第234話 不可侵条約の罠

荷馬車がゆっくりと西門を抜け村を出てゆく。

ただし一見隊商のように見えるがそうではない。


御者台に乗っているのはオークだし、馬に乗って随伴しているのもオークである。

最近この村が評判になってきたとはいえ、これではどんな街に行っても商売の許可など下りないだろう。

というか過剰に警戒されまずもって街に入ることが困難に違いない。

オークの戦闘力は本人たちが自認している以上に他種族には脅威に思われているのだから。


「それじゃあお願いしますねー」


ミエの言葉にオーク達が妙に恐縮した様子でぺこぺこと頭を下げている。

彼らが草原に消えるまで、ミエはずっとずっと笑顔で手を振っていた。


「いやしかしあれじゃな。お主やっぱり怖いのう。引くわ」

「ミエの悪知恵は商人も裸足で逃げ出すニャー」

「えええええええ! なんですかいきなり! ちょっとひどくないです!?」


シャミルにドン引かれてアーリに嬉しくない誉め言葉をかけられミエが困惑する。

先程の荷馬車…その行き先についての話である。


先だって村を出た馬車は前述の通り近隣の街に向かったものではない。

に向かっているのだ。


なぜそんなところに向かっているのかと言えば救援物資を届けるためだ。

なぜ救援物資が必要かというと言えば彼らが困窮しているからだ。



そしてなぜ彼らがそのような窮状にあるかと言えば…

回り回ってミエのせいでもあるのだ。



この村が設立したオーク護衛隊は、近隣のオーク達からの襲撃を一切受けなくなるという圧倒的な安全性へのアドバンテージによってたちまち大人気となった。

当然需要が逼迫ひっぱくし価格が高騰こうとう、ゲルダの業務は多忙を極め会合のたびにミエに愚痴をこぼすようになった。


すべてミエが以前に予想した通りの展開である。

…まあゲルダの文句だけは思った以上に聞いて耳にタコができたようだったけれど、他に適任がいなかったのでその都度頑張って説得したようだ。


こうなると出てくるのが護衛隊に対する増員の突き上げである。

資金なら幾らでも出資するから護衛隊を増員してくれ、と商人達から懇願され、護衛隊の規模が少しずつ拡充されてゆく。


するとどうなるだろう。

護衛隊が護る行商を他部族のオークどもは襲えない。

当然護衛隊が増えれば襲撃機会がその分減る。

それがある一定の閾値しきいちを超えると…襲撃のために村を出ても全く戦果のない、いわゆる『空振り』の回数が一気に増えて、彼らの生活は窮乏の一途をたどることになるのだ。


本来であればオーク族は邪悪で身勝手な思考をするため、同族との同盟だろうと自分達が気に喰わないとなれば平気で破棄してしまう。

だが今回は些か勝手が違った。

クラスクが成し遂げた武勲が大きすぎたためだ。


近隣の部族を恐れおののかせてきた中森シヴリク・デキクル部族の前族長ウッケ・ハヴシを頂上決闘ニクリックス・ファイクにて打倒したその実力…それは彼らには届き得ぬ力だった。


通常どこかのオーク族から強大な力を持ったオークが出現すると周囲の部族はそれに従わざるを得ない。

かつてウッケ・ハヴシが近隣の部族を巻き込んで人間の街を襲撃しようとしたことなどがその典型である。


だがウッケ・ハヴシは傍若無人でこそあるもののその価値観自体は他の部族のそれと近しいものだった。

力で奪い、蹂躙し、全てを奪いつくせというオーク族本来の主義に則った考えである。


一方クラスクが掲げる主義主張は彼らには理解もし難ければ受け入れもし難いものであった。


女を攫わない。

女を束縛や拘束せず自由にする。

彼女たちの価値を認め対等に接する。


もしそんな言い分を受け入れれば女たちを手に入れる方法は失われ、手元にいる女どもさえ皆いなくなってしまうではないか。

それでは村が滅んでしまう。


しかしクラスクは他部族に己の持論を強制をするようなことはなく、代わりに北原ヴェクルグ・ブクオヴの族長代理たるゲヴィクルを通して不可侵条約を持ち掛けてきた。


ウッケ・ハヴシを打ち倒したクラスクには刃向かいたくない、けれど彼の言い分には従いたくないという他部族の族長達はこれ幸いとばかりにこぞってそれに乗っかった。

こっちはこっちで今まで通りやるからそっちは好きにやれと突っぱねたわけだ。



だが…それゆえにこの不可侵条約は破れない。



その条約を一方的に破棄するということは中森シヴリク・デキクル部族とクラスクに対し喧嘩を売るのと同義であり、彼らに自分達に対して戦を仕掛ける口実を与える事に等しいからだ。


そう、彼らは自ら飛び乗ったその条約の縛りによって、増員されたオーク護衛隊を攻撃できぬ。

どんどん勢力を拡大し、自分達の縄張りの中で悠々と獲物を追い(彼らにはそう見えている)、掠め取ってゆく中森シヴリク・デキクルのオークども指を咥えて見ているしかない。



