第217話 著しい成長
「コルキですか? あーホントだまた遊びに出ちゃってますねえ」
息子をあやしながら周囲を見回して特に気にする風もなく呟くミエ。
「そういえば最近忙しくって全然会えてないニャ。たまにこっち来ても見かけニャイし…てっきりミエと散歩に出てるのかと思ってたニャ」
「私は向こうの村で雑務をこなしてからこちらに戻るのでこの辺りを通る時はいつも夜なんですよね。なので実は殆ど見たことがありません。遠吠えはよく聞きますけど…」
アーリとエモニモがそんなことを言いながら顔を見合わせる。
ただその隣でキャスがなんとも渋い表情をしていた。
「そうなんですか? じゃあ呼んじゃいますね。コルキー!」
ミエが飼い狼の名を叫びながら甲高い音を立てて口笛を吹く。
すぐにそれに応えるように森の方から狼の遠吠えが聞こえた。
「へえ、慣れてますね。珍しい」
「それはもう! うちの自慢の子ですから! …ああクルケヴなにむずがってるんですかーおーよしよし」
ミエが息子をあやしている間に、遠くから地面を蹴るような音…もとい地響きが轟き、藪を切り裂いて愛狼がすっ飛んできた。
「おーコルキひっさしぶりニャ! 元気してたか………ニャッ!?」
「バウッ! バウバウッ!!」
ひさしぶりだ!
あいつがきた!
すぐにアーリに気づいたコルキは尻尾をびたんびたんと振りながら全速力で彼女に飛びかかり、組みついて地面に転がしてべろんべろんと舐め始めた。
エモニモが咄嗟に剣を抜こうとするが、横にいるキャスに止められる。
「ニャッハハハハハハハ! コルキ! ひっさしぶり! ひさしぶりニャァァァァァァァァァ~~~~~~~! おーよしよし、よしよしニャ!」
「きゃうん! ばうっ! きゅぅんきゅぅん!」
甘い声を上げながら散々アーリに甘えたコルキは、だがしばらく遊んだ後で我に返り、周囲の視線に気づくと、おもむろに立ち上がってなにげない素振りですたすたと家の横まで歩き、首輪の隙間に挿してあった杭(以前よりだいぶ大きい)を咥え引き抜くと、地面に空いている穴に差し込んでたしたしたし、と肉球でそれを押し込んでそのままそこに寝そべった。
その杭から伸びている鎖は…彼の首輪まで伸びている。
まるで鎖に繋がれているから自分は無害ですよー?
と今更ながらに自己主張しているかのようだ。
「ニャ。ミエ、ニャんかコルキがこう…」
「ミエや、今のコルキを見てどう思う」
「どうって…可愛いと思いますけど」
「ばう!」
「可愛さの話ではない」
「毛並もふさふさで…」
「ばうばう!」
「毛並の話でもないわ! では大きさについてはどう思う?」
「ええっと…ちょっぴり大きくなったような…?」
「ちょっとじゃないニャ」
「ちょっとのわけがあるかぁ!」
「ふぇっ!?」
アーリとシャミルに同時にツッコまれ思わず身構えてしまうミエ。
そんな彼女らの様子を見、そしてコルキの方を見ながら…エモニモがなんとも言えぬ表情を浮かべていた。
目の前の状況を把握しきれなかったのだ。
コルキは確かに大きくなっていた。
鼻先から尻尾の先端までの体長は3mを優に超え、体長で比べるなら馬やライオンどころかちょっとした熊よりも大きい。
通常の狼を遥かに超える巨大さである。
ただこれに関してはミエの危機感が低いのは仕方ない。
小さい頃からずっと世話してきたし、そもそも彼女は自分の故郷でもこの世界でも一度も実物の狼を見たことがないのである。
比較のしようがないのだ。
「あの…キャスバス隊長」
「今はお前も隊長だろう」
「私にとって隊長はキャスバス隊長だけです!」
そう、翡翠騎士団第七騎士隊が解体され、クラスク村の兵士として再雇用された結果、エモニモは兵士…即ち元騎士達…の統括たる衛兵隊長に就任していた。
彼女は当初己の隊長は敬愛すべきキャスバス隊長のみだとその叙任を拒んでいたが、ラオクィクに『偉い役に就けば村の会合に呼ばれるからキャスと一緒にいられる』と言われ結局引き受けることになったのだ。
というか、そもそもエモニモがキャスと一緒にいたがるのを見ていたラオクィクがクラスクに進言してその役職を用意したのである。
もしかしたらこういうところも彼女がラオクィクを選んだ理由かもしれない。
ちなみにキャスの現在の役職は軍事顧問兼参謀兼剣術指南兼クラスクの親衛隊長であり、直接の配下はクラスクの護衛をするクラスク親衛隊が数人いるのみである。
「それはおいおい直してゆくとして…で、なんだ、エモニモ」
