第236話 森の散歩
「ごちそうさまでふー…」
「はーい、おそまつさまですー!」
幸せそうな顔でおなかを撫でながらネッカが椅子に深く背もたれる。
ミエが嬉しそうに返事をして空になった皿を片付け始めた。
ここはクラスク家。
今日はこちらの村で用事があるためネカターエル…ここ数日ですっかりネッカとして定着しつつあったが…を呼び寄せ、結果外村でお昼が食べられなかった彼女のためにミエが食事を用意した、というわけだ。
ちなみにクラスクも一緒だがキャスはこの場にいない。
午後に会合があるとはいえ未だ昼間と言うこともあり向こうの村で多忙に過ごしているようだ。
「ネッカさんは健啖家でいらっしゃいますねえ」
「ご、ごめんなさいでふお呼ばれしたのに私ばっかり食べちゃって…」
「いえいえいいんですよー。美味しそうに食べてくれるのが一番嬉しいですから」
手をひらひらさせながら朗らかに笑うミエの背後で、、ベビーベッドの中の赤子達が泣き始める。
どうやら空腹を訴えているらしい。
「ミエ、片づけは俺がやル。お前はクルケヴ達を頼ム」
「はいはーい。それじゃあお願いしますね旦那様! あらら、クルケヴあなたもうつかまり立ちできるの?! まだ半年も経ってないわよね…?」
当たり前のように片づけをクラスクが受け持ち、ミエが子供たちのところに向かう。
ベビーベッドのヘリを掴んで自力で立ち上がり、そのまま柵をよじ登ろうとしている息子を抱え上げたミエは、胸をはだけて乳をやりはじめた。
そして残った片手で娘二人を優しくあやす。
つかまり立ちとハイハイは時期的に重なることが多いが、生後半年に満たずにやりはじめるのは人間族ならまずありえない速さだろう。
流石にオーク族というべきか、幼い内から結構な力である。
一方でクラスクは当たり前のように台所…といってもすぐ横にあるのだが…に皿を運び、片付け、汲み置きの水で綺麗に洗い始める。
ネッカはそんな二人の様子をぽかんとした表情で眺めていた。
オーク族が女性蔑視の価値観を持っているのは周知ではあるが、人間族や他の
魔族が常に存在し戦場と戦闘が人生にとって不可分な世界に於いてはどうしても戦う才覚が重要となる。
そうした場合往々にして肉体的に勝る男性の方が強い権威や権力を持つ事が多い。
ゆえに程度の差こそあるものの、大概の種族でも男性の発言力の方が強いことが多い。
けれどこの村…特にこの夫婦に於いては自然に男が家事を分担している。
どちらかというとミエの方が進んで夫を立てて上に置いているようだが、それでもクラスクのミエに対する尊敬や敬意のようなものが言動や態度から滲み出ていた。
「あ、わ、私も手伝いまふっ!」
ハッと我に返って慌てて台所に立つネッカ。
クラスクの横に並んだ彼女は、その距離感にどぎまぎしながらも彼から皿を受け取り洗いをはじめた。
「…そういえばネッカさん、ドワーフは穴掘りとか得意なんでしたっけ」
満腹になったクルケヴを寝かしつけ、ミックとピリックの口に乳房を含ませながらミエが尋ねる。
「あ、はいでふ。ドワーフがよく就く職業はは戦士か職人か鍛冶屋、それに炭鉱夫でふから」
「へぇー…じゃあネッカさんもご経験が?」
「はいでふ。ドワーフなら誰でも一通りは経験してると思いまふ」
「まあ!」
ミエは乳を飲む娘らをあやしあんがら思案を巡らせた。
お披露目はどうせみんなが集まった後にやるのだし、それなら以前から気になっていたあれを確認しておきたいな、と。
せっかく専門家が来たのだし。
「なら…ちょっと森の方にお付き合い願えません?」
「はい…?」
× × ×
「はわ! はわわわわわわわわっ!」
「しっかりつかまっテイロ」
「はわっ! はひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
青毛の愛馬
その後ろにはネッカが跨っていて、慣れぬ乗馬に怯えながらクラスクにぎゅっとしがみついていた。
「ごめんなさいねー。でもコルキの上はもっと揺れると思いますからー」
「ばうばう!」
