第145話 喧騒と土煙

「わあ…一面の荒れ地ですね」

「うむ。まだ瘴気の影響が色濃く出ておるようじゃな」


森を抜けてみると抜けるような青空が広がっていた。

幾つかの薄雲を除けばほぼ快晴。

西からの風が少々強い。


「そういえば少し気になってたんですが…黒い煙? みたいなのが立ち上るレベルの瘴気だとその影響で穀物とかはまともに育たないんですよね?」

「うむ。それがどうかしたかの」

「私達が暮らしてるあの森…中森ナブロ・ヒロス、でしたっけ…には結構古い樹とかもあるように見えるんですけど…瘴気で森が枯れたりしないんですか?」

「む、答えにくい質問をするのう」


ミエの質問にシャミルは少し困ったように眉を顰める。


「う~む…面倒な説明は省くがお主の言う通り病に侵される木もあれば枯れる木もある。じゃが瘴気にする木もあるのじゃ」

「適応…?」

「ウム。瘴気が満ちておる森は多くの木が枯れ腐り落ち、それでいて生き残った木々が瘴気を放ち美しい泉は紫の毒の沼となり…とまあそんな感じになるそうじゃな」

「なにそれこわい」


想像以上におどろおどろしい様子に思わずミエは身震いし、荷車の下に広がっている荒れ地を見つめる。


「目に見えないだけでそういうものがまだこの辺りには残ってる…?」

「おそらく地中に残存しておるのじゃろう。じゃから単に人が住むだけでなくのが重要となってくるわけじゃ」

「あー、なるほどー! 私てっきり人が入植するんだから食糧の増産しなくちゃ的な意味で農民を連れてくるのかと…」

「まあ無論そういう意味もあるじゃろうがな」

「シャミルさんはなんでもご存じなんですねえ」


両手を合わせ、瞳を輝かせてシャミルを見つめるミエ。

尊敬の眼差し全開である。


「…なんでもは知らんよ。わしの知識は書物から得たものじゃ。じゃから最新の研究も知らんし最近の世相も世情も知らん。そういうのはキャスかアーリから聞くがよい」

「おー博学ニャ…(そんけーのまなざし」

「すげーなシャミルは(そんけーのまなざし」

「じゃからそういうのはやめいと言っておるじゃろが!!」

「どうどう。シャミルさんどうどう」


耳先を赤くしてがなり立てるシャミルをミエが宥める。


「まあそれだけ知ってたらそれは尊敬されますよ。諦めて下さ…あら?」


ミエは荷車の振動が変わったのを感じた。

それまでは硬い地面をゴトゴト踏破していたのだが、今は少し柔らかいものの上を踏み潰している感触がある。


「わあ…!」


荷車の外を見るといつの間にか視界の先には草原が広がっていた。

荒れ地は少し後ろで終焉したようだ。


生えている草の高さは人間の膝程度だろうか。

ただ場所によってはもっと高く、人の腰程度までありそうな草叢もある。


「これが…瘴気の浄化…?」

「耕された跡はないが…確かにそのようじゃの。人が住むだけで浄化が終わる程度には瘴気が抜けておったか」

「ニャ? ということは…」


アーリがピンと耳を立て身震いする。


「「村が近い!」」


全員で顔を見合わせ、前方を注視する。

視界の先の方ではオーク達が…


「…あれ、なんか様子が変ですね」

「じゃな。なにかあわただしい様子じゃが…」

「おいおい、なんかキャスが馬を走らせて先に行っちまったぞ。お、クラスクさんともだ」


眉に手を当て遠目で窺っていたゲルダが呟く。


「ニャ、何があったニャ…?」

「ゲルダさんわかります?」

「んー? エルフじゃねえんだからそんな遠目が効くわけじゃ…くそ、サフィナの奴連れてくるんだったぜ」


目を細め、草原の先を探るように見つめるゲルダ。

確かに巨人族は格別視力が優れているというわけではない。

ただとにかく背が高いので、その分遠くまで見渡せる。

特にこの辺りは空気も乾いていて視界も確保しやすいはずだ。



そんなこんなで皆にせっつかれ目をすがめつつ遠くを探っていたゲルダは…やがてに気づくと大きく眼を見開いて独り言のように呟いた。



「…土煙だ」

「つちけむり?」

「戦いの時に立ち上る土煙だ、ありゃ」


ゲルダの言葉にミエとシャミルとアーリがハッとして慌てて前方を注視する。