「は。不躾ながら申し上げます。あの狼…
「魔狼じゃな」
「魔狼だニャ」
三人の言葉にキャスが額を押さえ、深いため息をつく。
「やはりそう思うか…」
「マジで? え? コルキって魔狼なのか?」
「おー…まおおかみ…」
そしてそれを受けて驚くゲルダと理解しているのかしていないのかよくわからない反応のサフィナ。
…そしてさっぱり理解できていないミエ。
「
「
重々しい口調のシャミルの言葉に、ミエが危機感の欠片もない反応をする。
「で…まものってなんです?」
「そこからかーっ!」
思わずミエを怒鳴りつけた後、長く深い溜息をついてシャミルが丁寧に説明をする。
「以前
「ええ、まあ、はい」
「どのように受け取った」
「ええっと生活環境で決して相いれない両種族の陣地争い的なものだったかと…」
「そうじゃな。大意としてはその認識で間違うておらん」
シャミルはミエの言葉に頷きつつ話を続ける。
「では、互いに己の陣地を広げるにはどうとすればよい」
「ええっと確か人型生物は神様の似姿でそれだけで瘴気を晴らす力を持ってるから…頑張って瘴気の中に飛び込んで開墾するしかない…でしたっけ?」
「そうじゃな。
「魔族の…?」
シャミルにそう言われてミエはハテ、と首を捻った。
「ええっと単純に考えると瘴気を放つ魔族が人の住む国とかにやってきて瘴気を撒き散らせばいい…はずなんですけど」
「なんですけど…なんじゃ」
「魔族って確か瘴気から出ると弱くなっちゃうんですよね?」
「そうじゃな。瘴気が満ちた地でなくばその不死身性に翳りが出てくるとされるておるの」
「あとはこう…神様が
ミエの口から漏れた思いつきに、シャミルは目を丸くする。
「ようもまあ知らぬ知識に対し思いつきだけでそこまで迫れるものよ。確かに神聖魔術に〈
「へー…ほんとにそんな魔法があるんですねえ」
「うむ。各街の教会では朝の祈りにこの呪文を混ぜ込んであるでの。魔族がどこぞの森にでも現れようものならたちまち各都市の聖職者がそれを察知し、魔導師と協力し通信魔術を用いて各教会の報告を集めて束ね、それぞれの街で反応が出た方角に地図の上で線を引けば、その交差地点に魔族が現れたとすぐにわかる寸法じゃ」
「おおおー! かしこい!」
まるでレーダーか何かのような探索法だが、確かにだいぶ効率的である。
ただミエとしてはどちらかというと魔導師と協力すれば遠くの場所とすぐに連絡が取れることの方が気になったが。
「でも困りました。それじゃあどうやって瘴気を広げればいいんでしょうか」
「うむ。そのために使われるのが『
「
「その発音はやめい。緊張感に欠ける」
鸚鵡返しに繰り返すミエにシャミルが苦言を呈した。
「簡単に言えば瘴気に憑依された生物のことじゃな。生物に襲い取り憑く瘴気…これは魔族たちの王『魔王』どもがこの世界の各地にかけた呪詛とされる。エルフの住まぬ森の奥や人の近寄れぬ沼地などは
「!! …それってつまり野生の動物に取り憑いたりってことです…?」
「うむ。瘴気に取り憑かれた獣は巨大化し、力や耐久度、俊敏性などが向上する。さらには知性も上がって人語などを解するようになり、性格は邪悪に変じ、その身から瘴気を放つようになる。そして人を好んで襲うようになり、それでいて野生の獣として群れを率い、その群れの連中を次々に魔物へと変えて平地を、森を駆け回り、その身から噴き出す瘴気で各地を瘴気の海へと沈めてゆく。後は…〈
ぞくり、とミエが背筋を凍らせた。
「そして…魔物となった獣には、その証として顔に四筋の稲妻のような跡が刻まれる」
ミエは己の愛狼に目を向けた。
確かに大きい。
途中からちょっと大きすぎないかなー? と思いつつ育てていたけれど、改めて見ると本当に大きい。
そして賢い。
これまでも明らかにこちらの言葉を理解しているかのような反応をすることが幾度もあった。
ミエはそれをよく慣れているからだと解釈していたけれど。
さらには顔に稲妻が四筋…ミエの目から見ると黒い隈取りのようなものが走っている。
そして邪悪…
「くぅん?」
ミエの視線にコルキは不思議そうに小首を傾げ、前脚をばたばたとさせて遊んで欲しそうにこちらを見つめる。
「……じゃあく?」
「へっへっへ…!」
コルキは何が嬉しいのか、舌を出しながら尻尾をぶるんぶるんと振っていた。
ミエにはその姿が邪悪とは…到底思えなかった。
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