第146話 助太刀
「あいつら…こんな場所でたむろして! しかも負け戦だなどと! 一体何を考えているのだ…!!」
ぐぎぎ、と歯ぎしりをしながらキャスが前方の噴煙を睨む。
「キャスノ騎士隊…ッテコトハコノ前来タ連中カ。アノ
「クァブル…? 確か小さい、とかいう意味だったか。もしやしてエモニモのことか? …そうだな、今も戦場で指揮を執っているようだ」
「ホウ…」
ラオクィクにとって彼女は小柄ながらもかなり気の抜けない相手だったらしく、それを聞いて俄然興味が湧いてきたようだ。
「デ、相手は誰ダ」
「そ、それは…」
クラスクの言葉にキャスが言い淀む。
「…だ」
「アン?」
「…リン、だ」
「声が小さイ。聞こえなイ」
「ゴブ、リン、だ…っ!!」
クラスクの追撃に遂に観念して戦っている相手の名を告げる。
「ああもう! あいつらゴブリン相手に劣勢に追い込まれるだなどと不甲斐ないにも程があるっ!!」
ゴブリンは身長1m前後…シャミルたちノーム族や同程度の背丈の
ただし彼らは常に腰を曲げた前傾姿勢…いわゆる
肌の色は黄色から赤で、同じ部族なら大概同じ肌の色をしているため肌の色で区別することが可能だ。
彼らは小柄な体躯に相応しく非力であり、戦士でなくとも人間族の大人であれば軽く吹き飛ばすことができるだろう。
倒せるかどうかはさて置いて。
性格は残忍で性悪。
臆病だが弱い者いじめが大好きで、強い相手からはすぐに逃げ出すけれど弱い相手にはとことん強気に出る気質である。
また悪知恵と卑劣と卑怯を美徳とし、待ち伏せや騙し討ちなどを好む。
ただし肝心の知恵自体はさほど高くないため、高度に戦術的な行動を取る事は少ないとされる。
彼らの最大の特徴は数。
とにかく数の暴力である。
放っておくと瞬く間に繁殖し、大軍となって襲いかかってくるのがゴブリンの最大の強味であり、脅威とされる。
ただし逆に言えばそうでもなければ強さ的には大したことがない…というのがキャスの評価であった。
迎え撃っている騎士隊は十数人…彼女がここに連れてきた手勢の半分程度だ。
なぜ全員で応戦していないのかはわからないけれど、ゴブリン相手に二倍程度の数の差で屈するような鍛え方はしていないはずである。
「ゴブリンか…!」
「手強イ方ジャナイトイインダガ」
だがクラスクとラオクィクは眉を顰めてその身体に緊張感を漲らせる。
彼らはゴブリンの…ゴブリンどものしたたかさをよく知っているからだ。
小柄で俊敏、そして隠れるのが上手い。
それを利用しての集団戦は、細かい相手を狙うのが苦手なオーク族とは相性が悪い。
特に強いボスの下について連携を叩き込まれたゴブリンは相当厄介な相手となり得る。
それになにより彼らは…
「ええい済まぬクラスク殿、私は助太刀に向かう!」
「手伝ウ。お前らは後から来イ!」
一瞬遅れて鞭を入れたクラスクがすぐに追いつき後方に付けた。
その初実戦とは思えぬ堂に入った手綱さばきにキャスは舌を巻く。
まあ驚くのも当然で、クラスクは村を立つ時にミエの応援によって≪疑似スキル:騎乗≫を獲得していたのだ。
上手くて当然なのである。
そしてクラスクから少し遅れてラオクィクが続く。
こちらは流石に馬の扱いに少々手間取っているようだ。
「すまない、クラスク殿! 手を借りる!」
叫びながらキャスは片手で馬を操りつつ腰の愛剣を抜き放った。
× × ×
「はぁ、はぁ…怯むな! 持ち堪えろ!」
「ぜえ、ぜえ、も、もう無理です副隊長ぉ~~!!」
「はぁ、はぁ、ええい泣き言を言うな!」
翡翠騎士団第七騎士隊副隊長たるエモニモが部下達を叱咤するが、この劣勢は覆せそうにない。
襲撃しに来たゴブリンたちから村を守るべく彼らと対峙した翡翠騎士団の面々ではあるが、旗色は見る間に悪くなってゆき、みるみる追い詰められていった。
なぜそれほどに苦戦するのかと言えば、第一に彼ら騎士達が現在十全の力を発揮できない状態にあり、第二にそのゴブリンどもが純粋に手強いからである。
「しま…っ!」
ゴブリン二匹が同時に放った鋭い短剣の一撃を打ち払おうとして、エモニモが大きくよろめいた。
彼女の背後で他の騎士と対峙していたゴブリンが、彼女が一歩下がるのを見越してその背を丸め、彼女の方にその背を突き出してきたためだ。
それはあたかも大きな石に足を取られたかのように彼女の足元を狂わせ、転ばせる。
尻餅をついた彼女に向かい、周囲の、他の騎士達の相手をしていたゴブリンどもが一斉に飛びかかって来た。
弱い者、隙のある者に最優先で群がり、殺す。
それがゴブリンの最も得意とする『
(これは…ダメだ…!)