そして飢えで苦しんだ彼らは同様に苦境に立たされた近隣の部族を頼ることもできず…結句、唯一被害を受けてないクラスク村のクラスク族長を頼る他なくなってしまったのだ。



そうした苦境を相談され…クラスクはすぐに動いた。

困っている同族を放ってはおけないと彼らに食料や酒…いわゆる支援物資を送ろうとしたのである。


貸し付けるわけではない。

向こうに返す当てがないのだから完全に人道支援である。


村の代表たる会合の参加者の多くはそれに難色を示す。

特にキャスやエモニモあたりが顕著であった。


クラスク村に関してはオーク族と他種族が奇跡的に平和裏に共存できる程に先進的ではあるけれど、旧態依然たる他部族に於いてはそうではない。

オーク族以外の種族は皆敵であり劣等種だと、女性は奪い攫い略奪し蹂躙するものであると未だに考えている連中ではないか。


そんな連中が干上がるならそれこそ他種族の為であり、わざわざ助ける義理などない、というのがその主張である。


人間社会に長くいた彼女たちからすれば当然の言い分と言えるだろう。

他の者達もおおむね同意見であった。

なんならラオクィクやワッフ、リーパグといったオーク達ですらそれに近しい考えだったほどだ。



…だがミエはクラスクの意見に反対しなかった。

なにせ彼女は半年前からこうなることを予見し、首を長くして待っていたのだから。



「ミエ、本気で言っているのか。未だ古い因習に囚われたままの彼らをなぜ支援する」

「あら、じゃあ彼らがそののっていつですか?」

「む…?」


キャスの言葉にミエがさらりと返す。

彼らが自発的に今のやり方を変えられる日など果たして来るのだろうか、と。



「それに…無条件で援けるのが問題なのであって、要はにすればいいんですよね?」

「「「うん…?」」」


ミエはとりあえず他の皆を説得し、まず支援物資を渡すからという名目で日取りをずらしながら他部族の族長と重鎮たち村に招待した。

『外のクラスク村』である。


彼らは一様に村の様子に驚愕する。


その発展した様子。

当たり前のように行き交う他種族ども。

そしてなにより色とりどりの女、女、女…その女どもの美しさときたら!


彼らはクラスクのやり口に対して無視を決め込み、調べようとも知ろうともしなかった。

だからいざ彼がその主張によって成し遂げたものを見せつけられると一様に口を開け脱帽した。


他種族の連中がのさばり大きな顔をしているのが気に喰わぬ、という者もいたけれど、少なくとも食事に困らぬことと女が美しいことに関しては皆一様に認めざるを得なかったのだ。


そうして彼らの意識に自分達のこれまでのに対する疑義を植え付けた後、クラスクは他部族の族長達に支援する条件を言い渡す。


一つ、今後支援を望む者は村の若者に受け取りに来させること。

一つ、支援物資を用意する間、彼らに十日間共通語を学んでもらうこと。

一つ、その間こちらの村で過ごす際には彼らにはこちらの村の掟に従ってもらうこと。


といったものだった。


当然他部族の長どもはあまりいい顔をしなかったが、村の窮状は如何ともしがたい。

なんならこれだけ繁栄しているクラスク達が武力で制圧に来られても抵抗できないだろう程に困窮していたのだ。


自分達を攻め滅ぼさず支援してくれるというなら十二分に慈悲深い申し出だし、なによりクラスクはこの期に及んでなお彼らの村の方針それ自体に口出ししなかった。

自分の村にやって来た若者たちに、自分の村にいる間はこちらの掟に従え、と言っているだけなのである。


それならばオーク族の風習の範疇としても何ら問題はない。

他部族の族長達はその申し出を喜んで受け入れることにした


こうして…各部族の若者たちがクラスク村へとやって来るようになった。


彼らは暴力を振るったり女を勝手に襲ったりと言った事が禁じられ、オーク族として多少の窮屈を感じるのと引き換えに、村で様々な外の文化を知り、好奇心旺盛にそれを吸収していった。


特に己と同じ年齢のこの村の若きオーク達が皆美しい娘を娶っていることについて殊更に興味を惹かれたようだ。


共通語に関しては最初はミエとクラスク、その後は村の四大世話好きの内の二人、アヴィルタやカムゥなどが受け持ち、簡単なものから彼らに教えてゆく。

そして真面目に授業を受けた彼らに報酬としてお小遣い…即ち『金銭』を渡した。


言葉を覚え、貨幣経済を学び、略奪以外の物の価値を知る。


それはそのまま彼らが受け取るを知る、ということに繋がり、クラスクに対する強い畏敬や憧憬へと取って変わる。


そして彼らが貨幣によって購った品や食料、或いは彼らが己の村に持ち帰った噂話によって、少しずつクラスクの人物像と彼の理想、そして彼が成し遂げたが他部族に流布し、浸透してゆく。



こうして…近隣の各部族のオーク達は、若い者から次々とクラスクに傾倒していった。



やがてそうした若手の中に、クラスク村で働きたいと希望する者が現れる。

実入りのない襲撃に空しく出かけるより、クラスク村に働きに出ることで村の口減らしつつ金銭とやらを稼いで食料を買って持ち帰った方がマシではないかと考えたのだ。


ミエはそれを喜んで受け入れて…彼らに共通語の試験を課しつつ合格者から順に護衛隊へと組み入れた。

なにせ護衛隊は目下商人達に増員増員と叫ばれており、募れば彼らから幾らでも出資金を集めることができる状態なのだ。


言うなれば商人たちが自衛のために出資した金を使って、他部族のオーク達…即ち…を雇うようにしたわけだ。

なにせそれによって襲撃するオーク自体が実際に減っているわけで、出資の効果自体は間違いなく、そして確実に出ていることになるのである。



「まさに見事なマッチポンプと言わんざるを得んのう。感心しきりじゃ」

「流石本家本元のマッチポンプは格が違ったニャ」

「うう…確かに今回に関しては原義的な意味でも反論できませんけどー…」





そう、今やクラスク村は己の部族だけでなく、他部族の若きオーク達が集う場所になりつつあった。





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