第216話 乳母マルト

「ふう…昼にこっちに戻んのは久しぶりだな」


馬車に揺られながら森のクラスク村へと向かいつつゲルダが零す。


「まあそうなんですか?」

「誰のせいだと思ってんだ」

「あいたたたたたたたあいたーっ!」


ミエの自覚ない一言に、ゲルダが彼女のこめかみをぐりぐりと軽く指で押す。

軽くとは言ってもなにせ巨人族の血を引く娘のする事である。

ミエは悲鳴を上げながらあぶあぶと両手を振り回した。


「それにしても季節によってだいぶ色合いが変わりますねえ」

「じまん」


色とりどりの花畑を眺めながらミエが呟き、サフィナが腰に手を当てて胸を反らし鼻息を荒くする。

かつて馬車で村へ行く際には鬱蒼とした森を藪を掻き分けながら向かったものだが、街道が整備されたことでそうした労苦は一切なくなり、のんびりと馬車旅を堪能しつつこうして観光気分で花を愛でることもできるようになった。


花畑を眺めていると、花の世話をしている村の女性達に混じって幾人かの人間達が散策し、その美しさを堪能している。

外のクラスク村に設立当初からいた者達…元棄民達の、森のクラスク村への来訪が許可されたのだ。


「近いうちにこっちも一般開放したいですねえ。観光名所にできませんこれ?」

「おーいいなそれ。あたしが見ても綺麗だたぁ思うしなあ」

「お花きれい。みんなもっと見に来てくれる?」


ミエの言葉にゲルダとサフィナがこくこくと賛同すが、シャミルが釘を刺した。


「花畑は良いがそのためにはまず村のをどうにかせんとのう」


外のクラスク村の発展と拡大が急速過ぎて、こちらに手を入れる余裕がなかったせいか、村はほぼほぼ以前のままとなっている。

ワッフとサフィナ管轄の倉庫やラオクィク管理の武器庫などが大幅に増築されたくらいだろうか。


「ですねえ。家を建て替えて少しは見た目よくしないといけないですし、あとは向こうの村に住みたいって希望者にもある程度応えないといけませんし…」

「観光地なら店出そうぜ店! 売店! こう地方の名物とか銘菓とか置いてるやつ!」

「おー…お花で染めたハンカチとか口紅売る…?」

「いいですねーそれ!」


わいのわいのと盛り上がる一同。


「で、誰がそれをやるんじゃ」

「…大工さんが欲しいです。切実に」

「じゃな」


そしてシャミルにツッコまれて現実に戻った。


「そろそろ来てくれてもいいと思うんですけどねー大工さん。吟遊詩人クィムズロールの皆さんにも噂を広めてもらってますし」

「ま、広報と情報戦略は大事じゃな。わしはそれより倉庫の警備保障トギャラスが心配じゃわい」

ケイビホショウとぎゃらす?」

「今までは村におるのは常に身内だけじゃったから問題なかったが、外から人が来るとなったら倉庫に勝手に忍び込んだり品を盗んだりダメにしようとする不届き者が出てくるかもしれんじゃろ。そういう輩を防ぐために鍵をしっかりかけたり壁を頑丈なものに変えたりする必要があるということじゃ」