成馬と同じかそれ以上の大きさの彼は、とっとっと…といった歩
法で馬と足並みを揃えている。
そしてミエはそんなコルキの上に乗っていた。
どうにも彼女はコルキを便利な移動手段として認識したようで、コルキの方もまたミエを乗せるのが嬉しくてたまらないようであった。
「緑が濃いですねえ」
「そうダナ」
どこかのんびりした空気でクラスクとミエがほのぼのと会話している。
もっともクラスクに必死にしがみついているネッカは生きた心地がしていないようだが。
「もう秋も深いっていうのに紅葉とか全然しないんですねえ…残念。まあこの気候じゃ当たり前か…」
「コウヨウ? なんダそれハ」
「あ、いえなんでもないんです」
「??」
植物は光合成によって養分を得る。
年中日照時間が長くて暖かいなら常に大きな葉を生やして延々と増え続ければいい。
これが常緑広葉樹だ。
一方で寒冷地に生えた植物はその戦略が使えない。
葉の面積が大きくなれば冷気が当たる面積がその分増加し、結果葉っぱが凍結してしまうのだ。
そうなるとせっかく光合成をしてもそれを本体である幹に送れない。
養分は葉から幹へ水を介して送られるからだ。
そこで寒い地方の木々は葉を丸めて針のようにして表面積を減らし凍結を防ぎ、だが光合成を少しでも増やすためその針をたくさん増やすように進化した。
これが常緑針葉樹である。
だが温帯から亜熱帯にかけて…冬は葉が凍るほどに寒く、だが夏は大量の燦々とした陽光による豊かな光合成が見込める地域はどうだろうか。
春から夏にかけては大きな葉を一杯生やして光合成したい。だが冬になればそれは凍結のリスクを増大させてしまう。
そうした地域で植物の取った戦略が…すなわち『落葉』である。
大きな葉を生やして春から夏にかけてたっぷり光合成した後は、葉を残して維持するより捨てた方が損益が少なくて済む。
そうして生まれたのがいわゆる落葉広葉樹なのだ。
ミエがイメージする森というのは秋から冬にかけて赤や黄色、茶色などの種々の葉が森を彩りなんとも絶佳となるが、それは彼女の故郷の気候風土によるところが大きい。
この世界のこの地方は冬は比較的寒いが夏は暑いと言うほどではなく、また内陸なので空気も乾燥しやすい。
植生としては常緑針葉樹林と常緑広葉樹が支配的で、落葉広葉樹は殆ど見られない。
ミエにとって未だ見慣れぬ森の姿なのだ。
「あ、着きました。ここです!」
ミエがしゅたっと降り立ったそこは…森の中の大きな岩場で、人の入れる大きさの横穴が空いている。
いわゆる洞窟、というやつだ。
「ちょっと待っててくださいね。灯りを着けますから…」
ミエが小袋からほくちを取り出して着火の準備をする。
「あ、あの、灯りなら、用意できまふ…」
「ふぇ?」
ネッカが小箱を取り出し、蓋を開けると…そこから淡い光が溢れ出た。
「一人くらいならこれで光源としては十分なはずでふ…私は≪暗視≫があるのでこれはミエ様が」
「ええ?! これ魔法ですか?!」
「は、はいでふ」
「へえー、すごいですねえ。わ、ほんとだ! ちゃんと明るい!」
ミエはその小箱を片手に洞窟の中を覗き込みちらちらと照らしてみる。
小箱に入っているせいで一方向しか照らせないが、だいたい懐中電灯と同じような感覚で使えそうだ。
「べんり! 魔法ってすごいですねえ!」
「ウン! 魔法スゴイ! ネッカスゴイ!」
「あうう、そんなに褒められるようなことじゃないでふけど…」
紅くなってもじもじと恥じらうが、別に嫌というわけでもないらしい。
少なくとも以前のように嫌がるとか拒絶するといったことはなくなったようだ。
「じゃあ行きましょうか」
「ここに入ルのも久しぶりダナ」
「そうですねー」
和やかに会話しながら洞窟へと入っていく二人。
おずおずとその後に続くネッカ。
三人は暗闇の中奥へと進み…そして、突き当りに辿り着いた。
そこには…壁面に生える、白いキノコがあった。
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