第222話 眠り姫の目覚め
ぼんやりと、夢うつつで。
そのドワーフの娘はゆっくりと目を覚ました。
「んにゅ…?」
妙にふかふかの草叢である。
その上青臭さも全然ない。
「この草むら…ぽっかぽかでふぅ~…」
「草むらじゃありませんよ、ベッドです」
「このベッド…ぽっかぽか……」
…べっど?
その単語を聞いて、彼女の意識は急速に覚醒した。
「
半泣きで飛び起きて、のっけから謝罪の言葉が飛び出る。
その
「まあ、それは大変」
「ううう…雑用でもなんでもしまふから許して、
「その発音だと『どうか断罪してください』になっちゃいますけど…」
「ああああごめんなさいでふごめんなさいでふっ!!」
ぶんぶんぶんと幾度も頭を下げて謝る娘。
なんとも腰の低い…というか気弱そうな娘である。
「大丈夫ですよ。ここは宿屋じゃありません。私の家ですから」
「わたしの…?」
ドワーフ娘はぱちくりと目をしばたたかせて周囲を見渡した。
こじんまりとした部屋は窓からの採光で明るく照らされており、その中央に自分が今まで眠っていた、5人は寝られそうな大きなベッドがある。
とはいえこの世界の庶民は家族全員で同じベッドに寝ることが多かったので、これ自体は取り立てておかしなものではないのだが。
そして…ベッドの隣に座っているのは人間族の女性である。
優しそうな雰囲気と溢れんばかりの母乳を持って…もとい母性を以て赤子に乳をあげている。
双子の娘のようだ。
背後に柵が付いたような小さなベッドは赤子用のものだろうか。
何かぐずるような声が聞こえる。
もう一人…つまり三つ子を出産したということだろうか。
もしそうなのだとしたら相当頑丈な母体である。
一方ミエはミエで飛び起きたその娘をじぃと見つめた。
背丈は130cmほどだろうか。
オーク族や人間族よりは小さいがシャミルやトニアのようなノーム族、それに
だがそれでいて肩幅は人間族に近い程度あるため、太い…というほどではないがだいぶがっしりした印象を受ける。
肌は薄い褐色で、瞳は黒、髪の色は銀髪がかったグレーで、眉が困ったように寄せられており、口調と合わせてだいぶ内気そうに見える。
ドワーフ…とクラスクは言っていた。
ファンタジー世界では定番の異種族の一つである。
だがその手の事に疎いミエはそれだけではピンと来ない。
いわゆる定番のファンタジー世界でなくとも、童話の白雪姫と七人の小人に出てきたあの小人達がいわゆるドワーフ小人なのだが、ミエはそれも知らぬ。
なので…彼女の弱気な態度がドワーフとしては相当奇妙かつ特異であることも、残念ながら気付くことができなかった。
「はじめましてドワーフさん。私はミエ。ここは私の家です。この子たちは私の子供のミックとピリック。向こうのベビーベッドで寝てるのが息子のクルケヴよ。かわいいでしょ?」
んふー、と得意そうな笑顔で自己紹介するミエ。
そのなんとも幸せそうな様子に当てられて、そのドワーフの娘もまたはにかみながら笑顔を浮かべる。
「それで…あなたのお名前は?」
「え? 『名前』…でふか?」
ミエの質問に対し、なぜか妙に構える娘。
「言いたくないんです?」
「あ、いえそういうことではなくてでふね…」
ん、んーと喉の調子を確かめるドワーフの娘。
不思議そうに眉根を寄せるミエ。
すううううう…と大きく息を吸うドワーフの娘。
これまた首を傾げるミエ。
「えーっと、私はネカターエル・ラルブ・クスウェーク・ドゥークブ・カルク・カノタール・ラルブ・ナークス・フメトゥクルナクブ・ドワーリン・ラルブ・ムェドゥス・トーリン・ラルブ・ドゥークブディス・モアーリン・ラルブ・デルクソーラエス・ゴーリン・ラルブ・ズワーウス・フーリン・ラルブ・ネラル・モーリン・ラルブ・ネラル・ガーリン・ディオクブクサブ・ネラル・トーリン・ブサン=テザークザーブと申しまふぅ」
「なっがー!?」
「はううって!? す、すいませんすいませんごめんなさいでふごめんなさいでふっ!」
がびこんと衝撃を受けたミエに驚いて、彼女が抱いていた娘達が泣き始める。
慌てて二人をあやしながら、ミエがその…長い名前の娘に微笑んだ。
「ごめんなさいね。驚かせちゃって。その…あまり慣れない長さだったから驚いちゃって」
「あ、あのっ! こちらこそすいませんでふっっ! ド、ドワーフ族は『名前』って聞かれるとフルネームで答えるのがしきたりなものふから…なので普段は『通称』で呼び合いまふ。先に行っておくべきだったでふ…本当にダメでごめんなさいでふ…」
しょんぼりとうなだれるドワーフの…名前の長い娘。
「こちらこそごめんなさい。ドワーフ族の風習をよく知らなかったの。御立派な名前ですねえ。その…じゃあ貴女の通称は?」
「ええっと、私の部分だけなら“ネカターエル”になりまふ。ほ、他に名前をもらっていないでふからっ」
「? ……? ええっとともかく初めまして。歓迎しますね、ネカターエルさん!」
