第201話 契約の終わり

その後…クラスクとキャスは村へと凱旋し、歓呼と共に迎えられた。

まあクラスクの怪我の具合にミエが貧血を起こしかけてちょっとした騒ぎになったけれど、おおむね大過なく終わったと言っていいだろう。


ワッフ率いるオーク達の主力は見事快勝しゴブリン達の大半を蹴散らし、敗走させた。

また同じ数を揃えるのは結構な時間がかかるはずである。

一軍の指揮を任され見事に結果を出したワッフは、若きオーク達に喝采され(ついでに飛びついてきた新妻にキスの祝福をされ)大いに照れていた。

これで少しは自信ががつくかもしれない。


リーパグやラオクィク達も良く働いて、騎士隊も狼達を追い散らしたようだ。

村内での村人の犠牲はゼロ。

これは防衛線としては十二分な戦果と言えるだろう。


その日たまたま居合わせた旅の者達には随分と怖い思いをさせてしまったけれど、この世界に於いて辺境の村落がゴブリンやオークに襲撃されることは決して珍しいことではなかったし、ましてや長い間オーク族の縄張りとして悪名高かったこの付近であれば村の中だろうと道中だろうといつ彼らに襲われても不思議ではなかった。

それを考えればこの村でオーク達がゴブリン軍団から命がけで守ってくれた、という事実は彼らにとって驚嘆かつ僥倖であり、その噂はきっと近隣の村や国にも広がっていくだろうことは疑いない。



その翌日…農作業を終えた宵の口。

村の者達が奇妙な小さな祭儀を執り行っていた。


小さな焚火を囲んで、その周囲をゆっくりと回っている。

時々止まったり、向きを変えたり…その動きには何か法則性があるようだ。


小さな、ささやかな、けれど皆真面目で、真剣で、だがとても楽しげで。


「儀式…っていうかお祭り、ですか?」


クラスクと共に見学に来ていたミエの質問に、かつて棄民達を率いていた長が頷く。


「はい。村長夫人。我らが瘴気の中で暮らしている時、自分達を奮い立たせるために行っていたものです。それぞれが攫われた地元の祭りを、瘴気で朧げになった記憶を頼りに寄せ集めたものですが…先日の襲撃を生き延びた感謝を、こうして祝っているところです」


話によれば、どうやら魔族達は彼らのそうした足掻きを黙認していたらしい。

瘴気の中で必死に耐えれば耐えるだけ負の感情がその分啜り取れる、と考えていたからだろうか。


「なるほど…って村長夫人?!」


ミエはクラスクと顔を見合わせる。


「? はい。この村の長はクラスク様です。ならばクラスク村長の御夫人なのですから村長夫人では?」

「村長? 族長みタイなモノカ。ドっちが偉イ?」

「う~ん…どっちが上と言われると困りますけど…族長は一族の長で、村だと複数の氏族がいてもおかしくないですから…村長じゃないですかね」

「村長カ…俺村長カ!」


妙にはしゃぐクラスク。

どうもミエの説明で村長を族長の上に位置する凄い称号か何かと思い込んだものらしい。


「そうだ、せっかくですしその祭儀、もっと大々的なお祭りにしましょうよ!」

「お祭り…?」


ミエの提案に村長が目を丸くする。


「はい! だってちょうど大きなキャンプファ…ええっと篝火で村を守ったじゃないですか! それを記念して年に一回とか、村の中央に同じような篝火を焚いてみんなで村の発展を祝うお祝いにするんです!」

「イイナソレ! 蜂蜜酒持っテきテ盛大に祝おう!」

「そうですね! 村の特産品を大々的に提供して旅の人にも楽しんでもらいましょう」


手を取り合って嬉しそうに相談する族長…もとい村長夫婦。




その日…クラスク村に、村長が誕生した。




×        ×        ×



数日後…キャスは森の中のクラスク村を歩いていた。

腕組みをして、何か考えている風である。


(あの大軍…リーパグ殿の話…妙にな)


ゴブリン達が盗賊としての訓練を受けているとあらかじめわかっていたため、あの『外のクラスク村』には村内に哨戒部隊を置いていた。

事前には相手の目的が標的の確保なのか村の殲滅なのかわからなかったからだ。


結果として偵察や隠密に長けたゴブリン達は闇に紛れて村へ数匹潜入を果たしたが、全員リーパグやゲルダに見つかって討伐されたという。

ただ…彼らの内の少なくとも数匹は、何かを物色しているようにも見えたという。



やはり誰かを攫うつもりだったのだろうか?

