第218話 まものコルキ
「でも…それっておかしくないですか? なんかこう…そんなものがあるならもっとこの世界の野生生物って魔物だらけになっちゃってるような…」
「そうじゃな。じゃから瘴気に取り憑ける相手には条件がある。神の加護を失った者、じゃ」
「神様の…加護?」
「うむ。獣たちの多くは神々が作り出したものじゃしの。ゆえに神の似姿たる
ミエとシャミルの会話に割って入れず暇になったサフィナがよじよじとゲルダによじ登ろうとする。
ゲルダがそれを摘まみ上げて肩に担いであげ、二人で両手を掲げた。
「「完成ー」」
「ええい真面目に話を聞かんかっ!」
「まあまあ。じゃあどうしたらその加護を失うんです?」
「…人の肉を喰ろうた時じゃ」
「あ…っ!!」
その瞬間…ミエの頭の中でパズルのピースがぴたりとはまった。
「
シャミルの話を、ミエは話半分に聞いていた。
それより前の言葉が、ミエの頭の中でぐるぐると駆け巡っていたからだ。
人の肉を食べた獣が魔物化する。
それは逆に言えば肉食獣や雑食の獣でなければ魔物化しない、といことでもある。
となれば当然肉食の獣を人は飼えない。
いつ魔物に変じるかわかったものではないからだ。
邪悪な獣を生み出さぬため肉食獣を飼い慣らせないのであれば、獣たちは人間…もとい
だから自衛のために肉食獣は見かけ次第駆逐することが望ましい、という結論になる。
だからこの世界の
オーク達が森の狼達も全滅させたのもそうした経験則があるからなのだろう。
ミエは以前からの疑問がようやく氷解した気がした。
なにせこの世界に来てから一度も見かけたことがなかったのだ。
犬と…そして猫。
彼女の世界ではペットとして当たり前のように飼われていた彼らを、一度たりとも、である。
かつてはそれをオーク族の習俗ゆえと納得させていた。
だが森の外に村を作り、オーク以外の種族…主に女性だが…を受け入れても、彼らがそうした動物たちを飼っている様子はなかった。
一度も見かけないはずである。
狼が飼い慣らされ家畜化したのが犬なのだから、狼が人と共存できなければそもそも歴史的に犬が発生する契機がない。
いくら考えてもこの世界の犬の呼び方が思い浮かばぬはずである。
そんな単語はこの世界に存在しなかったのだから。
そしてそれは猫も同様であろう。
とすると…幾度か聞いた『人間族は狩りが下手』という評価も、エルフ族に比べて…というだけでなく、犬や鷲などの獣の援けを借りて狩りができないことにも一因なのだろうか。
「…なんか色々と腑に落ちた気がします」
「よろしい。危機感を共有できたようで何よりじゃ」
ミエは息子をあやしながらコルキの前にしゃがみ込む。
「コルキ…お前危険な獣だったのねえ」
「わっふ?! わふわふ!(ふるふる」
ぶんぶんと首を振るコルキ。
人真似や人に慣れてるというよりもう明らかに人語を解している仕草に見える。
「なあミエ。仮にコルキの奴が悪い魔物だとしたらどーすんだ?」
「おー…どーすんだー?」
サフィナを担いだままゲルダが尋ね、サフィナがゲルダの髪を掴みながら真似っこする。
「そうですねえ。コルキは可愛いですし大切な家族ですけど…もしうちの子を食べちゃうような危ないわんちゃんだったら……」
目の前の巨大な狼の瞳をじっと見つめて、声音ひとつ変えずに、こう言った。
「かわいそうですが」
「きゃうんっ!?」
「ふにゃっ!?」
威圧もなく迫力もなく、ただ淡々と述べたその言葉。
だが彼女が一度やると決めたら断固としてそれをやり遂げる人物であると言うことを、この村に来た初日にコルキは骨身に染みて知っていた。
そして…これまたその事実を骨の髄までそれを知っている者がもう一人。
「ひゃわっ! ひゃわわわわわわわわわわんっ!!」
「ふにゃああああああああああああああああっ!?」
トラウマを刺激されたコルキとアーリが、まるで姉弟のように抱き合って震えあがり、そして…
「…何をしとるんじゃお主ら」
「しくしくしく……服従のポーズニャ……」
「くぅ~ん、くぅ~ん」
二匹の獣が…地面に転がり腹を見せてミエに服従を誓っていた。
「おーよしよし(なでなで」
「きゅうんきゅうん」
「ふにゃ…にゃあん…」
二匹…もとい一人と一匹の腹を撫でながら、ミエが不思議そうに首を捻る。
「シャミルさん。なんというかこう…さっき聞いた魔物とこの子、やっぱりイメージが合わないんですけど…」
「そうなんじゃよなあ…」
ミエにツッコまれ、シャミルが困ったように頭を掻く。
「この体躯、この稲妻跡、この知能…状況証拠的にはどう考えても魔狼のはずなんじゃが…わしにもこ奴が邪悪には見えん」
「シャミル殿、魔物が高い知性で我々を
エモニモの問いに、シャミルが首を振ってキャスの方へと視線を向けた。
