第223話 腹ぺこドワーフ娘
「…………………………………」
たっぷりと、長い時間かけて彼女の腹が鳴って…
しばし硬直した後、うつむいたままみるみる顔を赤く染め上げるネカターエル。
「あらあら、まあまあ! おなかが減ってたんですね? すいませんすぐに用意しますから! 旦那様! その方…ネカターエルさんと仰るんですけど…と子供達を見ていて戴いてもよろしいですか?」
「わかっタ」
腕をまくりながらパタパタと隣の部屋に消えるミエ。
そして部屋には…子供たちとクラスク、そしてネカターエルだけが残った。
幸い赤ん坊達は皆すやすやと寝入ったようで、クラスクとネカターエルだけが静寂の中にいる。
オーク。
オークである。
危険、危険と脳内で警鐘が大音量で打ち鳴らされているのだが、自分の腹の虫退治のために食事を作りに行ったらしきミエという人間族の亭主というではないか。
それでは迂闊に失礼なことも言えまい。
というかそもそもオーク族が亭主というのはどういうことなのだろう。
彼らは他種族の娘を奴隷同然に扱って自分達の子を孕ませると教わっていたのだけれど。
でも…とにかく何か喋らないと。
黙ったままだと機嫌を損ねて首を刎ね飛ばされるかもしれない。
でも一体何を話せばいいのだろう。
オーク族が喜ぶ話題って…なに?
「イイ音ダッタ」
「お…と? でふ?」
何か返事しないと殺されるのでは、という強迫観念から反射的に言葉を返すネカターエル。
「腹ノ虫ノ音ダ」
「~~~~~~~~~~~~~っ!!」
言われて気づき真っ赤になってまた俯く。
「別に恥ずかしイ事ナイ。腹が減ルのは健康な証拠。飯食えル元気あルなら大丈夫ダ。安心シタ」
「あ……」
そのオークに言われて今更ながらに彼女は思い出す。
ミエは確か彼女の夫が自分を拾って運んできたと言っていた。
そして今目の前にいるオークの事を旦那様と呼んでいた。
ということはつまり…このオークが行き倒れていた自分を拾ってここまで運んできてくれた張本人なのだ。
「あ、あの、えと、そのぅ…」
「なんダ。はっきり言エ」
「ハハハハイごめんなさいでふっ! な、なんで私なんかを助けたんでふかっ!?」
その質問に眉を顰めたクラスクは、おもむろに腕を組み、ぐぐ、と首を傾げる。
「ソレハ…オーク族がドワーフ族を助けたタこトについテカ。それトモお前自身の価値の話カ」
「ど、どっちもでふ…」
「ドッチモ」
「わ、私なんててんで愚図でダメダメなんでふっ。いいとこなんて全然ないんでふっ! …だ、だからみんなに見捨てられて行き倒れてたんでふ! そ、そんな私なんかに助かる価値なんて…っ!」
言いかけた言葉を言い潰すように、クラスクが言葉を放った。
「お前ガ愚図カドうかをお前ガ勝手に決めルナ」
「~~~~~!?」
俯いていた顔をはっと上げた。
「俺にトッテお前ガ愚図カドうかは俺ガ決めル。俺まダお前知らナイ。今わかルのハお前がドワーフって事ト自分の評価低イコトダケ」
目の前にいたのはオークだった。
紛れもなくオークだった。
だがその言葉には他人から内気で小心者な己に真っ先に下ろされるはずの評価とは違っていて、彼女にはそれがとても新鮮に映った。
いや、より正確に言えば実に久しぶりだった、の方が正確かもしれないが。
だが…仮にこのオークが色眼鏡なく相手を判断するような珍しい(とても珍しい!)タイプのオークだったとしても、きっと自分の無能さを知れば幻滅するに違いない。
ネカターエルはそんな風に想い込んで再び俯いてしまう。
「あ、の…」
それでも、彼女の方から何か話しかけようとする程度には、クラスクに何か感じるものがあったらしい。
クラスクの《カリスマ(
「で、で、でも、それでもドワーフ族とオーク族でふ…えっと、ド、ドワーフ族を奴隷にするとも思えないでふし…」
オーク族と言えば異種族の女性を攫っては囲う悪習があることで有名だが、いかにオーク族でも宿敵であるドワーフ族を嫁にしようとは思うまい。
ならば倒れているドワーフに対して真っ先に行うべきことはまずとどめを刺すことであって、ますますもって己を助ける意味があるとは思えないのだ。
