第233話 村の一日
ほへー…
そんな書き文字がいかにも似合いそうな呆けた顔で、ネカターエルは村の雑踏の中にいた。
御者も護衛も皆オークの一風変わった荷馬車とすれ違う。
オークのうちの半分ほどが妙に名残惜しそうな感じで周囲をキョロキョロ見回しているのが些か妙だった。
森のクラスク村から初めてこちらに訪れたのだろうか。
だが彼女はそんな連中などまるで目に入らず、ひたすらに己を包む喧騒に浸っている。
行き交う人々。
呼び交う掛け声。
飛び交う幾つもの言語。
それは村と呼ぶには随分と活気のある人海であった。
村の市場、そのちょうどお昼時。
未だに喧騒に慣れぬ彼女はその渦巻く活気に目を回しそうになる。
きょろきょろとあたりを見回すネカターエル。
簡易な屋台や辻売りが軒を連ね、威勢のいい呼び声で客引きをしている。
村の者、旅人たちが店の前を彷徨いながら本日の昼食を物色し、次の村で売る商品の仕入れをしているのだろうか、旅の商人らしき男が店と値切り交渉をしていた。
漂う美味しそうな匂い、
ふらふらと匂いに釣られうつろな瞳でふらふらと彷徨したネカターエルがはっと我を取り戻した時、幾本もの肉串がその手にあった。
「あううっ! またやってしまったでふ…!」
最近の彼女は朝に荷車に乗せられて村から離れた岩場まで向かい、魔導術で石材を切り出してはそれを積んだ荷車に乗ってまた村へと戻る毎日である。
荷車を引く役はオーク達で、クラスク以外のオークに慣れていなかった彼女は最初盛大に怖がっていたけれど、今はそれもだいぶ慣れた。
仕事は午前中に終わり、それでいて賃金も割といい。
問題はその給金を得るのが村に戻って来た時、ということだ。
ちょうどお昼時、少々…と呼んでは些か謙遜の度が過ぎる程度には健啖家の彼女は、手にした金をすぐに村の屋台で費やしてしまうのである。
「うう…罠でふ…これは罠でふぅぅ…もぐもぐ…うう…でも美味しいでふ…」
己の意志の弱さを恨めしく思いつつ、美味しい肉を食べて幸福に浸る。
とりあえず食事が美味しければそれで割と幸せなネカターエルであった。
「混んできテルナ。相席イイカ」
「きゃうんっ!? ど、どどどどうぞでふっ!」
あわあわあわと目を回してなんとか返事をする。
市場での食事で困るのは客に対してテーブルが少なくどうしても相席が多くなることだ。
無論テーブルの発注などはアーリやシャミルが最速で行っているのだが、いかんせん村の急速な発展に公共設備への投資が追い付いていないのである。
ネカターエルは内気な上に人見知りであり、ましてや相手がオークともなればそに苦手意識が上乗せされる。
まさに倍率ドンさらに倍といった構図だ。
オークの話す共通語には独特の訛りがあり、それを聞くだけでネカターエルは種族的な警戒感と小心者ゆえの恐怖心から反応が極端に、そしてどもりがちになってしまう。
相手からすれば怪しいことこの上ない。
「そんなに怯えんデモ取っテ喰いはしナイ。安心シロ」
…が、その相手は他のオーク達と違って妙に落ち着いた声で、それを聞いていると不思議と警戒心がほどけてゆく。
「あ…族長様!」
そのオークにしては訛りの少ない言葉におずおずと顔を上げると…机の向かいにいたのはクラスクであった。
ネカターエルははわわと恐縮しつつも、だが恐怖心は失せてなくなった。
「族長サマ、カ…少シ硬すぎなイか」
「はわっ!? おおおおお気に召しまさないでふかっ!?」
目をぐるぐるさせて混乱するネカターエル。
「お気に召さナイ。もっト砕けタ呼び方がイイ」
「ひうううううう!? じゃ、じゃあクラスクサマ…?」
なんとか別の呼び方を絞り出すネカターエル。
「お気に召さナイ。その呼び方も悪くナイガお前からハ違う呼び方ガイイ」
「ひううううううううううううう!?」
傍若無人にも聞こえる言い分に泣きそうになりながら必死に考える。
名前名前名前…呼び方呼び方呼び方…
かつて読んだ物語から何か…何か…
「…クラ様?」
がくん、と机の上に乗せた肘を滑ららせ、クラスクが目を丸くしながらネカターエルを見た。
「…その発想はなかっタ」
「すすすすいませんでふ! すぐ別の! 別の考えまふからっ!!」
「イヤそれデイイ」
クラスクは混乱してあわあわしているネカターエルを片手で制して腕を組み、推考するように幾度か頷く。
「クラサマ…うン悪くナイ」
「そ、そうですかぁ…よかったでふぅ…」
ほっとしながら食事を再開しようと大口を開け、その後うん? と疑問符を浮かべる。
(…あれ? ってことはこのあと私このひとのことクラ様って呼ぶんでふか?)