「仮にそうであればエルフ族のキャスかサフィナが警鐘を鳴らず筈じゃ」
意見を求められたキャスは、小さくため息をついてかぶりを振った。
「申し訳ない。私も以前彼の顔の模様から魔狼を疑ったことがあったのだが、あまりにミエに懐いているのとその内面から無邪気さしか感じなかったもので、つい自分の気のせいかと…」
そしてキャスに視線を向けられたサフィナは、ゲルダの方の上でバンザイをした。
「おー…コルキ全然こわくない」
「わっふ! わふわふ!」
サフィナの言葉に合わせて腹を見せながらコルキが吠える。
まるで「そうそう! こわくないよ!」と主張しているかのようだ。
「…どういうことなんでしょう」
ミエの疑問に、だが誰も答えることができぬ。
「じぃ~~~………」
「…なんじゃ」
「あ、いえ、シャミルさんならこうなにかいい感じの説明を思いついてくれそうかな~って」
「いい感じとはなんじゃいい感じとは! そんななんでもかんでも思いつくか!」
ミエの調子の良さを大喝し、深くため息をついたシャミルは…
「…あくまでも仮説じゃからな」
「「「あるんかい」」」
皆にツッコまれつつも説明を始めた。
「わしらはこれまで魔物化による身体の強大化、知性の向上、そして性格の邪悪化と瘴気の獲得はすべて不可分と考えておった…が、もしやしたら違うのやもしれん」
「どういうことです?」
「獣が人を喰らうのは人を襲った時、襲われて返り討ちにした時、或いは倒れた人を飢えて喰ろうた時などじゃろうが…そうした状況であれば人に対する怒り、憎しみ、或いは侮蔑や軽蔑などのよからぬ感情を抱きやすいじゃろ? …知性があればの話じゃが」
シャミルは一度そこで言葉を切ってコルキの方に目を向ける。
コルキはミエの腹を撫でられ甘い声を上げながら、時折ちらりとこちらに目を向けて様子を窺っていた。
どこまで詳しく理解できているかはわからぬが、どうやらこちらの話の流れが気になっているようだ。
「つまり魔物化して知性を獲得すると同時に、その獣は己の内の
シャミルの言葉にキャスが反応し、顎に手を当てて呟く。
「ということは…悪に染まるのも瘴気を纏うのも後天的な…『経験と学習の結果』ということか?」
「うむ。この仮説ではな。つまり幼い内に何らかの理由で魔物化して、その上でその直後にしっかりと躾をされ、人を襲わぬよう教育すれば…理屈の上では人に害を為さぬ魔物ができ上がることになる。そうでなくばこやつの説明がつかん」
「わっふ!? わっふわふわふん!」
コルキの腹を指でつんつんとつつきながらシャミルが語り、コルキがくすぐったそうにじたじたと暴れる。
そんな彼の様子に頭痛でも感じたのか、額を押さえながらシャミルが最後の疑義を挟んだ。
「ただこの理屈で言うと…コルキはこの村に来た時点、ミエの家に連れてこられた時点で既に魔物化しておることになる。そんな幼い時期であれば喩え肉食獣であれ親の乳を飲んでおるはずじゃ。人の肉を喰うようなことが…」
「…それアーリだニャ」
「…なぬ?」
シャミルが提示した最大の疑問に…アーリがあっさりと解を与えた。
「アーリあの時コルキに尻尾齧られてこの村に逃げ込んだニャ。尻尾の先ちょっと欠けたニャ。今でもちょっと跡が残ってるニャ」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
アーリがぴょこんと立てた尻尾の前に、シャミルが崩れ落ちた。
全部、それで全部説明がついてしまう。
アーリの尻尾をかじって魔物化したコルキが、だが悪に染まる前に即ミエに即チョップを喰らって教育的指導を受け、人には決して逆らわぬことを骨身に叩きこまれた。
あの時点で魔物化していたのなら当然知性も上昇していたはずで、そうであればミエの教育的指導の効果は一層絶大だったはずである。
「そういうことかあああああああああああああ!」
シャミルが吠えるその背後で…
キャスとエモニモがなんとも渋い表情で眉根を顰めている。
「隊長…シャミル殿の説が正しいと仮定したら…」
「ああ。絶対に外には漏らせんな、これは」
身体的に並の獣より遥かに優れ、その上人に近い知性まで獲得した魔物が
それも軍事方面に。
そして…そのために獣を魔物化させる必要があるというのなら、どこからか…墓場からか或いは生のものか…人の肉を調達してくる必要がある。
どう考えてもろくなことにならなそうな展開ではないか。
話題の渦中にあるコルキは…どうやら己に襲う危機は去ったらしいと察し、ミエに腹を撫でられながら気持ちよさそうに鼻を鳴らしていた。
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