第171話 酒場『オーク亭』
「どれどれ、店の名前は…ぶふ、『オーク亭』だとさ」
「こりゃなかなか剛毅な名前だ。オークが店主でもやってるのかな?」
「ハハハまさかあ」
「イラッシャイ」
ギィ、と扉を開いて店内に入ると、びっちりと服を着こなした店主が出迎えた。
顔は見るからにオーク顔だ。
…というかオークそのものに見える。
思わずぎょっとした二人だったが、そのあまりの非現実さに脳の理解が追い付かず、笑って片手で挨拶しながらカウンターに座ってしまう。
店内には幾つかの広めの机があって、そこに村人らしき者達が同席して座り酒を飲んだり飯を食べたりしながら騒いでいた。
中には兵士…というか騎士らしき者や、店主と同じような見た目の者もいる。
彼らが食べているのは鳥肉の腿焼きやポタージュスープなど、田舎の酒場としてはなかなか美味そうなラインナップである。
スープを飲むためのスプーンや肉を切り分けるナイフなど、彼らの手持ちとしてはなかなかよいものを持っているようだ、などと二人は感心する。
「ずいぶんと賑わってるな、店主」
「オ陰様デナ」
だいぶ流暢な
それでフィモッスとフレヴトはすっかり安心した。
「いやーしかし驚いた。店の名前にオーク亭なんてあるからてっきりオークが酒場を営んでるものかと」
「正解ダ。俺オーク」
「あーそうそう、やっぱりそうだよねえ。オーク…オークゥ!?」
ぎょっとして改めて店主を見てみれば、見事に着付けた服から生えている首から上は明らかにオークのそれで間違いない。
本人もそう言っているのだし、きっとオークなのだろう。
オークのはずなのだが…どうしても頭が納得してくれない。
とその時…彼らの驚嘆の声と同時に背後からどっと笑い声が起こった。
「オーク! 店主がオークで驚いてるよ! ハハハハ! 見てわかるだろ!」
「いやあ普通驚くだろ」
「ム。レオナル。クハソークノ親父共通語上手イ。斧モ得意。酒モ詳シイ。スゴイ」
「いやあドゥッキー、そういうことを言ってるんじゃなくってだな…」
よくよく見れば…背後で酒を飲んでいる連中の中にもオークがいる。
そしてそこまで気づいたところで…フィモッスとフレヴトは今更思い出した。
そう言えば、ラルゥをはじめとした村娘の美しさばかりに気を取られていたけれど…
もし目の前にいるのがオークだというのなら、確かに、村を歩いていた連中の中に明らかにオーク顔の連中がいた気がする……!!
「あ、あばばばばばば」
「わわわわわわわわわ」
全身が総毛立ち、二人は逃げ出そうと慌てた様子で腰を浮かし左右を見回す。
と、店主が立っているカウンターの内側、その壁に大斧がかけられていることに今更気づいた。
先程は調度品の一種としか思わず見過ごしていたけれど、もし店主が本当にオークだというのなら、この斧もまた本物の彼の得物で…
「オ客サン、注文ハ」
「「ヒッ!」」
じろ、と店主にひと睨みされ、浮いていた腰がそのまま下に落ちた。
ここで何も注文せずに逃げ出したらあの斧で首と胴がおさらばしかねない。
そんな風に考えてしまって逃げる気が霧散してしまったのだ。
二人は互いに抱き合ったままその場に固まり、半泣きの体で震えている。
「旅の商人さんよー、大丈夫だって! そんな脅えなくたって別に取って食われやしないよ!」
「そうそう。取って食われるなら俺らがとっくに喰われてるだろうしな」
「ム、俺達オ前タチ食ベナイ」
「お前達筋バッテル。マズソウ」
「そういう意味で言ったんじゃねーよ!」
再びどっと湧く酒場。
その雰囲気はなんとも和気あいあいとしていて…
確かに、今すぐに殺されるようなことはないように思えた。
「え、えーっと、えーっと…じゃ、じゃあ…その、店主のお勧めってのはあるかい…?」
「オススメ?」
恐る恐る尋ねるフィモッスをギロリと店主が一瞥し、彼の尻から首筋にかけてなにやら冷たいものが走り抜ける。
「今日ハイノシシノイイノガ入ッテル」
「じゃ、じゃあ俺はそれで!」
「ならおれもそれで!!」
こくり、と頷いた店主が、背後を振り返った。
彼に背後には酒場らしく幾つもの樽があり、また壁の上の方には棚があって陶器で作られた瓶が並べられている。
ただよくよく見れば彼の背後だけ壁がなくなっていて、その奥にさらに部屋があるようだ。
彼の大きな体とその迫力に気圧されて今まで見えていなかったのだ。
「ダソウダ。デキルカ」
「はぁーい!」
思ったより間近で声がする。
ただ声はすれども姿は見えぬ。