だが相手の親玉は村と主戦場のど真ん中に広範囲を覆う炎の攻撃魔術を解き放たんとしており、それだけ考えればこちらの全滅が目的だったとしか思えない。


親玉の手口と村に潜入したゴブリンの行動と矛盾しているのだ。


「これでは…まるでみたいではないか…」


単に向こうが統制の取れていない集団だというなら幸いなのだけれど…

もしかしたら思った以上に面倒な話なのかもしれない、とキャスは気を引き締める。


「キャス!」

「おお、クラスク殿」


…と、そこで彼女は正面から歩いて来ていたクラスクに声をかけられた。

考え込んでいて気付くのが遅れたようだ。


「何か用か」

「ああ。チョットイイカ」


ちょいちょい、と指先で村はずれの方を指差し、彼女を先導する。


「どうした。人目をはばかるような用事か」


村はずれまでクラスクの後について歩きながら、そんな軽口を口にする。

ただほんのわずかに声が上擦った。

まったく期待していないと言えば嘘になる…その程度に、キャスは今の状況に緊張していた。


「イヤ…そうイウわけじゃナイガ…」


クラスクは頭を掻きながら、少し残念そうな口調で告げる。


「今日が約束の三ヶ月ダ。御苦労ダッタ。すごく助かっタ」

「あ…っ!」


キャスの視界が明滅する。

想像していた以上に自分がショックを受けているのがわかる。


そうだ。

そうだった。


自分ははじめから三ヶ月の間この村に協力するという話だったはずだ。

なぜまるで今後も村に留まることを前提に考え事をしていた…?


