第202話 エピローグ(第四章最終話/第二部完) 動乱の兆し
「…で、身に覚えはないのだな」
ここは森の中のクラスク村、その一角。
人間達がこの村に住み暮らしていた頃は教会で、その後ここを占拠したオーク達の族長の住処となり、改装されてキャスの寝所になって、現在は彼女の友人のギスが療養している数奇な家、その寝室である。
そこには現在この家の主となっているギスと、彼女の見舞いに来ていたキャスがいた。
「貴女も知っているでしょう、キャス。私は
「そうだな…ああ、知っていたとも。ただ…一応念のため、な」
先日のゴブリン達の襲撃…
撃退にこそ成功したが、その首魁らしき相手は取り逃がし、さらには未だ目的が一切不明という、まさに手探りの状態だった。
数少ない手がかりは敵の幹部らしき連中二人が
そこからもしやして同じ
「お役に立てなくてごめんなさいね」
「いや、いいさ。最初からわかっていたことだ。邪魔をして悪かったな」
「あら…私がキャスを邪魔に思った事なんてあったかしら」
「まったく…ああいえばこういう…」
苦笑しながら寝台の隣の椅子から立ち上がる。
「えっちらおっちらごー! なのでっす!」
「ギス様。失礼いたします…デス」
…と、そこにタオルや雑巾を持った
「あ、キャスさーん! こんにちわ! なのでっす!」
「お久しぶりでございます…デス」
「ああ、二人ともギスの世話か?」
元気いっぱいに挨拶するカムゥと、落ち着きのあるアヴィルタ。
対照的な二人ながら、妙に気が合っているように見える。
キャスはなんとなくかつての己とギスの姿を重ね合わせ、少し微笑ましくなった。
「そう言えば…二人は随分と仲がいいな。この村の娘達には皆不思議と一体感があるが、その中でもお前たちは特にそう感じる」
「えへへへへー。そうですかぁー?」
なぜか嬉しそうにしながら照れるカムゥ。
「実は私達…この村に来る前からの知り合いなのデス」
「なに、そうなのか?」
意外な告白に軽く驚くキャス。
彼女は今までこの村の娘たちはそれぞれ異なる場所で攫われてきたのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、考えてみれば村を襲って攫ってくるのが村娘一人のはずがなく、そういう意味では同郷の者がいてもなんらおかしくはない。
「とはいっても別に同じ故郷の出身というわけではないのデスが」
「どういうことだ?」
「わったしたちはぁー、同じ馬車の中で知り合ったのでっす!」
アヴィルタの言葉に疑問を呈したキャスだったが、それに答えたのはカムゥの方だった。
「馬車…旅行者だったのか?」
「イエ…馬車は馬車でも奴隷を運ぶ奴隷馬車、デス」
「はーい! カムゥとアヴィルタはぁ、奴隷商人に攫われたのでっす!」
「!!」
明るい口調でとんでもないことを言い出すカムゥ。
「それで…オーク達に…?」
「ええ。この近くで突然馬車の速度が上がりまして、揺れも酷くなって、その後急に止まって、私達は馬車の中を右に転がり左に転がり、とても大変だった、デス」
「カムゥはー、アヴィルタさんにしがみついててー、なんとか無事だったの!」
「成程…そういう縁が…」
感心したように呟くキャスの前で、アヴィルタが少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
「まあ…この村に来てからも暫くはかなり大変デス…でした、デスが」
「大変…? ああそうか、そうだったな、すまん」
奴隷商人に襲われ攫われてこれから奴隷として酷い目に遭わされるのかと戦々恐々としているところをオーク族に襲撃され、その後オーク達に飼われて子作りのための道具扱いされたのだ。
酷いと言えばこれほど酷い扱いもないだろう。
キャスはクラスクの代になってからのこの村しか知らなかったのですぐにそこに思い至らず、己の想像力のなさを謝罪した。
「大丈夫デス。結局こうして生きていられますデス、から。カムゥさんのことはずっと心配でしたけれど…」
「ミエ様にー、鎖外してーもらってー、おうちの外に出られるって聞いた時ー、すぐにアヴィルタさんを探したのー!」
「見つけたときはお互い抱き合って再会を喜びました、デス」
「それはよかった…」
当時の光景を思い出したのか、アヴィルタがばっと両手を広げ、カムゥがその小さな体で彼女の胸に飛び込み互いにぎゅむーと抱き合った。
二人の身長差からその様は親子のようにも見えて、なんとなく微笑ましい光景である。
「…ギス、お前はあれを見て何も思わんのか」
「私は以前に聞いたもの」
「ああ…」
そっけない態度のギスに少し思うところがあったキャスだったが、理由を説明されて一応納得する。