試しにぼそり、と小声で呟いてみる。
「クラさま…」
「なンダ」
そしてクラスクに反応されて耳先まで真っ赤になった。
「いいいいいいいいえ呼んでみただけ! 呼んでみただけでふっ!」
「そうカ」
クラスクはそれであっさり済ませたが、ネカターエルの方はそうはいかなかった。
(えええええええええ! な、なんか呼んでみただけとかっ、呼んでみただけとか! まるです、好きな人に懸想してる物語のヒロインみたいでふぅぅぅ…っ!?)
ネカターエルは幼い頃より物語に親しんでいたためか、そうしたお話に出てくる展開や情景に過剰に憧れるところがあった。
しかも今回は当の自分がその物語の登場人物になったかのようなものである。
少々舞い上がってしまうのもだから仕方のない事かもしれない。
「…フム」
そんな一人で盛り上がって一人で動転して一人であわあわしている表情豊かなドワーフを興味深げに眺めていたら…クラスクは何かを思いついたらしく目をしばたかせた。
「そうダ。俺の方もお前の呼び方変えル。ネカターエルは長イ」
「え? え?」
「通称…? アダ名…? 愛称…? まあ何デモイイ。ちょっと待っテロ」
「あ、あ、あああああ愛称ですか!?」
どっひゃーと驚いて目を回すネカターエル。
彼女はオーク族でありながらこんな村を作り上げたクラスクをまるで物語の登場人物…いやむしろ主人公のように感じており、そんな相手と自分が同じ扱いを受けることにおこがましさを感じてしまうようだ。
「ダメカ」
「あ、いえそのっ! わ、私みたいなダメダメな子が、そ、そんなこと望み過ぎって言うか過分っていうkあいたー!?」
言い訳しかけたところで机に身を乗り出したクラスクからデコピンされてひりひりする額を涙目で押さえる。
「お前がダメかドうかをお前が勝手に決めルナ」
「あ、あうう…」
そう言いながら…クラスクは背の低いネカターエルの頭に手を乗せ、軽く撫で上げる。
「お前のまじないスゴイ。村の役立っテル。もっと自分誇れ。お前はスゴイ奴ダ」
「は、は、はいぃ…ありがとうございまふ…」
敵対種族のはずのオーク族に撫でられてほわほわした気分になってしまうネカターエル。
そんな彼女の表情を眺めていたクラスクは…ふと、彼女のあだ名に思い至った。
「そうダ。ネカターエルダからネッカにすル」
「ネッカ…ネッカ…!」
数度口の中で繰り返し、ぱあああああ…と顔を綻ばせるネカターエル。
「今後トも宜しく頼む、ネッカ」
「ハ、ハイ! クラ様!」
こうして…彼女はまたひとつ村に溶け込んだのであった。
× × ×
とにかく目立たない。
もし彼に気づいた者がいたら、きっとそう感想を抱いたことだろう。
そしてしばらくして村の喧騒にすぐに忘却してしまっただろう。
それほどに彼は目立ったなかった。
こっそり歩いているわけでもなく、陰に隠れて歩いているわけでもない。
むしろ堂々と往来の中を歩いているにもかかわらず、道行く者達の目は皆彼を『その他大勢の一人』としか認識していない。
とにかく印象に残らず、そして影が薄い人物なのだ。
彼はクラスク村の往来を何食わぬ顔で歩き、やがてすっと角を折れて姿を消したけれど、それに気づくものは誰一人いなかった。
角を曲がった先…男は大きな建物の裏口の前に佇んでいた。
先程までとはどこか表情が違う。
それは表情のない表情というか…まるで能面のような顔だった。
男が無言で扉を二度ほどノックすると、中から扉が開き猫獣人の娘が顔を出す。
小声で何かを告げる男。
頷く猫獣人。
彼女はしばし扉の向こうへと姿を消し、やがて男に麻袋を渡した。
娘が手を離した途端男の手首ががくんと沈む。
結構な重さのようだ。
男は袋の中身を確認すると無言のまま頷き、それを懐に入れた。
…と、猫の獣人が先刻よりだいぶ小さい袋を男に向かって放って寄こす。
それを受け取った男が中身を確認して…瞳を輝かせた。
初めて見せた表情らしい表情である。
男は己を指差し、猫の獣人もまた彼を指差した。
ニヤリと笑った男は…片手を上げて挨拶するとそのまま
再びどこにでもいそうな陰の薄い男へと変じた彼は、先程もらった小袋から銀貨を一枚摘まみ指で宙に弾きながら…
さてどの店で腹を満たそうかと思案した。
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