「お前倒れテタ。デモ生きテタ。ナラお前困っテタ。違うカ?」
「それは…その、えっと、はい。困ってたと思いまふけど…」
まあ正確に言えば意識がなかったのだから困っていられる状態ですらなかったのだけれど、状況的に困っていたと言わたら確かにその通りではある。
「困っテル奴イタラ助けルのに理由イルノカ?」
「……………!?」
何か信じられないものを見るような表情で、ネカターエルはクラスクを見つめた。
驚くべきことに、このオークはとてもまともな…いやむしろオーク族としては異常な、善意寄りの価値観を持っているようなのだ。
オークなのに人間族のような家に住んでいることといい、立派な調度といい、先刻の人間族と夫婦関係にあることといい、どうやらだいぶ理性的で文化的な人物らしい。
「アトハお前自分に全然価値ナイ言っタ。それ嘘」
「う、嘘って、そんなこと…」
ずい、とベッドに身を寄せて、クラスクが顔を近づける。
ネカターエルはびくりと身を竦ませて涙目で硬直した。
「うン。お前カワイイ」
「はうっ!?」
そして唐突に放り込まれた一言に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「か、かわ、かかかかかかかわっ!」
「仏頂面のドワーフ族なのに表情が豊カ。見テテ飽きナイ。内気で臆病なドワーフも面白イ。アー、なんテ言っタカナ。確かミエがこう…アー、ギャップモエ? …モエッテナンダ?」
後半の単語は意味がよくわからなかったけれど、とにかく自分の容姿を褒められたことはわかって、ネカターエルは真っ赤になって俯いた。
先刻と同じく目線を合わせず顔を下に向け…けれどその意味はまるで異なる。
そんな様子を見ながら…クラスクはうんうんと頷いた。
「恥ずかしがルドワーフも新鮮。恥じらイはイイナ。羞恥大事」
腕組みをしてもっともらしく頷くクラスク。
しかしミエは一体彼に何を教えたのだろうか。
「お食事お持ちしましたー…って旦那様、なにされてるんですか?!」
ミエが扉を開けて部屋に入ると、ベッドににじり寄っているクラスクと肩を窄め俯いているネカターエルが目に入った。
「話しテタ」
「なるほど」
だがここで嫉妬なりなんなりを一切持たぬのがなんともミエらしく、けれどそのせいで波乱の起きようがない。
「はい、ネカターエルさん。お口にあえばいいですけど…」
ミエが用意したのはパンとバター、パンにつけるための蜂蜜、野菜サラダ、根菜と豚肉のスープである。
ほかほかと湯気の立つスープからは
たちまち腹を鳴らし無言ながらもその食事を切望したネカターエルは、己の腹の音に真っ赤になりながらトレイを受け取り、貪るように食べ始める。
「おー、素晴らしい食べっぷりですね。おかわりもありますから…ってもう!?」
「おいひい! おいひいれふ!」
瞬く間に食べ尽くされ空になった皿に目を丸くしたミエは、だがすぐにおかわりを一式持って来る。
だがそれもまたすぐに食べ尽くされ、サラダを除く一式がすぐに追加された。
台所と幾往復もするミエと、彼女の食べっぷりを感心しながら眺めるクラスク。
そんな周りの状況など目にも入らず、夢中で食事を平らげるネカターエル。
「おーおー…すげー喰いっぷりだな」
「おー…なんでもはいる。すごい」
だがようやく腹に少しものが溜まって、ひと心地ついたあたりで…彼女は今更ながらに己の状況に気が付いた。
いつの間にやらベッドの周りには幾人もの女性達がいて、彼女を見つめていたのだ。
「わふ…!?」
びくん、と身を竦ませた彼女は…そこで最初からいたクラスクと目が合った。
「イイ食べっぷりダッタ。健啖家ダナ」
「わ、わっふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~っ!!」
「狼カ」
そして彼の言葉に…その日何度目かに顔面を爆発させ、真っ赤になってベッドの上で壁際まで退いた。
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