全体の戦況、周囲の部下達の状況、そして自分の状態。
エモニモは己が今や死地にあり、そしてそれを覆せるだけの手役を失っていることを悟った。
間に合わない。
助からない。
自分は数瞬後に体中…手首や首筋や眼窩など、鎧で覆われていないあらゆる個所を短剣でズタズタにされて死ぬだろう。
(ああ…もう助からないというのなら、せめて…)
スローモーションのようにゆっくりと迫ってくるゴブリンども。
そんな彼らを妙に落ち着いた気持ちで眺める。
(せめて、神様。最期に、キャスバス隊長に…)
無数の白刃がゆっくりと迫ってくる。
エモニモはここにいるはずもない、敬愛する隊長に向かって虚空に手を伸ばし…
…そして、次の瞬間ゴブリンどもが吹き飛んだ。
「あ、ああ……っ!!」
思わず声が上ずる。
これは夢ではないだろうか。
いるはずもない虚空に伸ばしたエモニモの手、その指の先に…彼女がいた。
そこにいたのは隊長だった。
確かに隊長だった。
夢にまで見たキャスバス隊長だったのだ。
キャスはまず最速で馬を走らせ、その勢いのまま構えた剣でゴブリンを二匹ほどまとめて串刺しにする。
そして手綱を引き馬を棹立ちに急停止させると、ゴブリンの重みで前に突き出た剣をびゅんと鋭く振り回し、彼らの死骸を横で部下達と戦っている他のゴブリンどもに放りつけた。
そして返す刃で近くの三匹を続けざまに刺殺する。
「隊長…ああ、隊長……!」
「何を呆けている!」
「!!」
「戦はまだ終わっていないぞ! 貴様らもだ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! た、たたたたた隊長おおおおおおおおおおおおおおー!?」
「マジか!? マジで隊長か! マジだ!」
「隊長だ! 隊長だぁ! やる気湧いて来たああああああああ!!」
彼女の叱咤が騎士達の士気を向上させ、戦の趨勢を一気に変えた。
ゴブリンと人間族ではそもそも元の体格差が違うのである。
遮二無二攻め立てるなら人間側の方が押すのはむしろ当然の帰結と言えた。
ただ勇躍して剣を振るう己の部下を見てキャスはわずかに眉を顰めた。
部下達の動きが少しおかしい気がする。
彼女に喝を入れられるまで、その動きには生気がなく、また疲労も著しいようだった。
今は彼女が戻ってきてくれた気力だけで戦えているが、これも長続きはしないだろう。
どうにも早急に決着をつける必要があるようだ。
…が、キャスはその上で拙速に相手を蹴散らすような選択はしなかった。
相手がゴブリンだというのに一層に気を引き締める。
彼女が先程放った刺突で刺し殺したゴブリンは三匹。
だが狙った相手は四匹だった。
最後の一匹は後方にとんぼ返りを打ってこちらの攻撃を避け、同時に甲高い声を上げて周囲に注意を促したのだ。
四撃目ともなれば確かに攻撃が届くまでに僅かな間隙はある。
あるけれど素人目には彼女の攻撃は四発同時にしか見えぬだろう。
それほどの速さの攻撃を、少なくとも一匹は避けてのけたのだ。
単なる雑兵ではない。明らかに訓練を受けた動きである。
「ほう!」
そして次の瞬間、彼女の背後に三匹のゴブリンが側転しながら回り込んできた。
音もなく。
キャスの鋭い視覚があったから気づけたけれど、そうでなくば不意打ちを受けてもおかしくない俊敏な動きである。
さらに彼らはわざわざキャスの背後を取った。
これも上手い。
騎乗している状態では素早く後方に向きを変えられないからだ。
明らかに騎馬との戦いを想定した動きである。
戦場を見回せば他のゴブリンたちも実に賢く立ち回っていた。
一体の騎士に数匹ずつで挑みかかり、さらに相手の背後を突けるゴブリンを必ず用意する。
戦場で背後を取られるというのはそれだけで神経をすり減らす。
しかもそれが常にともなれば精神的損耗は相当なものだ。
当然一匹一匹への対処は疎かになり、相対的にゴブリンたちの安全度が増す。
なにより彼女が瞠目したのは乱戦の中、一匹のゴブリンが複数の騎士を相手にそれぞれ別の役割と果たしていたことだった。
騎士の横から相手を牽制しつつ、隙を見て別の騎士の背後を突くような動作をする。
一体が同時に複数の役をこなすことで、数的優位にある彼らがさらなる数的優位を生み、騎士達を圧倒していたのだ。
無論全員ではない。
それができるゴブリンは限られているようだ。
だが確実に練度が高いゴブリンたちは混じっていて、しかも見た目からはそれがわからず、彼らが数人単位でゴブリンたちの動きをコントロールしているようだ。
相当な訓練の賜物と言える。
クラスク村のオーク達といい、どうにも辺境の連中には厄介な連中が多いようだ。
キャスは己の常識を打ち破られ素直に驚嘆した。
「た、隊長! 危な……!」
戦闘の騒音の中、エモニモの声が響く。
キャスの思考が雷霆のように走り抜けたのと、背後のゴブリンどもが短刀を投擲しようと構えたのがほぼ同時。
けれどゴブリンたちのその飛刃は結局放たれることはなかった。
その背後から猛烈に迫って来た黒馬と、それに跨った巨大なオークが、彼らの首を撫で切りにしたからである。
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