネッカに渡す。


「これは…魔具でふね。ということは向かう先は魔導学院でふか…?!」

「近場の街のニャからだいぶ規模は小さいけどニャ。この前ネッカが言ってた魔術触媒なんかもそろえておくニャ」

「た、助かりまふ!」


ぺこんとお辞儀するネッカのつむじを見ながら、アーリが少しだけ目を細める。


「ここで折り入ってちょっと相談なんニャけど…

「相談…でふか?」

「相談というより依頼かニャー」

「い、依頼でふか…?!」


少しだけ身構えるネッカ。


「これニャ。こっちのリストを見て欲しいニャ」

「これは…!」


アーリに渡されたのはのリストである。

巻物とは羊皮紙などを糊付けで継ぎ足し横に長く伸ばしたものだ。

普段はそれをくるくる巻いて紐で留めておくため巻物と呼ばれる。

原始的な本の一種と言えるだろう。


ただここで彼女が渡されたものはただの巻物ではない。

である。


魔具に於ける巻物は羊皮紙に呪文が記されたものである。

魔導術の場合は圧縮された秘紋が記されており、通常の呪文と同様詠唱により解凍の手順を踏むことでその術の効果を発現させることができる。


一度解凍し発現させてしまった秘紋は巻物から消え失せてしまうため基本使い切りとなるが、それでもその日唱えるはずだった呪文を翌日以降に書き残しておくことができるわけで、非常に有用かつ便利な効果と言えるだろう。


≪魔具作成≫はレベルに応じて『ポーション』や『杖』など選択式で様々な種類の魔具を作成できるようになるスキルだが、その初期レベルで獲得できる標準効果がこの≪魔具作成(巻物)≫であることからもわかる通り、魔具作成の道を選んだ魔導師にとっては基本中の基本と言っていい魔具である。


さらに魔導師にとってこの巻物は大変重要な役割を担っている。


神聖魔術であれば信仰心を高めることでより高い奇跡を起こせるようになる。

精霊魔術ならより精霊たちと交信し絆を深めることで彼らからさらなる協力を取り付けることができる。

単純に言えばより多くの呪文が使えるようになるわけだ。


だが…魔導術に関してはそうした恩典はない。

神の力を代弁したり精霊の力を借りる他の魔術系統と異なり、全て自分の力と知識に依った魔導術は、覚醒によって新たな呪文を獲得する…のような都合のいい展開が起こりようがないのである。


彼らが魔術を獲得するためには自分自身で新たな呪文を研究開発するか、他の魔導師から魔術を教えてもらうか、或いは…巻物に記された秘紋を自らの魔導書に書き写した時だけなのだ。


そう、巻物に記された所持する魔導書に書き移すことで、彼らは自ら使える呪文のレパートリーを増やすことが可能となるのである。


したがって理屈の上では金さえあれば魔導師は己の魔導書を幾らでも充実させることが可能だ。

ただ…彼らの目的はこの世界の全てを魔術式として解き明かすことであり、そのための研究や開発にひたすら金と時間がかかる。

巻物を買いそろえる余裕があれば研究費用に投じたくなるのが魔導師という生き物なのだ。



…少し話が逸れたが、要はアーリがネッカに渡したリストはそうした多くの呪文が記された巻物だった。

それもネッカの魔導書になく、冒険者となった魔導師などが好んで修得するような呪文群である。


「どう思うニャ?」

「その…戦いとかの役に立ちそうでふ」

「欲しくないかニャ?」

「それはまあ、あったらすごい便利でふね…」


思ったままを素直に口にするネッカ。


「それ買ってきてネッカに渡してもいいニャ」

「なるほど。それはすごい便利でh……わふっ!?」


途中まで素で反応した後我に返って珍妙な声を上げる。

なにせそこに記されている呪文全部を学院で買おうとしたら支払う金貨が四桁は超えるだろう。

冒険者などに身を投じ一攫千金でもしないかぎり一介の魔導師に手が出る金額ではない。


「わふ…わふん? これ、これをでふか?」

「ニャ。そのかわりこの先の戦いの手伝いをしてほしいニャ」

「……………?」


アーリの台詞にネッカは少し首を捻った。

だってそれはの話ではないか。


工房を作ってもらって、お給金をもらって、今でも当たり前のように村の手伝いをしている。

それはこの先も変わらぬはずだ。

アーリの言っていることはことではないか。


「すでにやってることじゃニャいかって顔してるニャ? それは違うニャ」


アーリがまるでネッカの頭の中を覗いたかのようなセリフを吐く。


「ネッカは村の手伝いをしてるわけじゃないニャ。クラスクさんやミエに頼まれたことをただこなしてるだけニャ。ネッカは…この村を守ろうと行動したことが今まであったかニャ?」

「……………………………………っ!!」


ぐうの音も、出なかった。


そう。

そうだ。


ネッカはこれまでこの村のために働いたことはあってもこの村のためにことはなかったのだ。

なんとなく村のために尽くしたような気分になっていたけれど、それはミエやクラスクの頼みを聞いていたら結果的にそうなっていただけのことに過ぎぬ。

そこにネッカの意思はほとんど介在していなかったのだ。


アーリの言葉でそのことに気づき、ネッカは愕然とする。


「次にこの村を襲うのは『戦争』ニャ」


ネッカのそんな様子を眺めながらアーリが淡々と告げる。


「負ければ村が全滅するかもしれニャい重大局面ニャ。この村に残る連中は戦士だろうと職人だろうと農業従事者だろうとみんな命を賭けることになるニャ」


命がけ…それはつまり、ということだ。

ネッカの背中に悪寒が走り抜け、冷や汗がどっと噴き出て来た。


「籠城戦になることも予想されるニャ。村に魔導師がいてくれれば心強い事この上ないニャ。ただ…」


いったん言葉を切って、アーリがネッカを静かに見つめる。


「戦場に覚悟のニャイ奴がいても、周りの足を引っ張るだけニャ。この村に残るニャら…そこんところをよく考えるといいニャ」


ネッカの顔面は蒼白となっていた。

今まで自分のそんな命の危機が近づいているという実感すらなかったのである。


「ここで逃げてもアーリは別に臆病者とは思わないニャ。あと巻物はネッカがこの村に残る残らないに関わらず買っておくニャ。ネッカがいらなくっても買い手はいるだろうしニャ」


身じろぎ一つしないネッカの肩を、アーリがぽむと叩く。

それだけで彼女は…まるでお化けにでも遭遇したかのようにびくりと身を竦ませた。






「ミエが呼んでたニャ。今日最後の石材づくりって聞いてるニャ。それが終わったら…自分のについてよく考えてみるといいニャ」






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