ミエは彼女の言わんとすることがよくわからなかったけれど、ともあれ呼びやすい言い方ができたのは有難かったので通称で呼ぶことにした。
「あ、あの、わ、私、確か行き倒れて…」
「はい。貴女が倒れているのを旦那様が見つけて、ここまで運んできたんです。なのでこうして我が家で介抱していた次第でして」
「そ、そうだったんでふか! な、何から何まで申し訳ないでふ…っ!!」
ぺこぺこと誤るその姿は自ら命を粗末にする者の態度には思えない。
少なくとも生きる気力はあるようで、ミエはほっと息を吐く。
…と、その時奥のベビーベッドから大きな鳴き声がした。
「まあクルケヴったらどうしたの? ちょっと待っててくださいねー」
慣れた口調ですっかり寝入った娘二人をそっとベビーベッドに降ろしながら、泣いていた赤ん坊を抱き上げる。
腕が二本乳房が二つの種族では同時に世話できるのは二人が限度だ。
ネカターエルは大変そうだなあと感心したようにミエの様子を見つめて…
…抱きあげられたその子に違和感を覚えた。
まず人間族ではない。
肌の色が緑だし身体も少し大きめだ。
つまり彼女の夫は人間族ではない事になる。
だがあんな特徴の人型生物が近隣の友好種族にいただろうか。
ノームや
エルフについてはあまり詳しくは知らないがおそらく違うし
巨人の血を引いていればもっと大きくなるはずだし、他にあんな特徴の
……オーク族くらいしか、いない。
ネカターエルは混乱した。
己の理性が導き出した答えを、けれど己の感情が受け付けない。
彼女の笑顔、幸せそうな様子、立派な内装の家、自分を助けてくれたという彼女の夫の善意…それらが彼女の把握しているオーク族の風習とあまりにも乖離していて、理解はできても納得ができなかったのだ。
なによりオーク族とドワーフ族は仇敵であり天敵である。
オーク族に対する種族レベルでの本能的な警戒心や敵愾心、それに憎悪がドワーフ族には備わっていた。
ただしネカターエルはドワーフ族としては相当に臆病で、オーク族に対して抱く感情は警戒心の他はどちからと言えば怯えや恐怖に近い。
「ご、ごめんなさいでふっ!」
「ふぇっ? え? な、なにがです?」
なのでミエの息子を見た彼女は思わずびくりとその身を竦ませ、その後自分を助けてくれた相手に失礼だと慌てて謝罪する。
どうにもやたらと謝り癖がついているようだ。
「目が覚めタカ」
そしてネカターエルがぶうんと大ぶりに頭を下げたのと同時に、ベッドの横の扉が開いてクラスクが入って来た。
頭を下げたまま硬直するネカターエル。
ベッドから上体を起こしたまま奇妙なポーズを取っている客人に怪訝そうに首を傾げるクラスク。
オーク。
オークだ。
オークだオークだオークだオークだオークだオークだオークだオークだオークだオークだオークだ!
身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険身の危険ー!!!!!!!!
全身だらだらと脂汗を掻いたネカターエルは、己の身を守るべく慌てて自分の荷物に手を伸ばそうとして…その手が空を掴む。
「あ、あれ…?」
ない。
枕元にない。
自分が大事に大事に大事に大事にしていた荷物が、どこにも見当たらない。
「ああ、荷物をお探しですか? それなら隣の部屋でシャミルさん…私の友人が調べ…あー預かってますけど」
そう告げながらミエは彼女が抱えていた荷物について追憶する。
何か雑多なゴミのようなものが入った小袋と旅のお供の木の杖、それにリュックに入った分厚い書物くらいだったはずだ。
書物と言っても何語で書かれているかはミエにはわからなかった。
共通語でもなければ北方語でもないし無論オーク語でもない、シャミルやミエに習っているエルフ語やノーム語とも違っていた。
消去法で考えるとドワーフ語の本だろうか。
以前シャミルから聞いた話だとこの世界にはまだ活版印刷がないそうだからあれだけ立派な装丁の書物なら相当高価なものなのだろう。
旅先にまで後生大事に持ち歩いてる事を考えるとよほど大切な本なのかもしれない。
「あのー、御入用でしたら持ってきましょうか…えーっと、ネカターエルさん?」
ネカターエルはミエの言葉を全く聞いていなかった。
オークが近くにいる。
危険。
なんとかしないと。
でも自分の身を守れる唯一の手段は既に相手の手に渡ってしまっている。
どうしようもない。
絶体絶命。
でもなんとかしないと…!
そんな思いがぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると頭の中で経めぐって、思考の袋小路に迷い込んでしまったのである。
そして真っ青な顔で硬直していた彼女は…
ぐううううううううううううううううううう……
…唐突に、そして盛大に腹を鳴らしたのだった。
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