「…困る」

「ン?」

「それは…困る…っ!」

「ナニガダ」


己の身を掻き抱き、必死に思考を巡らせる。

騎士として、翡翠騎士団の第七騎士隊長として、自分には責任がある。

団長にも、隊の騎士達にも、果たさなければならない義理がある。


けれど同時にこんな想いが強く渦巻いている。

この村の理想に、行く末に協力したい。共に歩んでいきたい。

自分のような半端者でも差別されることなく生きて行けるこの村の成長と発展を、この村に残り手伝い、見守りたい。



もしかしたら…もしかしたらこのまま王都に戻り、王国の騎士として生きながらこの村に協力する道だってあるかもしれない。



だがそれは駄目だ。

絶対に嫌だ。

心の中で何かが強く、強く訴える。


なぜそんなに嫌なのか、何が嫌なのかと考えて…



己が、もう離れがたい程に目の前の男に惹かれているからだと、気づいた。



「…クラスク殿」

「ナンダ」

「この三ヶ月…私は、役に立ったか?」


息を整え、問いかける。


「立っタ! スゴイ立っタ!」


クラスクはぶんぶんと大きく頷く。


「そうか…では私はこの村に必要だったか?」

「必要! すっごく必要!」


クラスクは再びぶんぶんと大きく頷く。


「そうか。ならば…」


唾を飲み、頬を染め、

うつむいて、目を逸らし、

右手で左肘をぎゅっと掴んで…



「ならば…私を、この村から離れ難くしてくれないか。その、お前の、手で」




遂に、その言葉を、口にした。


「………………!」


目を見開いて、口を開け、大いに驚いたクラスクは…

けれどすぐ真面目な顔になり、キャスに一歩近づいた。


クラスクが迫る。

びくん、とその身を震わせるキャス。

どっどっどっどっ…と心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。


目の前にクラスクの顔がある。

恥ずかしくてまともに見ることもできない。

ただ一瞬だけ…上目づかいで彼の顔を覗き見て、すぐに面を伏せた。


「イイノカ」


クラスクが確認する。


この村に残ること。

自分の物になる事。

彼女が人間達の国で手にした、手に入れた全てを捨て去る事。



その言葉を前にキャスは…

耳先まで赤くして、小さくこくんと頷いた。



口走ったのは衝動的ではあったけれど、その想いには一点の嘘もなかった。

自分がずっと探し求めていた場所はここに違いないと、ここであって欲しいと強く感じたのだ。

手が足りないなら己の手を添えたいと、理想に届かないのならその援けになりたいと、痛切に想ったのだ。



なによりも…なによりも自分が、この男と別ち難く想っていると。

種族の異なるこの男に、強く強く惹かれているのだと、思い知った。



「…………」

「な、なんだ。じろじろ見るな…!」


上から己をじぃと見つめる視線に耐え切れず、真っ赤になって上目づかいで睨みながら抗議の視線を送るキャス。

耳がへにょんと垂れ下がり、だがぴこぴこと揺れている。


「……………………」

「だ、だからなんだ! だ、黙っていてはわからんだろうが!」

「キャス」

「は、はひっ!」


強気に出た瞬間に声をかけられ、思わず声が裏返ってしまうキャス。

ばくばく、ばくばくと心臓を高鳴らせ、クラスクの返事を期待半分、怖れ半分で待ち受ける。

ぴこぴこ、ぴこぴこと耳が揺れているのは興味津々な証に他ならない。


「オマエ…カワイイナ」

「~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」


尖った耳がぴぴんと上向いて、それまで以上にぴこぴこ揺れた。

そしてその先端まで、見る間に朱に染まってゆく。


「こ、こ、この、馬鹿者が…っ!!」


睨みつけたつもりで、だが感極まったように瞳を潤ませて、そのままクラスクの胸にそっとその身体を預ける。

そして彼が回す腕にその身を委ねて…ほう、と小さく安堵の溜息をついた。



二人はそのまま抱き合って…



「…ミエ、やりづらイ」

「いけっ! そこだ! 抱け! 抱けー! 抱いちゃえー! 抱いたー!? きゃー♪ あ…」


そして、近くの家の壁から顔を覗かせながら二人の様子を窺いつつ全力て応援していたミエに、クラスクが珍しくツッコミを入れた。


「あ、見つかっちゃいました…?」

「ミエ声大きイ。バレない思う方がおかシイ」

「えへへ…すいません。つい興奮しちゃって…」


当たり前のように会話するクラスクとミエの横で、赤面したまま、驚愕の表情でミエを見つめるキャス。


「い、いつからそこに…?」

「ええっと…お二人が人気のない所に向かったあたりからでしょうか…」


つまりはまあ、最初っからである。


「あ、あの、その、ミエ殿、こ、こ、これはだな…こ、これには、その…っ!」


懸想した相手の妻女を前にしどろもどろになって言い訳しようとするキャス。

気分は正妻に浮気現場を目撃された愛人の如し。


「いえいえ、お気になさらず。私は退散いたしますのであとはお二人で是非しっぽりと…♪」

「「言い方!」」

「家の方も4時間フィアルトほど空けておきますので…♪」

「具体的な数字はやめていただきたい! あと何気に長いな!?」




真っ赤に顔でツッコミを入れるキャスをしげしげと眺めていたミエは…

なんとなはなしに事情を察し、ぽんと手を合わせた。



「初めてでご不安でしたら私が御一緒しましょうか?」



ミエの見ている前で、半分脱がされた下着姿で、クラスクにいいようにその身を弄ばれて…

火照った肌、昂った肢体カラダに抗し得ず、つい処女おとめにあるまじきはしたない言葉で好いた男に淫らな懇願をしてしまう己を想像して…





キャスは遂に耐え切れず、その顔を爆発させた。





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