「それで…お二人はミエに協力することに?」
「はい。彼…夫もだいぶ優しくなりました、デスし、未だ村から出られぬ身デスので、いつか外の世界に自由に行けるようになったら…一度故郷に戻って、自分の無事を伝えたい、デス」
「あ…」
そうか…そうだった。
キャスはこれまた己の想像力の足りなさを痛感する。
彼女たちは確かに解放された。
オーク達から監禁され奴隷同然の扱いを受けることはなくなった。
けれどそれは完全な自由を約束されたわけではない。
彼女たちは攫われ、囚われた身の上であり、今はともかくかつてはオーク達に奴隷のような扱いを受けてきた事実に変わりはないのだ。
だからこそ彼女たちには未だ完全な自由は許されてはいない。
この村を無事外の世界に軟着陸させるためには、この村のオーク達は安全で害がない、ということを示し続ける必要がある。
だがかつての被害者達を自由にさせ、好きに発言させれば必ずどこかで軋轢が生じるだろう。
それだけではない。
彼女たちの扱いを『嫁』という形に変化させることを受け入れたオーク達だけれど、その嫁の逃亡は決して容認すまい。
そんなことになれば上に立つ者…即ちクラスクの責任問題となってしまう。
そう言えば…とキャスは今更ながらに気づいたことがある。
村の娘達の内、森の外にできた新しいクラスク村に行った事のある娘とそうでない娘がはっきり分かれているのだ。
今まで意識したことはなかったけれど、これも彼女たちの逃亡の危険性を考慮しているのだろうか。
森の外に街を造るということは…そういうリスクも込みで考えなければならないかなり危ない橋でもあるのだ。
キャスは今更ながらにミエやクラスクが選んだ道の険しさと立ちはだかる苦難を痛感した。
「ところで…キャス、ひとつ聞いてもいいかしら」
「なんだ」
物思いに耽っていたキャスは、ギスの声に現実へと引き戻される。
「貴女…あのオークの族長に手籠めにされたの?」
そしてその言葉に激しく噴き出した。
「てごっ! いやっ、違…っ!!」
「なら近いうちにされるの?」
真っ赤になって慌てて否定するキャス。
畳みかけるように問い質すギス。
耳先まで赤くなったキャスは両手で顔を覆って俯いて…
だが遂にギスの言葉を否定はしなかった。
「ええー!? そうなんですかぁーっ!?」
「あらあらあら、まあまあまあ…本当デス、か?」
ぱあああああああ…と顔を綻ばせたカムゥとアヴィルタ。
「オメデトウございます、デス。祝福します、デス」
「はーいー! これでキャス様もー、村のなっかま! なのーっ!」
アヴィルタがその褐色の手でキャスの手を取り包み込み、その後ろで小柄なカムゥがぴょんこと飛び跳ねた。
「ふふ…キャスバシィ様は先刻、
「あ、いや、それは…っ」
キャスの手を掴んだまま、アヴィルタが唐突に話題を変えた。
まさにその通りのことを考えていたキャスは、一瞬どきりとする。
「でもその心配はいりません、デス。
「そ、そうなのか…?」
聞いた話ではミエ以外の村の娘は多かれ少なかれ前の族長の時代にオーク達に隷属させられ、酷い目に遭っているはずである。
彼らの女性に対する扱いが変わったとてなぜそこまで断言できるのだろう。
キャスにはすぐには理解できなかった。
「はい。この身に刻まれたあの人の
アヴィルタはどこかうっとりとした表情でそう語ると…キャスの耳元で熱の籠った声でこう囁いた。
「鎖から解き放たれても…
ぞくぞく、とキャスの全身が総毛立った。
「わたしもぉー、故郷には一度帰りたいですけどぉー、きっとまたこの村に戻って来ると思いまっす!」
カムゥの言葉は、いつも通り元気いっぱいなものだったけれど、同時に何処か艶めいたものが感じられた。
「だってもぉ…
無論彼女は立派な大人である。
子供だって立派に作れる年齢だ。
ではあるが…童顔のカムゥは、
そんな彼女が…明らかに女の…雌の
「だから…この村を捨てるとか、裏切るとか、そういう心配はなさらなくても大丈夫、デス…♪」
「キャス様もぉー、すぐにわかると思いまっすー♪」
「で、できればお手柔らかに願いたいものだな…」
いつも通りの二人の微笑み…だがその内にどこか妖艶さを滲ませた…に気圧されるようにして思わず後ずさるキャス。
戦場でもなかなか見れぬ光景である。
そんな彼女をくすくすと笑いながら眺めていたギスは…誰にも気づかれぬように僅かに目を細めた。
(ふうん…やっぱりこの村に残るのね…)
ならばどうするか。
自分はどうすべきか。
そう遠くない内に快癒するであろうこの身をどこに置くべきか。
ギスは僅かに逡巡し、だがすぐに答えを出した。
ただ…彼女のその胸の内に、僅かな懸念がないでもない。
先程のキャスの問い。
この村を襲った
無論
(関係…ないわよね…?)