不思議に思った二人が店主の背後にある部屋をよくよく見てみると…
自分達が思っているよりもだいぶ下の方にその姿を発見した。
女性である。
背の高さは1mに満たぬ。ノーム族と同じかさらに小さい。
髪は亜麻色で短めだがやたら癖っ毛であちこち反り跳ね返っている。
瞳は茶色でくりくりとしており、いかにも好奇心強そうに彼らを見つめていた。
赤と緑を基調としたディアンドル…民族衣装のような服…を着ており、小さいながらもどこかしっかりした、それでいておっとりとした大人の雰囲気を感じさせる。
「
殆どの者がのんびりとした落ち着いた性格で、主に農業を生業として生活しているが、命の危険が迫るとその小さな身体と生来の機転や素早さで他種族が驚嘆するほどの生存性を発揮するため、それを活かして冒険者などで身を立てる者もいるらしい。
ここより西、彼らが今から向かおうとしている
またオーク族と反対に歴史的に他種族と友好的な関係を築いていることが多く、人間族の街などで暮らす者も珍しくない。
「いのししは煮込むぅ? 焼くぅ? どっちも欲しいぃ? それとおつまみはいるかしらぁ?」
その小さな体躯に似合いの愛らしく、少し間延びした声で問いかけてくるが、
おそらくもうれっきとした大人である。
「トニアさーん! 俺らんとこにも顔出してくださいよー!」
「トニアさんの可愛い顔が拝見できなくて俺悲しい…っ!」
人間族の兵士? らしき者達が嘆き悲しむような大仰なポーズで彼女の名を呼ぶと、トニアと呼ばれた女性はフレヴトの横のカウンターを掴み、小さく飛び跳ねてその上によじよじと上半身を乗り出した。
たちまち酒場に喝采が湧く。
「ちゃぁんと料理を注文してくれればぁ、私が運んで行きますぅー。お酒だけじゃなくってお料理も注文してくださぁーい!」
「「「ハァーイ!」」」
じたじた、と足をばたつかせたトニアがそのまま後ろにずり落ちようとするが、そこを店主が彼女の腰を掴んでそっと床に降ろしてやる。
「ありがとぉ、あんたぁ」
「ン」
微笑むトニアと頷く店主は、どうやら夫婦らしい。
体格的には大人と子供以上の差があるように見えるけれど。
「ごめんなさいねえぇ、うるさい店でぇ。で、どうしますぅ?」
「じゃ、じゃあ俺は焼いてほしいかな」
「なら俺は煮込みで」
「はぁーい♪」
営業スマイルにしても満面の笑顔で返事をして、トニアは奥の部屋にぱたぱたと姿を消した。
「ヒュー! やっさしーい!」
「よ! 愛妻家!」
「ヤカマシイ」
囃し立てる長机の客をぎろりと睨みつけた店主は、ふんと鼻を鳴らすと商人二人の方に顔を向けた。
まあだいぶ背が高いので見下ろした、の方が正しいが。
「デオ客サン。酒ハ飲ムカ」
「酒…ああ酒ね。そりゃそうか、酒場だもんな」
「どうするかな…」
村の者達とのやり取りと店の料理人らしき彼の妻とのやりとりですっかり恐怖心の薄れた二人は改めて店主の背後の壁を見る。
樽の方はいい。
どこの街の居酒屋でもよく見るものだ。
ただ棚に置かれている陶器の瓶の方はほとんど見たことがない。
見かけるようになったのは最近で、それも一つのブランドが使い始めたばかりのものだからだ。
「メニューは…これ? へえ、なんだこれ面白いな…」
緑色の光沢のある板に白い字で手書きで酒のメニューが記されている。
脇には料理のメニューが記された板もある。
よく見ると消し損ねた薄い字が残っており、どうやら何度も消したり書いたりできる代物のようだ。
これはいい売り物になるのでは…などと商人二人はつい商売っ気を出してしまう。
「樽酒って書いてない奴は後ろの棚の酒かい? じゃあええっと…
「俺は
「マイド」
棚のかなり高い位置にある酒瓶を、けれどその上背で楽々と手に取る店主。
そしてキュポン、という小気味よい音と共に蓋を取り、慣れた手つきで酒を杯に注ぐ。
「あちょっと待ってくれ!」
「ン、ナンダ」
「それ、その瓶! 瓶をもっとよく見せてくれ!」
「コレカ」
店主に手渡された酒瓶を見たフィモッスは、慌てて身を乗り出して棚を凝視する。
「どうした」
「どうしたもこうしたもない! フレヴト! あの棚の酒…全部『はちみつオーク』だ!!」
「なに…!?」
ガタ、と立ち上がり棚を見上げるフレヴト。
そこに並んでいる陶器の瓶には皆一様に同じようなマークが張りつけられていて…
そして確かにその全てがあのはちみつオークのものだった。
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