「あの大きさだと個人じゃねえ。間違いなく集団同士の…だぞ…?」




×        ×        ×



「む、土煙が見えるな。戦闘か?」


さてミエ達がその異変に気付くより少し前、キャスが既に前方に異常を発見していた。

彼女はハーフエルフであり、半分エルフの血が混じっている。

エルフ族特有の優れた視力を継いでいるのだ。

遮蔽物のない晴れた草原など、彼女にとっては遠間から幾らでも覗き見してくれと言わんばかりのシチュエーションだろう。


「…そうみタイダナ」

「クラスク殿も見えるのか?」


話しを合わせてくるクラスクに少し驚いた風のキャス。

騎士隊の隊長を務めていた頃この距離で彼女に話を合わせられる者はいなかった。

もしオーク族がこの距離であれに気づける視力の持ち主なのだとしたら騎士団の方針を根本から見直す必要があるかもしれない。


「イヤ、見えん。ダガ戦イのがすル。北の方ちょい西、距離はまダかなりあルな。こっちにはまダ気づいテナイようダ。集団ト集団デ片方は殺気満々、もう片方はそうデもないようダガ…襲われて応戦してル感じカ? うちの連中も血が騒いデルようダ」

「ッ!!」


淡々と語るクラスクの言葉に驚いて後方を確認するとオーク達がなにやらざわついている。

彼女とクラスクに並んで騎乗しているラオクィクが、肩をすくめながら説明した。


「連中ハ戦場ガ近イ気ガシテ少シ気ガ立ッテルダケダ。ワケジャネエ」


キャスは少しほっとして、だが同時にゾッとした。

オーク達が戦闘種族とは聞いていたし、実際幾度も討伐に出向いたこともある。

どの集落も手強くはあったが、どれも騎士の総力で倒し切れる程度の相手だった。


けれどこの村のオーク達は、そして族長のクラスクは違う。

伝承に謳われるようなかの…広汎の領土を総べ人間たちの前に立ちはだかったとされる凶悪なオークの王の再来となるかもしれない…そんな危惧すら一瞬抱く。

だが…


「キャス。お前は見えルカ。見えルなら確認しテくれ」

「確認?」

「俺達がドッチかに手を貸す必要があルかドうか、ダ」

「!! わかった」


けれど、違う。

キャスは思い直す。


クラスクは確かにオークの王…大オークになれる資質はあるかもしれないが、きっとにはならない。不思議とそう思える。


それにもしそうなりそうなら…

後になって思い返してみれば奇妙なことだが…その時キャスは一分の疑問も抱かずそう結論付けていた。


「土煙の規模と剣戟の音からして数十人と十数人程度の戦いのようだな。数の多い方が押している」

「耳デもわかルのか、凄イな」

「片方は軽装…これは押している方だな。応戦している方は金属の鎧を着ているようだ」

「金属鎧! 戦士カ!」

「む、土煙が晴れて少し見え…はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」


途中まで冷静に注視していたはずのキャスが突然大声ですっとんきょうな声を上げた。


「キャス! 声大きイ!」


クラスクが慌てて制止する。


戦場では喧騒と怒号と雑踏で遠くの音はほとんど届かない。

だがあまりに大声を出せば向こうに気取られてしまう危険がある。


相手より先に気づいた。

一方的に観察できる。

これらは戦場に於いて圧倒的なアドバンテージである。



どちらかに肩入れするにせよ傍観するにせよ、或いはそのどちらをも蹂躙するにせよ…そうした有利を自ら投げ捨てようとするのは愚の骨頂以外の何物でもない。


「す、すまない。我ながら情けない」


いつもは自分が部下をそう諭すべき場面だというのに、とキャスは恥じ入り謝罪する。

額には汗が滲み、困惑しきった表情だ。


「お前が取り乱すなら相当ダな…知り合いカ?」

「ああ…片方の勢力…あれは私の騎士隊だ! それも押されている方だ! なぜ奴らがここにいる?!」





驚嘆と困惑と…そして己の隊の不甲斐なさに、苦虫を噛み潰したような表情でキャスが答えた。





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