「「「おお~」」」


シャミルの説法にミエ達三人が瞳を輝かせて聞き入る。


「さすがシャミルさん!」

「人を疑うことにかけては堂に入ってるな!」

「おー…シャミルうたがいまじん…」

「褒められてる気がせんのじゃが!?」


ガタゴト、ガタゴトと馬車が揺れ、その都度荷台に乗っている彼女たちも揺れる。

アーリが商品の搬入のためにこちらに訪れることとなったため、こうして同伴させてもらっているのである。

ちなみに彼女たちの乗っている馬車の後に、さらに三台ほど馬車が続いている。


「それはさておきよ、今回の会合は森の屋敷ですんだよな?」

「そのために向かっておる」

「なんではざわざこっちでやんだ? 向こうの方で夜にやりゃあいいじゃねえか」


どうやら彼女たちは本日村の議題について話し合う定例の会合を行うらしい。

だが最近は皆外のクラスク村での仕事が多く、こちらに戻る暇がなかなかない者もいた。

それをあえてこちらで行うからには何か意味があるはずである。

ゲルダは暗にそう尋ねたのだ。


「まあ会合の前に少し見てもらいたいものがあってのう」

「見てもらいたいものだあ?」


ゲルダが眉を顰めたちょうどその時…御者台から声が聞こえた。


「村が見えてきたニャ!」



×        ×        ×



「で、なんだよ見て欲しいもんって」

「すぐにわかる…む?」


会合の場所たる族長の家…つまりはまあクラスクとミエの家の前まで来たシャミルは眉をしかめ、ミエに何やら問い質そうとしたが…


「あらミエ様ァ! お帰りなさいませぇ!」

「マルトさぁん!!」


ミエの家から出てきた女性に向かって、ミエが歓喜の声で叫ぶ。

マルトと呼ばれた女性の腕には…生後半年足らずのミエの子供たちが抱かれていた。


おぎゃあおぎゃあと泣く赤子を急いで抱き締め、胸をはだけて乳をやり始めるミエ。

長女ミックと次女ピリックに乳を吸わせなていると、肩にしがみついた長男クルケヴが自らも乳を飲まんと二人を蹂躙せんとする。


「こーらあ! お兄ちゃんが妹のものを取っちゃダメでしょ! もう少し待っててねー?」


ミエに叱られ泣き出しこそしないもののぐずり始めるクルケヴ。

先程のマルトと呼ばれた女性…だいぶ恰幅のいい人間族の女で、やや年嵩である…がそんな彼をひょいと掴むと自分の胸元に抱き寄せ、豊満な乳房に彼を埋め乳をやり始めた。


「すいませんマルトさんいつもいつも…」

「いーんですよぉ! 昔っから子供の世話は大好きですからぁ! まあ流石に昔はこうしてオークの子に乳をやるだなんて考えもしませんでしたけどねぇ!」


闊達に笑って手をひらひらと振るその様はだいぶ豪快で、なんとも頼もしく見える。


「ミエ様は族長夫人…ああ今は村長夫人でしたっけ? まあどっちでもいいですけど、とにもかくにもお忙しいんですから頼れるときは人を頼らないとねぇ!」

「ホントすいません! 助かってますー!」


ぺこぺこと頭を下げるミエと、気にするなと手振りで示すマルト。

そう、三つ子を出産し子持ちとなったミエが外回りに出かけられるのは全て彼女のお陰…つまりマルトはクルケヴ達の乳母なのだ、


マルトは元々裕福な商家の乳母として勤めていたが、その家の子供が成長し仕事がなくなったため暇を出され、郷里に戻ろうかと隊商の荷馬車に同道させてもらっていたところをこの村のオークに襲われ囚われた。


その時点で三十近かった彼女はオーク族の目から見ればである。

この世界の適齢期は二十歳未満であり、年を取ればとるだけ出産の成功率は下がるからだ。

医療も衛生観念も発達しておらず、また誰もが高価なまじない師や布施の必要な聖職者の援けを受けられるわけでもないこの世界に於いて、赤子が無事生まれてくる確率も、無事大人まで生き延びられる確率も決して高くはない。

年配というのはそれだけでそうしたリスクが高まるわけで、種族の維持が目的であるオーク族には魅力的に映らないのだ。


結局彼女はあまり活躍の少ないオークが分け前として引き取る事になった。


…が、彼女は囚われの身なりに必死に足掻いた。

言葉がわからないままなるべくオークを怒らせないようにして、もらった食べ物はなんでも食べた。

彼女が食欲旺盛なのを知った飼い主のオークは、よりたくさんの食料を持って来るようになった。


オーク族に攫われた女性の死因の多くを占めるのが栄養失調による衰弱死と不衛生のよる病死である。

絶望し生きる気力を失ったことで食欲が減退するか、或いは食欲はあっても食べ物が汚すぎて体が受け付けないか…


いずれにせよ食欲があるということは生きる気力があると言う事だ。

それはオーク族が攫った女性としてはかなり稀有な資質であると言えた。


結局ミエに助け出されるまで、彼女は飼い主のオークとの間に五人の息子を儲けており、現在も六人目を育児中である。

虜囚の間も生存のため、健康のためにと食べ続けた彼女はミエに救われた後も後もその食欲が収まることなく、気づけば見事なほど恰幅がよくなってまた乳の出も非常に宜しい。


後になってみれば彼女の亭主たるオークは実に大当たりを引いたことになる。


そして子育ても大事だが村づくりのためにはミエの才能がどうしても必要だ…と村の首脳陣が頭を悩ませていた折、そんな彼女が挙手をして乳母に立候補してくれたわけである。


「はいはいお待たせー。クルケヴ。よく我慢したわねー…まあ我慢してないですけども!」


乳母であるマルトからたっぷりと乳をもらいながら、それはそれとして母の乳房にむしゃぶりつくクルケヴ。

この辺りの貪欲さは赤子のうちから実にオークらしい。



「おお、ミエ。遅れてすまない」

「お待たせしました、ミエ様」

「キャスさん! エモニモさん!」


会合のメンバーが集まってきた。

だがオーク騎兵隊を率いて外回りに出かけたクラスクが未だ戻ってきていない。

もっとも彼は騎兵隊の運用試験で少し遅くなるかもしれないので先に始めててくれと言い置いてあったので、開始時刻にいなくても問題とはならないが。


「ところでシャミル、結局こっちでやることになった理由ってなんだよ」

「おおそうじゃったそうじゃった」



シャミルがミエの家の前の小さな無人の広場を指差して尋ねる。



「ミエ…コルキはどこに行った」





いつもはそこに…ミエの家の前に繋がれているはずの飼い狼…

コルキの姿が、そこにはなかった。





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