己の胸に手を当てたギスは…アヴィルタとカムゥから今晩のことについてある事ない事吹き込まれ、茹蛸のようになっているキャスを眺めながら…己も攻め手に加わらんとベッドからもぞと這い出した。
× × ×
アルザス王国北方にあって魔族どもの来襲に備える軍事防衛都市ドルム。
夜半、その西の草原を、兵士たちが列をなして行軍していた。
人数は十数人ほど。
周囲を険しい目つきで見回すその様子からすると、哨戒目的の巡回だろうか。
「お前達、そろそろドルムだ!」
隊長らしき男の言葉に兵士たちが口々に安堵の声を漏らす。
無論魔族と戦うためにドルムへ集った身ではあるけれど、一騎当千の猛者どもではあるけれど、それでもやはり周囲に味方のいない哨戒任務の最中に襲われるのはなるべく御免被りたい。
そう考える程度には彼らも常識や理性を持ち合わせていた。
「だが気を緩めるなよ! 喩え城が見えたからとて安心は…でき、ん…?」
隊長の声のトーンが、だが途中からゆっくりと落ちてゆく。
兵士たちの方を向きながら演説をぶっていた彼の背後に、いつの間にか大きな何者かが立っていたのだ。
…それは、大きな人型生物だった。
緑色の肌、まだらな髪、血のように赤い瞳…その身体的特徴はオーク族に酷似している。
ただオーク族にしては大きい。
とても大きい。
身長は2mを遥かに超えており、もはやオーク族というよりむしろ巨人族と呼ぶに相応しい巨躯だった。
彼は片手に持った
ただそれだけで、屈強な人間の兵士たちが5,6人まとめて胴を薙がれその上半身が吹き飛ばされた。
慌てて武器を構えようとする残りの兵士達。
だがそれより早くどしんと一歩踏み込んでから放たれた、彼の斧を持たぬ方の空手の拳が、二人ほどまとめて兜ごと兵士たちの顔面を柘榴に変えた。
勝てない。
これは勝てない。
隊長と生き残りの兵士数人が慌てて逃げ出そうと踵を返そうとして…そのオークにぎろりと睨まれぴたりとその足を止めた。
いや違う。
止まったのではない。
動けないのだ。
彼らの足が、まるで草原の丈の長い草々に絡め取られたかの如く一切動かず、ただただその場に立ち尽くすことしかできない。
目の前にその巨躯のオークが迫る。
だが動かない。
動けない。
目の前でその巨漢のオークが大きく斧を振りかぶる。
だがそれでも動かない。
足が言うことを聞いてくれない。
足だけではない。
身体も硬直している。
声すらも出せない。
そう、彼らは目を閉じることすら、瞬きすらも許されず、悲鳴を上げることすらできずに…
己に振り下ろされる斧を、涙を浮かべ、絶望の表情で見守る事しかできなかった。
…兵士達だった残骸が夜の草原にごろりと転がり、ただその巨躯のオークだけが残った。
彼は幾度か同じ言葉を低く繰り返すと…そのまま斧を担いで夜の闇の中に消えてゆく。
(カストーヴ…カストーブって、誰だ…?)
かろうじて上半身と下半身が半分繋がっていた兵士の一人が、己の血泥の海に沈みながら、薄れゆく意識の中でそのオークの呟きを聞いた。
カストーヴはこの世界の人間族で比較的よく聞く名前である。
それ故彼はそのオークが誰かを探して彷徨しているものと思い込んだ。
だが違う。
それは人名ではない。
カストーヴとはオーク語で『足りない』という意味である。
彼は兵士たちをその圧倒的な強さで蹂躙しながら、なおも獲物の物足りなさを、己の不甲斐なさを訴えているのだ。
足りない。
この程度では足りない。
己の憤怒と屈辱を晴らすのに、これでは何の足しにもならないと。
星明りに照らされるその身体には無数の傷痕があり…
特にその顔面に刻まれた傷痕は、右目から鼻辺りを通って、三日月のように右唇に抜けていた。
「
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